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カテゴリ:鎌倉 観光
ひめちゃん、江ノ電と寄り道をしてしまったのですが、
長谷に戻させていただき、長谷観音を目指します。 駅から、観音様まで、細い歩道を行くのですが、 両側の歩道は、人で、行き違うのも苦労するくらいごった返してました。 いやー実にすごい数の人。1時をまわっていたので、ピークだったかも? P6274266 posted by (C)EZ30 路地を、車をかき分け入ってみると、すごい数の人が、 入り口あたりに。 すごいなーと感心してみてたら、入場60分以上待ちの表示が、窓口に。 ここは、以上が曲者なんですよ、90分待つことも。 紫陽花の咲く庭園は、見事なものがありますし。 私の目当て、輪蔵もある。 鎌倉では、ここにしかないのではないでしょうか? 輪蔵を回転させると、それだけで経典を読んだのと同等の御利益が得られるものと信じられているものです。 もちろん私も。 元来、本を読むのが、苦手なものですから、これ幸いです。 時代のある物なので、重厚ですし。 まあ観音様は言わずもがなです。 展望台からの由比ガ浜の眺めなんて、絶対そこに30分は、いる。 込むのはしょうがないですねー。甘かった。 P6274272 posted by (C)EZ30 ただ帰ってはと、長谷寺前の紫陽花。 光則寺?の建物が、向こうに見えます。 光則寺は、一人だったら、絶対行っている。 今回、江ノ島の龍口寺に寄るのを予定していたので、行きませんでした。 さすがに、日蓮さんゆかりのお寺が、ひしめいてます。 急ぐ旅の私たちは、後ろ髪を引かれながら、高徳院へ向かいました。 高徳院までも、すごい人。 あたかもサンシャイン通りを歩いてる感じ。 サンシャイン通りより狭い分もっと大変でした。 P6274289 posted by (C)EZ30 鎌倉を初めて来たら、絶対はずせない鎌倉大仏。 人が多かったー。 このカット、30分以上待ってます。 ちょっと、水滴がレンズについてるのは、ご愛嬌。 ほんの一瞬人がきれた1枚です。 IMGP1985 posted by (C)EZ30 この位人がいます。石柱を見ると記念写真撮りたくなりますね。 高徳院HPによると 鎌倉大仏は、 「露坐の大仏」として名高い高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像。像高約11.3m、重量約121tを測るこの仏像は、規模こそ奈良東大寺の大仏(盧舎那仏)に及ばぬものの、ほぼ造立当初の像容を保ち、我が国の仏教芸術史上ひときわ重要な価値を有しています。北条得宗家の正史『吾妻鏡』によれば、その造立が開始されたのは1252(建長四)年。制作には僧浄光が勧進した浄財が当てられたとも伝えられています。もっとも、創建当時の事情には不明な部分が多く、未だ尊像の原型作者すら特定されるに至っていません。当初尊像を収めていた堂宇については、『太平記』と『鎌倉大日記』に、1334(建武元)年および1369(応安二)年の大風と1498(明応七)年の大地震によって損壊に至ったとの記録を見いだすことができます。以後、露坐となり荒廃が進んだ尊像は、江戸中期、浅草の商人野島新左衛門(泰祐)の喜捨を得た祐天※・養国の手で復興をみました。尊像の鋳掛修復に着手し、「清浄泉寺高徳院」と称する念仏専修の寺院を再興、当時、浄土宗関東十八檀林の筆頭であった光明寺の「奥之院」に位置づけたのも、祐天の事績にほかなりません。今日、創建750年余を経た尊像は、仏教東伝の象徴として、国内外、宗派の別を問わず数多の仏教徒の信仰を集めています。 ※ 小石川伝通院の住職を務めた後、増上寺第36世法主を拝命した高僧 そして 高徳院の宗旨 高徳院(詳名: 大異山高徳院清浄泉寺)は、法然上人(1133~1212年)を開祖とする浄土宗の仏教寺院です。法然上人は、善悪、男女、年齢、身分などの別なく、万人の救済を本願とされる西方極楽浄土の教主、阿弥陀如来に帰依されました。人は誰しも「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏に帰依します)」と称えれば、その御加護に与ることができ、臨終に際しては極楽浄土に迎え入れていただける。これが法然上人の説かれた浄土宗の教えです。 南無阿弥陀仏、南無八幡大菩薩、南無妙法蓮華経、宗派はちがっても、 同じ感じですね。怒られちゃうかもしれませんが、無宗教の私にとっては、 今のおかれてる立場は、誰にでも、どんなものでもすがりたい気持ち。 P6274290 posted by (C)EZ30 こちらは、背中、窓が開いてますね、 なかに、入れます。 IMGP1970 posted by (C)EZ30 昔は、背中の窓あたりまでいけたんだけどなー。 気のせいかな?、観音さんなど、結構巡っているので、 思い違いかもしれませんが。 大仏胎内の拝観料20円。大元の拝観料は200円でした。 P6274291 posted by (C)EZ30 HPの表記には。 15世紀中頃、漢陽(今日のソウル)の朝鮮王宮内に建築されたと伝えられる建物で、1924(大正13)年当時これを所持されていた「山一合資会社」(後の「山一證券」)の社長、杉野喜精氏によって、東京目黒の私宅から移築・寄贈されました。鎌倉観音霊場23番札所ともなっている当山では、今日この建物の中に、江戸後期の作品とみられる観音菩薩立像を安置しています。 観音菩薩立像は見れませんでした。 P6274275 posted by (C)EZ30 HPによると 仁王門といわれる山門は、18世紀初頭、内部に安置された一対の仁王像とともに他所より移築されたものと伝えられています。 他所ってどこ? ここ高徳院は、大仏の拝殿が流された大津波の襲来で、長いこと廃寺になっているので、 どさくさで、解からなくなってるんでしょうね。 鎌倉自体、長いこと歴史から忘れられてますものね。 P6284451 posted by (C)EZ30 高徳院の御朱印。 また曲がってますが(笑)何でかなー。 会社に複写台を持ち込んで、仕事(遊びじゃないです 笑)してるので、 ずっと自宅では手持ち。 あおりレンズも無いので、お許しください。 加工すればいいんですけどね(笑) 各地で、紫陽花に振られたので、 高徳院境内の紫陽花の写真で、溜飲をさげることとします。 P6274312 posted by (C)EZ30 P6274308 posted by (C)EZ30 P6274301 posted by (C)EZ30 かわいい。 種類はわかりませんが、他所では見かけないものでした。 沢山咲いては、いないので、アップの写真で(笑) 長谷駅までの帰り道 P6274316 posted by (C)EZ30 ちょっと入った路地に、和紙屋さん。 看板が渋いなー。 さすが鎌倉、ぽつんと、佇んでいましたが、 オーラというか?雰囲気がありました。 この後、長谷駅より、めっちゃ込みの江ノ電を江ノ島まで、 最終目的地、日蓮聖人の龍口法難の伝説ゆかりの瀧口寺へ向かいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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