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カテゴリ:東京観光他
東京大神宮の奉拝を済ませ、
今回メインの、靖国神社へ向かいます。 東京大神宮を出て、真直ぐ道なり、坂を上ると角川書店社屋があります。 つきあたりになりますので、左折。 法政大学校舎を右手に見て道なりに進むと靖国神社の参道に出れます。 徒歩約10分ほど 大鳥居をくぐりたいという方は、九段下方面に戻る感じで。 電車だと、九段下、市ヶ谷駅利用です。 バスはこのあたりめったに来ません。1時間に数本。 駐車場が大きいので、いつもは車です。 P6063704 posted by (C)EZ30 途中の古い家、戦前の作りじゃないでしょうか? このような家も残っているんですね。 土地柄、売ってくれと各企業が来てると思いますが。 隣が蕎麦屋さんだったので、そこの家かな? 頑固な親父だろうなー(笑) P6063708 posted by (C)EZ30 近道を来ても、二の鳥居はくぐれます。 急ぐ旅じゃない方は、大鳥居まで戻ったほうが、ネタになるでしょう。 P6063709 posted by (C)EZ30 P6063711 posted by (C)EZ30 P6063716 posted by (C)EZ30 HPの記載によると 靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。 靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。 靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。 とあります。 私の記憶だと、合祀は、日露戦争の英霊からだと思っていたのですが、幕末からの英霊が、お祀りされていたんですね。 勉強不足。 不謹慎ですが、戊辰戦争、西南戦争の戦死者の中には、合祀を望まない方がいたと思うのですが。 大東亜戦争時の、朝鮮兵、高砂兵などの御遺族の一部の方も、分祀を望んでいますが、英霊御本人は、大日本帝国軍人として、このまま友とともに合祀を望んでいることと思います。 IMG_2984 posted by (C)EZ30 こちらは御朱印。本堂右側の参集殿にて受付。 Mさんが、御朱印をいただいている間、時間があったので、遊就館へ。 こちらに関しては、アジア各国から大東亜戦争を美化、正当化しているものだと苦言をいただきますが、かなりの数の外国人の方が見学しています。 食い入るように見てますし。 それぞれ、思いはあるでしょう。例によって内部は撮影してません。 P6063721 posted by (C)EZ30 遊就館前にある軍犬慰霊像。 軍馬は有名ですが、軍犬もいました。特攻兵器として、爆弾を抱かせようとしていたという記述も以前読んだことあります。 P6063728 posted by (C)EZ30 特攻勇姿を讃える碑。 海軍航空隊、陸軍航空隊、回天、義烈空挺などの特攻戦死された方々の碑 像は、海軍搭乗員のものですね。 生きながら、軍神となる気持ちはいかなものだったでしょう? 私などには、考えも付きません。 P6063730 posted by (C)EZ30 P6063733 posted by (C)EZ30 売店前には、零戦52型や沖縄の野戦重砲兵第一連隊の15センチ榴弾砲、15センチ加農砲などが見られます。 零戦は、三菱製の銘があります。こちらは南方戦線配備機の残骸からの復元だそうです。 友軍機識別帯が、中島式の塗色のような気がします、これについては、諸説あり、戦時でもはっきりした別け方はないと思うのですが、 思うに、数機の組み合わせなので、三菱、中島両方の製作機を使っているのかもしれませんね。 粋な計らいしてるなー。 こちらは、売店前にあるので撮影できますが、撮影不可の館内には彗星があります。 他所では見られませんよ。 桜花、回天、97式中戦車チハもありますし。見ごたえ十分。 私としては、これにスミソニアンの紫電改を返してもらって展示してほしいです。 豊後水道で引き上げられた紫電改は、同機とともに戦死なされた343空搭乗員のご遺族の方の感情もあり難しいでしょうし。 P6063736 posted by (C)EZ30 これは、「鉄」の方むけ。 このC56は、タイからの帰還。 あの戦場にかける橋で有名な泰緬鉄道でつかっていたものです。 多くの蒸気機関車が、タイ、ビルマ、北支などに渡ったんでしょうね。 南方戦線の激戦地を訪れると、ジャングルや道路の片隅に、朽ち落ちそうな、鳥居、神社跡、住居跡などあります。 本邦統治、占領時代は、栄えていた島なんだろうなーと。 大東亜共栄圏。 先人の理念はよかったのですが、方法と結果が......... 現在もアジア各国の諍いの元ですしね。 この後、千鳥ヶ淵に歩みを進めるので、南門にて、深く頭礼し、靖国をあとにしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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