カテゴリ:万葉
先日、胃カメラで検査して貰った結果を聞きに病院に立ち寄った際に、その庭先に白梅が一輪開花しているのに出会いました。
年末から年明けにかけて胃に痛みがあり、検査を受けたのであるが、結果は異状なしでありました。 (梅一輪) 若草読書会の新年会が今月27日に予定されている。 毎年、新年会はヤカモチが万葉集に関連した話をするというのが恒例になっている。昨年の新年会ではこの恒例を変更して凡鬼さんに俳句の季語についてのお話をしていただいたのであるが、今年は恒例を復活させることとなり、山上憶良をとり上げてヤカモチが話をすることになっている。 山上憶良は、斉明天皇6年(660年)頃に生まれ、天平5年(733年)頃に没したとされる万葉歌人であるが、彼が天平2年(730年)正月13日、大宰の帥・大伴旅人邸で開催された「梅花宴」で詠んだ歌がこれ。 春されば まづ咲く宿の 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ(巻5-818) <春になるとまず咲く庭の梅の花をひとり眺めて春の日を過ごすものだろうか。> 下二句は反語表現になっていて、「ひとりで見ようか、いや皆で梅の花を楽しもう。」という意味。ところで、万葉集の梅花の宴で詠まれた梅の歌32首の冒頭の序文の一部、「初春の令月、気淑しく風和らぐ」が元号「令和」の出典であるというのは周知のことであるが、この序文の作者は、普通には大伴旅人と考えられるところ、山上憶良の作だとする説もあるとのこと。 <参考> 「天平二年正月十三日、帥老の宅に萃まり、宴会を申ぶ。時に初春の令月、気淑しく風和らぐ、梅は鏡前の粉に披き、蘭は佩後の香に薫る。加以、曙の嶺に雲移りて、松は蘿を掛けて蓋を傾け、夕の岫に霧結びて、鳥は縠に封されて林に迷ふ。庭に新蝶舞ひ、空に故雁歸る。ここに於て、天を蓋にし、地を座にし、膝を促け觴を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然として自ら放にし、快然として自ら足る。若し翰苑に非ざれば、何を以てか情を攄べむ。詩に落梅の篇を紀す。古今それ何ぞ異ならむ。宜しく園梅を賦して、聊かに短詠を成すべし。」 梅の花は、萩の花に次いで多く詠まれている花であるが、古代中国では、梅、蘭、菊、竹を四君子として重んじたことから、万葉貴族たちもこれに倣って、梅を大陸伝来の文雅の花として重んじたのだろう。 さて、ここからは、言葉遊び。 オクラは、幕末の頃に我が国に伝来した植物であるから、万葉の頃には存在せずで、当然にその万葉歌などは存在しない。 秋の七種の花を指折り数えた憶良さんであるから、当時オクラが存在していたら、ヌルヌルねばねば七種の歌を詠んでいたかもしれない。 モロヘイヤ オクラ納豆 山芋めかぶ つくね芋 なめこ明日葉 根昆布ぬなは 七種ではなく十種になってしまいました。 最後の「ぬなは」とはジュンサイのことで、万葉の頃は「ぬなは」と呼ばれていました。 ヤカモチはイクラは駄目ですがオクラは、そう好きでもないが普通に食べることができます。そして、サクラは西行さんほどではないが、好きな花であります。しかし、憶良には桜を詠んだ歌はなさそうです。 梅の花 楝の花は 詠みつれど 憶良は桜 詠まずもあるか (御蔵家持) さて、冒頭のウメの花に戻って・・。 スズメとナツメの写真でブログ未掲載のものがあるので、〇〇メつながりで、便乗掲載させていただきます。載せるならカメかサメの写真だろうという声も聞こえて来そうですが、ない袖は振れません。 (花園中央公園の雀) (墓参の道の辺の棗の実) ナツメの実は季節外れでありますが・・。 <参考>万葉関連の過去記事はコチラ。 梅花の歌32首の序文掲載の記事 梅花の歌32首の序文 2020.2.21. 梅花の歌32首全文掲載記事 梅の花咲き始めにけり枚岡の・・ 2013.2.21. 若草読書会関係の過去記事はコチラ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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