カテゴリ:岬麻呂旅便り
友人・岬麻呂氏からの旅便りであります。
今回は「日本で一番早いお花見(寒緋桜)が目的の夫婦旅」とのこと。 (旅・岬巡り報告325 沖縄 寒緋桜) 1月23日 関西空港→那覇空港→(レンタカー)→具志川城址→喜屋武埼灯台→知念岬→ニライカナイ橋→残波岬・ホテル日航アルビラ(3連泊) 先ず、沖縄本島最南端にある具志川城址に向かう。 (具志川城址) <参考>具志川城(糸満市)・Wikipedia 沖縄ラボ・沖縄本島最南端の城跡「具志川城跡」みどころ紹介 おきなわ物語・具志川城跡(糸満)・国指定史跡 喜屋武埼灯台に立ち寄り、南東端の知念岬へと向かいます。 <参考>喜屋武岬・Wikipedia 琉球おきなわ説話・喜屋武岬と灯台 その途中で撮影されたのでもあるか、旧・玉城村(現・南城市)のマンホールの写真です。 (南城市<旧玉城村>のマンホール) 城(ぐすく)の石垣と湧水をデザインした図柄だそうですが、旧・玉城村の村章があしらわれています。 南東端の知念岬です。 (知念岬) <参考>沖縄本島のおすすめ観光スポット情報・知念岬公園 そして、ニライカナイ橋。 (ニライカナイ橋)<参考>Okinawa Hip Hop Bus・ニライカナイ橋 ニライカナイとは「はるか彼方」という意味。海のはるか彼方に理想郷があり、そこから神がやって来て、人の世を創ったというのが沖縄の伝説。 2002年開通以来、その景観の良さから沖縄県南部のドライブスポットとして定着。全長660m、高さ80m。歩道が整備されているので、散歩にも適しているとのこと。 1月24日 本部半島八重岳→今帰仁城→運天港→古宇利島→名護城址 この日は、いよいよ目的の寒緋桜のお花見でありますが、その前に国頭郡恩納村のマンホールであります。 (沖縄県国頭郡恩納村のマンホール) ヨット、恩納岳、万座毛(象の鼻の形をした奇岩がある海食崖)、村の花ユウナ(オオハマボウ)の図柄。 桜の前にツツジ。 ヤエヤマツツジです。 「栄えをとめ」の桜の前に、「にほえをとめ」のツツジを持って来るのは、万葉集の歌にもかなっています。 (ヤエヤマツツジ) <参考> 物思はず 道行く行くも 青山を 振り放け見れば つつじ花 にほえ娘子 桜花 栄え娘子 汝をぞも 我に寄すといふ 我をぞも 汝に寄すといふ 汝はいかに思ふや 思へこそ 年の八年を 切り髪の よち子を過ぎ 橘の ほつ枝を過ぐり この川の 下にも長く 汝が心待て (柿本人麻呂歌集 万葉集巻13-3309) <物思いもなしに道を行きながら、青山を振り仰いで見ると、ツツジの花のように色美しい娘子、桜花のように真っ盛りの娘子。おまえのことを私といい仲だと人は言い寄せるそうだ。私のこともおまえといい仲だと言い寄せるそうだ。おまえはどう思っているのか。 あなたを思えばこそ、八年という年月、切り髪の少女の頃を過ごし、橘の梢が伸びてゆく時を経て、この川の下水(したみず)のように長く、ずっとあなたの心を待っているのです。> さて、旅の目的たる、本部半島八重岳の寒緋桜、栄え娘子やいかに。 (八重岳・寒緋桜) 「例年20日過ぎには頂上付近が満開なのだが、今年は天候不順で花が無い(咲いた様子が見られず)。」とのこと。 時々、小雨が降るという生憎のお天気ではありましたが、中腹付近は八分咲きにて、今年も「栄え娘子」と無事接見を果たされました。お花見の目的達成、何よりでありました。 (同上) 今帰仁城、運天港、屋我地島、古宇利島、名護城址と巡り・・。 (今帰仁城址)<参考>今帰仁城・Wikipedia (古宇利大橋・屋我地島から撮影)<参考>屋我地島・Wikipedia (同上・古宇利島から撮影)<参考>古宇利島・Wikipedia (名護城址の寒緋桜)<参考>名護城・Wikipedia 桜の方は、今帰仁城では三分咲き、名護城址では咲き始めといった具合であったとのこと。 1月25日 辺戸岬→オクマビーチ この日は、最北端の辺戸岬を目指します。 (辺戸岬・祖国復帰闘争碑) 東シナ海前に見て、わしらが生きた土地がある♪ 沖縄返還運動で歌われた「沖縄を返せ」の歌が思い出されます。 石碑の左側奥に、鹿児島県の最南端、与論島がかすかに写っています。 画像をクリックして大きいサイズのフォト蔵写真でご確認ください。 (同上・北西方向)<参考>辺戸岬・Wikipedia 同じく、大きいサイズの写真でご覧いただくと、水平線上に伊平屋島、伊是名島の島影がかすかに見てとれます。 (同上・東方向) 1月26日 八重岳→今帰仁城→古宇利島→うるま市・勝連城跡→海中道路→平安座島→那覇空港→関西空港 最終日、八重岳の桜再訪問。 (再び、八重岳・寒緋桜) (今帰仁城址を背に北方向の海と寒緋桜) 三分咲きという今帰仁城の桜も再訪問。 (同上・寒緋桜<ズームアップ>) (ワルミ大橋から左奥の運天港を遠望) さて、古宇利島で昼食に食されたという青いカレーがこれ。 岬麻呂氏も初めて食されたそうですが、味は普通のカレーのそれであるが、盛り付けのデザインの意味が分からなかったということで、24日の昼食に続き、26日の昼食でも再挑戦されたようです。 (青いカレー) 岬麻呂氏の旺盛なる好奇心には感心するのほかありませんが、白いご飯が古宇利島、青いカレーが海、中央の細い棒状のパンが古宇利大橋を表現しているとのことであります。 以上、青いカレーの謎も解け、沖縄本島桜旅も無事完了であります。 全683kmドライブ旅でありました。 <参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[岬麻呂旅便り] カテゴリの最新記事
|
|