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2011年02月07日
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カテゴリ:カテゴリ未分類

前々回にちらりと触れましたが、昨年12月に父が肺ガンで亡くなりました。


享年68歳でした。


10代の時からヘビースモーカーだった父は、日本人男性の平均寿命にかっきり10年足りることなく他界しました。

8月に入院したときには既にステージ4の末期でその時点ですでに余命1~2月を宣告されたのです。

でも父はがんばりました。

人の死は天命です。誰もその天命に逆らえません。
だから父の余命を告げられた時に、僕は少しほっとしたのです。

ああまだ親父に何かをしてあげる時間が残されているな、と。

父は無類の旅行好き、車旅好きで、僕が子どもの時から毎年きまって、家族そろって田舎のある福島や北海道には車中泊で出かけていたし、子ども達が成人した後も月に何度もぶらりと旅に出ていました。


ある時はひとりで、


またある時は親子で。

私の旅好き放浪好きは父親譲りなのかもしれません(笑)


高校生の時から山登りにはまっていた僕は、ある日父とどこかに出かけようという話になった時に、「谷川岳にいこう!」と誘いました。

新緑のまぶしい5月の頃でした。
土合の駅前でテントを張って野宿し、翌日一の倉沢まで歩いていきました。

一の倉の大岩壁を見上げた父は「こんなすばらしい岩壁が日本にもあるんだ」と感激していました。

帰り道、湯桧曽から291号線を離れ、尾瀬方面に向かうと、その道なりとても美しい峡谷が眺められました。
いまでこそ「照葉峡」という紅葉の名所で知られたところですが、当時は全くの無名で、こんな素敵な所を見つけて悦にいった僕らは、また秋にここに来ようと誓いました。


谷川岳にはその後、何度足を運んだでしょうか
高校・大学を卒業し、就職した僕は親父と一緒の旅行に行くことはなくなったけれど、僕は何度も何度も飽きることなく谷川に通いました。


親父もまた、山に登ることはないにしても、土合の駅で車中泊して、一の倉を拝み、帰りに照葉峡経由で帰郷するというコースが秋の旅の定番に成っていたのです。

だから、自分にとっても親父にとっても、この谷川岳と照葉峡はひときわ思い出深い土地であり、だから親父の余命がわずかと知らされた時に、この場所に絶対に連れていってあげたいと思ったのです。


そして秋・・・
肺の水をぬくドレーン
尿道カテーテル
酸素吸入器

すべて抜けるまで1月はかかったでしょうか。
その1ヶ月の間にもみるかげもなくやせ細った親父を果たして谷川まで連れて行けるのでしょうか?

主治医に相談しました。
「今は本人の好きなことを沢山やらせてください」と言いました。

親父はどう思っていたのかしりません。
でも僕は、たとえそれで親父の寿命が何日か縮まったとしても、今あそこに連れていってあげたい。そう強く思いました。

そしてそれは自分の休みと紅葉と渋滞と相談し、昨年11月4日に実現したのです。

運転手に自分
サポート役に妹
癒し系キャストに僕の嫁と子ども達
総勢6名で雲一つなく、紅葉晴れ渡る一の倉にたどり着きました。

見上げるばかりの大岩壁の上部にうっすらと雪をまとい、中段には目も覚めるようなあでやかな紅葉。
そしてバックに紺碧の空。
絢爛といおうか壮麗といおうか、末期の紅葉は輝くばかりの美しさ。一の倉がこんなに晴れ渡ることは年に数回しかありません。

 

 

DSCF6464.JPG

 

「冥途のみやげができたなあ」と親父がつぶやきました。
心なしか目が少しうるんでいます。

「またきたいね。」
空々しいと思いつつも僕が答えました。


帰りに照葉峡を通ります
「美しい。美しい。」と何度も父がつぶやきます。

予定ではこんろく峠を越えて、尾瀬に抜け、温泉にはいって帰宅するつもりでしたが峠間近に思いがけず積雪があり、引き返す羽目に。
そのせいで残念ながら温泉につかる時間がなくなったけど、
「照葉峡の紅葉を2回も見れて幸せだよ」と言ってくれました。

「今度は泊まりがけでどこかに行きたいね」


僕はそういうと


「ああそうだな、今度は温泉宿に泊まってうまいもの食ってのんびりしよう」
父は嬉しそうにそう言いました。

こんな旅で満足したわけではないでしょう。
でもそれで体力を消耗したのでしょうか、病院に戻って数日後に、様態が急変しました。
再びドレーンだらけになってしゃべることさえ満足にできない病床で、父が言いました
「またみんなでどこか泊まってゆっくり旅行がしたいな。それが俺の最期の夢だよ・・・」と

「またいこうよ。このすぐ近くの湖の畔にけっこう素敵な旅館があるんだ。ちょっと高いけど。、良くなったら連れていくよ」
僕はそう約束しました。

そしてそんな夢を叶えてあげられることなく、数日後に父は他界しました。

父と最期に行った谷川岳。
初めて一緒に一の倉に行って、「この岩壁を登りたいんだ」と言った僕を止めることもなかった父は、いつも僕の危険な山登りを見守るだけで「止めろ」とは一言も言いませんでした。
自分一人だけで登っていい気に成っていた僕にもいつも、僕の帰りを信じて待っていてくれていた人がいたのだと今更ながらに感じます。

病床の父を谷川に連れ出したことは、もしかした父の死期を早めてしまったのかもしれません。
でも後悔はしていません。

死んでしまえば何も残らない。
でもその人の感動は残された人の心に響く。
だから、あの日、ない力を振り絞って谷川に相まみえた親父のせりふはいつまでも僕の心に残るのです。

そんな感動を与えてくれた山に感謝!
そして親父に感謝です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






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最終更新日  2011年02月08日 00時15分32秒
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