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テーマ:旅のあれこれ(10281)
カテゴリ:上州 旅行
前回の最後の写真の、急階段を登ると、そこに手水舎があります。
手水舎の水は、ほのかに硫黄臭かったです。 光泉寺の手水舎の水は、ためてある水だったのですが、こちらはかけ流し(笑) さて参拝ですが、 IMGP3161 posted by (C)EZ30 東京でも、TV中継されることもある草津の白根神社祭礼の神社にしては、 味わいが無いですね。 それもそのはず、もともとは、運動茶屋の辺りにあったそうです。 建立は明かではありませんが、白根山の従1位白根明神と本白根山の従2位小白根明神を合祭し、 明治6年に吾妻郡全般の卿社となるに際し、運動茶屋より現在地に新築奉還し、 明治10年及び大正5年には町内十数カ所の神社を合祭、 明治15年には拝殿を改築し現在に至ります。 祭神は日本武尊。 草津観光協会HPより引用 白根明神は、かつては白根山の湯釜の中にありましたが、 現在では近くの御巣鷹山の山頂付近に祀られてます。 12世紀ごろにはすでに霊場として修験が登山してたそうです。 同じ群馬県ですが、日航機墜落現場近くの御巣鷹山では無いです。 日航機事故12日ですね、私の人生の転機となった日です。 私にとっては、忘れえぬ日。心が重い。 やっと立ってる感じ。15日には、終戦記念日も控え日本にいたくない。 今も、無限の仮言命題に陥ってます。 早く、今週が終わればいいなー。TVもつけられない。 IMGP3162 posted by (C)EZ30 正一位、郷社といえども、本殿はあまり大きくありませんでした。 鳥居下で、一礼してお入りくださいとありました。 本殿参拝を終え、今回こちらに登って来た一番のお目当ては、 IMGP3164 posted by (C)EZ30 こちらの、おばけ燈篭。 いかがでしょう?、こちらも運動茶屋あたりから移されたもののようです。 昔のことだったので、薄暗い峠でいきなりこの燈篭があったら、 お化けと間違えるかもしれませんね。 欠けているあたりに、昔、お化けと間違えた武士が、 切りつけたあとが残っているといわれてますが、苔が生えていてよく確認できませんでした。 唐傘お化けに見えませんか?私は、実物をみて、ぞくぞくしました。 ゆきや、Mさんは、近くにも寄れませんでしたから。 今回、行かなかったのですが、運動茶屋には、泣き燈篭があります。 これは、古は湯治湯として栄えた草津ならではの逸話が。 長く滞在した客人を、燈篭があった峠まで、仲居さんや他の客がお見送りしたのです。 そこで涙して、別れを惜しんだという。だから泣き燈篭。 今のように、ちょっと草津までなんてで、行けない時代でしたから、 今じゃ玄関先にも出てくれない(笑) でもいい話じゃないですか? 人との縁が希薄になってしまった現代。 私も宿泊費で決めないで、馴染みのところへ戻ろうかな? もう覚えてはくれてないだろうなー。 IMGP3167 posted by (C)EZ30 草津鷲乃湯碑 案内板に 鷲乃湯は、草津温泉で最も古い共同浴場で、滝下通りにあって、昭和44年(1690)まで時間湯の浴場として多くの湯治客に利用されていました。この碑は明治37年(1904)に湯治客たちが温泉の効能に感謝して建てたもので、碑文は当時の日本皮膚科学の指導者土肥慶蔵博士が草津温泉の発展を予見し、傷ついた鷲によって発見されたといわれる鷲乃湯の由来と効能をたたえたものです。また、筆跡は明治の三筆といわれた巌谷一六先生の作で、碑の側面には鷲乃湯の湯長小松原勝蔵の偉徳記が刻まれています。 とあります。 数箇所に鷲乃湯碑がありますが、すべて同じ案内板。 同じ頃に建ったのでしょうね。 鷲乃湯跡は、湯畑近く、千代の湯のそばにあります。 やっぱり石碑が建っていて、40年代後半、道路整備で取り壊しちゃったみたい。 写真を見ると、珍しい形の建物だったに。 草津って、そういうとこあります。(笑) さすがに、今は残そうって感じです、町並みも。 IMGP3170 posted by (C)EZ30 ここには、芭蕉の句碑。 夏の夜や谺にあくる下駄の音。 この句は、草津で読んだものではないそうです。 京都嵯峨の門人去来を訪ね、その落柿舎で作ったもの。 芭蕉の嵯峨日記に収められているそう。 後に、草津の俳人一夏庵坂上竹烟が、 地元草津温泉街そのものを詠んだといってもいいとして、ここに建てたという。 無理やりだなー(笑) 草津にはよくあること、気にしていては、草津はおもしろく無いですよ(笑) 十返舎一九碑、高村光太郎碑が、白根神社のある囲山公園内にあります。 ちょっと探してみたんですが、見つかりませんでした。 事前に調べた感じだと、神社の近くにあるはずだったのですが。 IMGP3182 posted by (C)EZ30 変りにこんな燈篭見つけました。 案内板には、六角石憧供養塔とあり この塔には、延享3年(1746)湯本治雄の妻恒子が法華経を信仰して、 10名の僧侶を呼んで法華経1,000巻を読誦し先祖を供養したと記されています。 また、隣に享保16年(1731)に湯本治雄が建てた宝篋印石憧供養塔があります。 いずれも、当時の民間信仰を知る貴重な文化財であります。 湯本治雄は草津の名族湯本三家のうち湯本安兵衛の当主で、 俳諧をたしなむ文人でした。塔の敷地は明治5年(1872)頃白根神社境内地になりました。 とあります。 これも、霊感が強い私は、ぞくぞくするものでした。 疲れ果てている、ゆきとMさんは、残しての散策ですから余計。 句碑を探し回って、広場に出ました。 IMGP3179 posted by (C)EZ30 端に、土俵がありました。 草津は、お相撲が盛んだったのかな?なんて思いましたが、 土俵の後ろには、日本相撲協会草津錬成道場なるものが、 立派な建物でした。 やっぱり金もってるなー。と言う感じ。 この広場では、打ち上げ花火の用意をしてました。 夜に、花火でもやるのかな? 例大祭、感謝祭とも平日にやるので、町民のためって感じですね。 平日休める人が、羨ましいなー。 まあ日曜日ほとんど休めるので、文句は言えませんね。 しかも、いままで、自分で自分の首を絞め続けて来たわけですから。 辞めちゃうか?なんて何度思ってるか.......... ただ人の縁でやっているようなものです。 この後、温泉饅頭をもらいながら、西の河原へ向かいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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