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カテゴリ:音楽全般
間(マ)。
最近考えたことなんですが...、実は日本人のミュージシャンって「間」を大事にしている人が少ないんではないか...? 伝統的に、日本人という民族は間を非常に大切にしてきた民族で、アジアという狭い枠で考えても非常に特殊な感受性を持っている(持っていた?)と思っています。 わび・さびを大事にする感覚を持っている民族というのは、(不勉強なのかもしれませんが)他に聞いたことがない...。 わび・さびの感覚の一部、あるいはそれを具現化するツールの一部に「間を大事にする」ということがあるというのが僕の理解ですが、音楽に限らず、それを感じることが非常に少なくなってきているような気がします...。 間を提示されることで、受けて側が想像力を駆使し、出し手と受け手の相互補完により完結する世界とでも言うか...。 想像力が減退すると、具体性が求められるので、間が少なくなってくるのかな...? だとすれば、それを伝統として伝えてこなかった教育問題のような気もしてきます。 ギターに関しても、同じことを感じています。 自分自身のプレイにも...。 「息継ぎ」という感覚は大切にしているつもりなんですが、それと「間」とは別物ですからね...。 皆が皆、そういう感覚を大事にする必要は無いと思うのですが、民族性を考えるとどうも耳に入ってくる音のサンプル数と伝統的に持っていたとされるものに、ギャップを感じるんです...。 逆に欧米系の音に「間」を感じることの方が多い。 他の楽器の方は、どうなんでしょう? 曲創りという観点から見ても、相似なものを感じます。 J-POPを聴くと、こちらの想像力を喚起するようなものは少ない...、非常に具体的な音と言うか...。 詞には、面白いものが散見されるのですが、音とのギャップは大きい...。 一時期のブラックもどきの音は減ってきましたが...、あれも凄いですねぇ...。 これでもかって、音が圧縮されて詰め込まれていますから...。 本場の方が、空間を大切にしている曲が多い。 ...謎です...。 今日は、まだ考えている途中のテーマなんで、取り留めの無い文章になってしまいました...。 じっくり考えて、その結果を自分の音楽、プレイに生かせればな...、と考えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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