江戸時代の洋風画家「亜欧堂田善」
先日、NHK Eテレ番組「日曜美術館」で洋風画家・亜欧堂田善(あおうどう でんぜん)を知り興味を持ちました。江戸時代に江戸の風景と人物を油彩で描いたことが印象的でした。ちょうど千葉市美術館で、没後200年で回顧展が開催されていたので行ってみました。これは、美術館で購入した絵はがき「両国図」、一番インパクトのある油彩画です。この作品は、掛け軸として展示されていました。亜欧堂田善(本名・永田善吉)は、江戸時代後期に活躍した洋風画家です。47歳までは地元須賀川(福島)で家業の染物屋を手伝いながら、好きな絵を描いていました。白川藩主・松平定信が領内見回りで、たまたま田善が描いた屏風絵を目にしたことがきっかけで、銅版画の習得を命じられます。松平定信は、西洋で実用化されていた銅版画で医学書や地図を作りたい考え、その技術を習得する人物を探していたのです。田善は腐食銅版画(エッチング)技術を習得するため江戸に行き、書物などから独学で習得しました。その際、西洋画に触れる機会も多く遠近法も習得し、西洋銅版画を参考に多くの作品を手掛けました。また、遠近法を使って江戸の風景を描いた銅版画も数多く制作しました。実際に美術館で観ると、精緻な銅版画作品が小さいことに驚きました。こんな細かい絵を銅板に彫り込むなんて凄いです!これは、写真撮影OKのショーケースに展示してあった銅版画です。左から「両国勝景」「品川月夜図」「三囲図」左から「愛宕山眺望之図」「今戸瓦焼之図」「日本橋魚廓図」これは、絵はがき「大日本金龍山之図」、浅草寺の境内を実際とは異なる田善独自の感性で描いた銅版画です。大勢の人々まで細かく描かれていて圧巻です!銅版技術を習得した田善は、定信の命により日本初の銅版解剖図、16枚に分割した大きな「世界地図」を完成させました。その世界地図を見て、松平定信は「アジア(亜)とヨーロッパ(欧)を目前に見るようだ」と感動し「亜欧堂」の画号を与えたそうです。また、田善は油彩画にも挑戦しました。江戸時代でまだ油彩絵の具が普及していないため、自ら油彩絵の具を作ったのです。それを使って、江戸の風景や人々を描いています。「江戸城辺風景図」油彩画これは、絵はがき「三囲雪景色」で、右に三囲神社の鳥居、隅田川沿いの風景です。また、浅間山を大きく描いた大作「浅間山屏風」は、6曲1隻の油彩画です。田善は試行錯誤しながら西洋絵画や様々な作品を取り入れ、自らの作品を作り上げていきました。その努力と江戸の風物を面白く表現した感性に感動しました。没後200年の企画展は、福島県立美術館と千葉市美術館で開催されていましたが、すでに終了しています。またどこかで再会できることを楽しみにしています。●「没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡」企画展 福島県立美術館 https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/7334 千葉市美術館 https://www.ccma-net.jp/exhibitions/special/23-1-13-2-26/