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2007年10月07日
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カテゴリ:山の雑想

毎年秋の頃になると、沢登りや縦走もいいけど秋晴れの下快適なクライミングでも行きたいなあと思いつつ、秋の頃によく通った谷川岳のことを思い出すのである。
連休中に幽の沢で転落事故があったそうだが、この時期は常に湿った谷川岳の岩場もよく乾いて快適なクライミングができるのである。
そんなことを思いつつ、あんまり昔話ばかり書くのはいやなのだけど、今回はちっと思い入れのある衝立岩を登った時の話などしてみたい。


衝立岩とは一の倉沢の出会いに立つと真っ正面に見えるそそり立った岩で、困難なオーバーハングとぼろぼろとした逆層の岩場を連ねた高度差250m、日本屈指の岩壁であると同時に1960年代の血の出るような初登攀から、直後のザイル狙撃事件など常にエキサイトする話題を提供してきた岩場でもあるのである。

クライミングをするものなら誰しも憧れる岩場に僕はこともあろうに一人で登りたいと思ったのである。
もう10年以上前の20代の頃である。
学生時代はのんびり沢登りなどしていた僕が、就職したとたん、その現実逃避からか狂ったようにクライミングに、特に単独登攀に狂いだして、休みの日はほぼ全休日山に通った。当時五日市に住んでいた僕はさらに仕事前や仕事帰りにも普通に岩場に通っていた。
そんな僕がある年の目標にしたのが衝立岩のソロだったのである。

衝立にいくつかあるルートの中でまず目指すのは一番短いダイレクトカンテである。
練習もいつも単独で岩場に通った。
夜間に備えて夜の越沢バットレスの青梅ベルグハングを一人で上り下りした。
あとはあの、転落事故の多発している衝立を一人で登る精神力だけだ。

予定がすっかりずれ込んだある年の10月の下旬の金曜日にようやく衝立に挑む日がやってきた。
前日に職場で事故が起きて夜勤明けのまま寝ずに一の倉まで車を走らせた。
それは情熱たぎってというよりは、何かに追い立てられているかのような気持ちだった。

行きがけのラジオ番組は某有名歌手ができちゃった婚ををするのだとかいうニュースで持ちきりであった。
他人が華やかな世界で注目されている時に俺はだれも知らないところで、こんな岩場でせっぱ詰まって何やっているのだろうかと暗い気持ちになった。

翌日は雲一つない秋晴れだったが、心身共に自分がよくない状態だということはよくわかる。
みなぎるような気持ちがない。
ただ何かから逃れるような気持ちで山に逃げている。

秋空の下の一の倉はよく乾いて快適にアプローチをとばす。
この時期の平日は誰もおらず貸し切りのことが多いが、前方に2人パーティーが見えている。
まあ南陵あたりに行くのだろうか?

テールリッジを登りつめ、そこから藪をこいで衝立岩の基部をトラバースするとテラスに浅打ちボルトが1本。
それを頼りに15m斜め懸垂下降する。(注:今は立派なハンガーボルトがあるはず)

2002,9.宝剣 012.jpg

 

そこが衝立岩のスタート地点である。
ダイレクトカンテはわずか4ピッチの短いルートで初心者向けではあるが、単独登攀の場合は1ピッチにつき1往復半するので、4かける3で12ピッチのルートに等しい。
1ピッチめは4級のフリーのピッチで全く問題ない。
2ピッチから核心部。ここから両足で立てるところはない。

さっきまで前方にいたパーティーはなんとダイレクトカンテが目的らしく、こんながらがらな日の一の倉で同じルートにかち合うとはなんてことだと思いつつも、やはりそばに人がいるのは少々心強い。
1ピッチ目を登る僕の頭上で

「ザイル流して~」
「後20m!」などのコールが響いてくる。

1ピッチ目の登り返しを終えて、くだんのパーティーの動きを見ていたそのときだった。

「あっ」

という悲鳴と同時に先頭で登っていた男が一瞬宙に浮いて見えた。

パーティーが登っていた2ピッチ目はほぼハング気味に左上していくルートだが、1ピッチ目と2ピッチ目の間がテラスになっていて落ちるとそこにたたきつけられる。

「ぶおん」と風を切る大きな音がして、人間が堕ちてくる。

「ああぶつかる」と固唾をのんだ瞬間、地面まで数mのところで男は止まり、まるでヨーヨーのようにリバウンドした後で宙づりになった。

「ボルトが抜けた~」
幸いにもロープに支えられた男は10m以上の転落の割にはけがもなく、やっちゃったよというような声おをあげながらザイル操作で仲間のところへ降りてきた。


そこで彼らと僕は挨拶をした。

「どうですか?」

「いや~乗ってたボルトが抜けちゃったよ。この岩はもろいね。」

一人で登るという僕に憐憫に満ちた表情を投げかけつつ、自分らはもう戦意喪失したから降りるよ

そう言い残して彼らは去っていた。

そして僕はひとり衝立岩に残されたのである。

さっきの転落シーンが脳裏に焼き付いている。
そうして急に一人取り残された寂寥感が身を包む。
ここで天気でも曇り出せば下山するいいわけになったのだが空は相変わらず秋晴れの快晴だ!
ここで止めて帰る理由が見つからなかったので、とりあえず一人2ピッチ目につっこむことにした。
2ピッチ目は目の前の出っ張りを左に乗り越えて左上するランぺに入る。岩場を乗り越えるところの残置シュリンゲが今にも切れそうだ。

ランぺの出だしに下向きに打ち込まれた錆びたハーケンがある。
そこにカラビナをかけ、アブミをかけ、全体重を託す。
これが抜けたら僕もさっきのパーティーみたいに真っ逆様で、なおかつ僕には支えてくれるパートナーが居ないのだ。
登るに連れて一の倉が足下に大きく開けてすごい高度感だ!

そして登るにつれて、恐怖が一層増してくる。
天気はよい。精神的にはしんどいが、技術的に難しいというわけではない。

ただ怖いだけだ。

落ちたらどういうことになるかさっきの映像を見ているだけに、単独で登る自分のハンデ=死という現実を突きつけられたような気分でそれを乗り越える勇気を振り絞るのに精一杯だった。

だめだ。

核心の2ピッチ目は45mある。
ここを登り切ってしまうともはや退却も困難なる。
さらに3ピッチ目はハングの下を右に越えていき、4ピッチ目で人工とフリーミックスのいやらしい岩場へと続く。

どこかでふんぎりつけねばならないと思った。
今のこの精神状態ではどこかで恐怖に負けて落ちると思ったからだ。
そして僕は2ピッチ目の途中で比較的しっかりしたハーケンを見つけるとそこに支点を作って降り始めたのである。
ハングの下降は懸垂下降が使えないからアブミのかけかえで下る重労働だ。
それを何回も繰りかえした。

数時間後僕は、一の倉の出会いに立っていた。
無事に下山できたにも関わらず心の中は登れなかった、恐怖に負けた現実に打ちひしがれていた。

今回はたまたま体調がよくなかっただけだ。
来週また出直してこよう。
悔しいくらいの秋晴れの下にそびえる衝立岩を背にしつつそう言い聞かせてみる。
しかしその来週にはすでに雪が降って今シーズンの終わりを告げているのだった。


2002,9.宝剣 011.jpg

次回に続く・・・






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最終更新日  2007年10月08日 01時37分14秒
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