カテゴリ:友人ほか
嗚呼、悲しい。何と悲しいことか。
ブロ友のfurano-craftさんがお亡くなりになられました。 一昨日(10月19日)午後5時20分、furano-craftさんから電話が入りました。先般、同氏にお送りした柿のお礼のお電話かと、電話に出ると、同氏の奥様の声でした。一瞬、何やら不安な不吉な予感が走りましたが、果たして、それは「主人が亡くなりました。」という訃報でありました。葬儀も済まされ、一段落されてのお電話であったのだと思うが、「ヤカモチさんが送って下さった柿が主人が口にした最後の食べ物でした。美味しいね、と喜んでいました。」という奥様の話。 それは、9月下旬に富良野産の玉ねぎ、カボチャ、ニンニクをお送りいただいたことへのお礼にお送りした柿である。9月22日生前の同氏にそのお礼の電話を差し上げた際に柿をお礼に送るとお約束したのでした。この時は体調が悪い時もあるが、まあ元気にしています、とのことであったので、まさかの急逝であります。思えば、それが彼の声を耳にした最後であったのだ。 馴染みの果物店に発送を依頼して置いたのだが、発送されたのは10月の10日前後であったよう。果物店から「急ぎますか」と聞かれ、「早いに越したことはないが、それ程急ぐというものではない。」と答えたのであったが、もう少し遅いと間に合わなかったかもしれなかったのであった。 「そうですか。柿は間に合ったのですね。残念で悔しく悲しいけれど、それはせめてものことでした。」そんな会話はお互いどうしても涙声にならざるを得ず、声が詰まってしまうのでありました。 furano-craftさんとは、2013年3月6日からブログ上の交流が始まりましたので、10年7ヶ月余のお付き合いであったことになる。 同氏は、京都のご出身で、2008年に京都から富良野に移住。この地に工房を構え、木工作品の製作・販売のお仕事を始められました。 詳しいことは下記をご覧ください。 <参考>furano-craft氏のブログはコチラ。 同氏開設の木力工房・富良野麓郷庵(富麓庵)のHPはコチラ。 ヤカモチとの交流が始まったのは2013年であるから、移住5年が経過した頃のことであったということになります。 同氏との交流の中での思い出としてエピソードを二つあげると、その一つは、今は亡き智麻呂氏に関係する、ジャガイモの話。 2015年元日、大阪では珍しい雪の降る元旦、furano-craftさんからジャガイモが宅配で送られて来ました。配達の青年が上衣もフードも降りしきる雪で真っ白になり、まるで雪だるまのような姿で届けて下さったのが印象に残っている。段ボール箱を開けると沢山のジャガイモがゴロゴロ。 <参考>降る雪と共に来たれる北の芋 2015.1.2. (降る雪と共に来たれる北の芋) これの一部を智麻呂さん宅にお裾分けとしてお持ちしたことから、話が始まります。智麻呂さんがそのジャガイモを絵にされ、ヤカモチにお礼にと下さいました。 <参考>第154回智麻呂絵画展 2015.1.15. (智麻呂絵画) これを額に入れて、furano-craftさんに送ると、同氏はご自分のアトリエに飾り、それをブログ記事にアップされました。 <参考> ブロ友さんの「けん家持さん」から頂いた「智麻呂画伯の絵画」 2015.1.26. その智麻呂さんも昨年2月にご逝去。 その追悼記念文集を編纂していた折に、furano-craftさんからお電話をいただくということがあり、ジャガイモの縁で何か寄稿いただけないかとお願いしたら、快くお引き受け下さいました。 (寄稿文) もう一つのエピソードは、よく北海道富良野に旅行される友人の岬麻呂さんが、当ブログでfurano-craftさんのことをお知りになり、同氏の工房をお訪ねになるなどして、親しくなられたことです。 <参考>友人十色 2016.7.15. 岬麻呂旅便り191・木力工房、富良野、美瑛、大雪旭岳 2016.7.19. 岬麻呂旅便り193・大雪山系の紅葉とガーデン巡り 2016.10.4. 岬麻呂旅便り199・富良野 2017.1.31. 最初のご訪問は2016年7月14日のことであったということが、上の「友人十色」の記事から判明しましたが、その後、度々お訪ねになられていますから、お二人には波長の合うところがあったのでしょう。ヤカモチもいつの日にか富良野を訪ねて直接にお目にかかりたいものと思っていましたが、なかなかそういう機会もなく、とうとう直には会わぬままで、会えぬままで、furano-craftさんは逝ってしまわれました。 富良野への 道は遠みか 逢へぬまま 背子は逝きにし くやしかなしも (偐家持) ありがとう 柿をうまいと 食ってくれ 逝きし友よと 面影に言ふ (偐家持) furano-craftさん、10年余のお付き合いありがとうございました。 そちらでは、智麻呂さんも居られますから、追悼寄稿文にお書きになったように、ご挨拶なさってください。やあ、やあ、と満面の笑みで迎えてくださることでしょう。 憧れて移住された北の大地で15年、本当によく頑張られました。 お疲れ様でした。 どうぞやすらかにお眠りください。 <付録> 偐万葉・ふらの篇(その10) 麓郷の 森はや暗く なりゆきて 夕陽わづかに 木の間にこぼる (森家持) 今日もまた よき日なりけり よき仕事 終へて森より 妻待つ家へ (森家持) (20201111工房から見る麓郷の夕陽) これやこの 行くも来るも コロナ禍の 難波大阪 痛し痒しも (偐家持) コロナ禍も よしとし生きて よきどちと (本歌)よき人の よしとよく見て よしと言ひし (20210101賀正) ブログ記事 書かずにあれば 如月の 十五日もいつしか 過ぎてありけり (本歌)富士の嶺に 降り置く雪は 六月の 十五日に消ぬれば その夜降りけり 麓郷の 森の小さき 工房も 秋には十年 迎へまくよしも (偐富良麻呂) (注)迎へまく=迎へむ+アク(形式体言)。迎えるであろうこと はや十年 北の大地に 住み住みて 手ぶりも北の それとやなりぬ (注)手ぶり=手振り、手風。立ち居振る舞い。 (本歌)しなざかる 越に五年 住み住みて 立ち別れまく 惜しき夕かも (20210223木力工房10th anniversarry) 蜜蝋の ともし火ゆらぐ ひとりごと 疾く冬支度 せよとや聞こゆ (偐家持) (20211103本格的な冬が来る前に) 木力工房創立10周年に寄せて詠める 木の力 信じ富良野に 十年われ 今日までひたすら かけてぞ来しか (注)「かけて」=「駆けて」と「懸けて」を掛けている。 工房は 山部となりて きもあらた 次の十年も 駆けてぞ行かむ (注)「きもあらた」=「気もあらた」と「木もあらた」を掛けている。 さやあかね むすぶえにしの ありがたく ふらのにけふも ともまろがゑみ (20220908ジャガイモ・さやあかね) <参考>過去の偐万葉ふらの篇はコチラから。 木力工房のホームページはコチラから。 当ブログの木力工房関連記事はコチラから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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