災害給水施設が近所にありました。
先だっての、東北大震災のあと、ひめを連れて散歩に行ったのですが、東京でも、かなりの揺れが感じられ、亀有の店の近くの薬局は、倉庫が被災。大変なことになっていたようです。私のところは、幸い、店、自宅ともたいした被害もなかったのですが、隅田川の堤防が怖いことに。DSC01235 posted by (C)EZ30お分かりになりますでしょうか?スーパー堤防工事完了地区なので、2段目の堤防となり、実害はなかったのですが、大きく隅田川に傾き、堤防に段差がついてます。昔の位置だったら、冠水してたかも。実は、私の自宅は以前、病院だったところで、建替え前の軒下にはかなり大きい船があったんです。そのぐらい、昭和の時代には水が出たところだったようです。余談ですが、元病院というとちょっと怖い感じなのですが、拝み屋さんに聞いて、立て替えに当たって土地を堀、タンクなどすべての貯蔵物を掘り出してあります。私、すっごく怖がりな者ですから。そのためか、自宅ではいまだに心霊体験ないです。スーパー堤防に、蓮○議員が噛み付いてましたが、少なくとも自宅のある地区では、今回助かったと思います。でも完成まで200年。先が見えないですけど。DSC01232 posted by (C)EZ30ひめちゃんが、見つけた階段のわれ。堤防の下は、公園になっていて、この階段で下りれるんです。ただこの公園、川の水位が上がると冠水。衛生上どうなのかな?疑問です。避難路を確認しながら、散歩をしていると、普段通るのに気がついてなかったものが。DSC01456 posted by (C)EZ30DSC01246 posted by (C)EZ30豊島馬場遺跡公園災害用給水所です。こちらは、深さ150mから、揚水量、毎時18立方メートルをくみ上げます。写真の井戸は人力のものだと思いますが、左方に学校の水道様の蛇口が並んでいます。ここ、豊島馬場遺跡公園は、なのとおり遺跡なんですよ。DSC01239 posted by (C)EZ30DSC01236 posted by (C)EZ30北区のHPによると畿内で大きな前方後円墳が作られた古墳時代の始め頃、 北区の隅田川沿いに方形周溝墓郡が作られました。 それが豊島馬場遺跡で、日本フェルトの工場跡地から発見されたものです。 100基以上もの古墳時代前期の方形周溝墓が確認されています。 おそらく高台全体にある集落の共同墓地のようなものであったと考えられています。 方形周溝墓の数基からは、日本最古のガラス小玉の鋳型が出土しています。 このことから、ここへ葬られた人たちがガラス小玉の製作に携わっていたことが分かります。ひめちゃんは、写真の位置まで、一応, 犬不可の看板があります。公園だけに、滑り台や、運動場、アスレチックもありいつも沢山のお子さんが遊んでいます。子供好きのひめちゃんは、中に入っていこうとするので、あまり来ない場所なんです。このあたり、あちらこちらで、遺跡が見つかっていて、昔は、海岸線だったのかな?縄文時代の貝塚なども近くにあるんですよ。詳しく学びたい方は、北区飛鳥博物館へ。住んでいる私も行ったことがないですが(笑)