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カテゴリ:鎌倉 観光
円覚寺は、約6万坪の広い境内をほぽ一直線に伽藍が並び、
15以上の塔頭寺院が建ちます。 国の名勝史跡に、円覚寺境内、円覚寺庭園が指定され、 国宝は、2つ。近くからは見れませんが、舎利殿と梵鐘 重要文化財は書ききれず。 その中から少しだけ。 円覚寺庭園は、池をメインにしているものが、3箇所。 それぞれに趣があります。 P6273920 posted by (C)EZ30 妙香池です。左上に見える建物は正伝庵。 立て看板は、虎頭岩の銘。 これ、虎の頭をした岩があるらしいのですが、どれでしょうか? わかる方、ご教授ください。 しばし歩みを止め、いろいろな角度から見たのですが、解かりません。 ネットで調べても、どれがどれだか? 紅葉の季節は綺麗でしょう。 P6273918 posted by (C)EZ30 方丈北側の庭園、かもが、のんびり雨にぬれてます。 大変綺麗な、庭園ですが、見向きをする人もいませんでした。 私も、立て位置が、決まってませんし(笑) 傘を差しての、片手持ちの撮影なので、ご容赦ください。 方丈のこれは裏庭、表側に回るには、ぐるりと迂回します。 表の庭には、百観音があるため、雨の中回ってみました。 P6273914 posted by (C)EZ30 迂回するって行っても、見事な石積みを身ながらですからあっという間。 P6273894 posted by (C)EZ30 この先が、方丈。 カップルの相合傘。女性は、傘持ってるし。 こんな、時代私には無かったなー。 お幸せに..... P6273980 posted by (C)EZ30 方丈へ向かう、禅道場の居士の方々でしょうか? 私からすると、斜めに階段を登るなーって感じですが。 皇軍兵士からすると考えられません(笑) 「一列作れ!」「歩調とれ!」しまった、また入り込んでしまった......... そしてお待ちかね、 P6273970 posted by (C)EZ30 江戸の頃、拙叟尊者が境域に岩窟ほり、 百体の観音石像を祀った。 明治21年に洪川禅師が、西国三十三体の観音像を新たに刻み、 補陀落迦観自在窟と名付けて境内の一部に安置した。 そして昭和58年頃にこの方丈前庭に移されたということです。 川越の五百羅漢を撮っていた時期もあり、興味がそそられましたが、 雨で機材が、出せません。遠景だけのショットです。 そして、少し軍事色が出てしまったので、あまり皆様には関係ない話なのですが、 前回の古い門柱があったところ、そこももちろん円覚寺境内です。 境内の真ん中を横須賀線が貫く。 明治の時代、陸海軍令部の要望、(横須賀、観音崎などを要塞可したとして)「いざという時、海上交通だけでは無理。 山、また山で物資や軍隊が輸送できるか」。この強い要望を伊藤博文首相、政府がのみ、 直線コースで、横須賀に向かうため、円覚寺境内や、鶴岡八幡宮の境内をけづって、 蒸気機関車を通したと言うことです。 横須賀線の踏み切りの向こう側にも、池があります。 P6274008 posted by (C)EZ30 紫陽花の向こうの、白鷺池。 P6274007 posted by (C)EZ30 偃松橋から撮った白鷺池、こちらも当然名勝指定になってます。 白鷺池の名前は、円覚寺開山無学祖元が宋より鎌倉入りした際に、 鶴岡八幡宮の神使がシラサギに身を変えて案内したという伝承に由来する。 とのことです。 また、軍事つながりで、この後稲村ヶ崎に向かうのですが、そこには、大東亜戦争末期、 米軍上陸が予想されたため、砲台が残ってます。 そして、大日本帝国海軍の特攻隊である伏龍隊基地跡があり慰霊に行きます。 当然、実戦には出なかったのですが、当時の簡易潜水具では、 多数の事故者がでたと思いますので。 円覚寺広すぎ!まだ終わらない。 とりあえずパート3をさせてください。後は雪崩式ですぐ終わりますので。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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