カテゴリ:あらゆる媒体の「本」
お昼、お弁当を食べていて、1つの体験が2つの本が結びついた。
今日のお弁当箱は、新しいもので、 ごはんとおかずを分けて入れるもの。 普段のお弁当箱は箱が1つだから、 ごはんとおかずが1つの場所にぎゅうぎゅうに入っている。 私はたいていながら食べをしてしまう。 行儀が良くないのだが、 ご飯を食べながら、何かを読んでいる。 PCの中のものだったり、紙だったり、本だったり、 自分の頭の中の言葉だったりする。 なので、味に対する注意は散漫といえるだろう。 でも、今日は、 「あ、ごはんは、おかずと別に入っている方がおいしい!」 と思った。 いくら小分けしようとしても1つの箱だと味がしみるし、 通勤中にごはんとおかずが大冒険をしていることも・・・。 でも、それに異議を唱えたりはしなかったのだ。 (こんな書き方をしてバレていると思いますが、 お弁当の作り手はワタクシではありませんw) 分かれている箱がいいなんて主張しなかった。 興味が文字ばっかりということも影響しているけれど、 比較対象するものを持たなければ、あっちがいいなんて言わないものなんだな。 で、2つの本の言葉を思い出した。 1つは、斉藤洋『ルドルフとイッパイアッテナ』。 この3部作については書評にしたので、見ていただけると嬉しい。 主人公と一緒に成長したくなる作品1:名前と所属、そして、自分は何であるのか。 主人公と一緒に成長したくなる作品2:学ぶということ 主人公と一緒に成長したくなる作品3:相手の立場を思いやるということ さて、その一部の引用になるのだが、こんなシーンがある。 **** イッパイアッテナは、学ぶことがなぜ必要なのか、その本質的なこともルドに伝えている。 ルドが自分が前住んでいた場所が簡単には行かれないほどに遠い距離だと 具体的な移動手段を考えて実感してしまったときのことである。 「こんなことなら、なにもわからなかったほうが、 へんな期待を持たないから、幸せだったんじゃないだろうか。」 ぼくが、べそをかいて、そういうと、イッパイアッテナは、 「ばかやろう。なんてこというんだ。 そういうのを、『知識にたいするぼうとく』っていうんだ。 それにな、『絶望は、おろか者の答え』ともいうぞ。」 ルドには、この言葉の意味がこのときはよくわかっていない。 子どもにもすぐにはわからないかもしれない。 だが、これはきっともう少し大人になってからわかる大切な言葉になるのだ。 ルドは、言葉の意味を理解したということではなかっただろうが、 その後、歩いてでも帰れるという気持ちを持つことになる。 *** ルドルフは、自分が今いるところが、 どれほど目的地と離れているのか知らなかったのだが、 それを知ったとき、それが大変とわかるくらいなら 知らない方が良かったと思う。 だが、それは違うとイッパイアッテナは諭したのである。 また、ダン・アリエリー『予想どおりに不合理』も思い出した。 これも、書評にしている。 「みんなが決断するときに規則正しい失敗をするなら、新しい戦略なり道具なり方法なりを開発して、わたしたちがよりよい決断をし、全体的な幸福感を増やせるようにしたらどうだろう」 この本で述べられているのは、 「私たちは物の価値をそれと似た何かと比べないと 決められない」ということである。 比較対象があって初めて、自分は何を選ぶか考えられる。 そして、比較対象があってはじめて、どこに立っているかわかり、 自分が置かれている立場が幸せなのか不幸なのかを感じる。 その置かれている立場を相対的に理解して、感情が生れる。 それは、幸せな気持ちばかりじゃない。 目標が遠かったり、自分が惨めだと気づいてしまったりすると、 不幸だと思うかもしれない。 ときには知らなければ幸せだったのにとすら思うかもしれない。 それでも、やっぱり、知っていたいと強烈に思った。 また、知らないほうが幸せだから、 教えないというのは、やっぱり違うと思ったのだ。 あれ??? もともとは、お弁当箱だったんだ・・・。 今までがそんなに不幸だったってわけでもないんだけどね。 木の器で健康志向なのとセパレートなのが両立している弁当箱を探すか・・・。 ルドルフとイッパイアッテナ 予想どおりに不合理 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年08月06日 22時59分35秒
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