「々」の『閑話休題。』
一つ告知をば。12月の3日、東京ビッグサイトで行われる「デザインフェスタvol.24」に、やまのみずは出演いたします。午前11時45~12時15分の短い間で、しかも舞台はいわゆる「ファッションショー」を行う感じの広い空間。どうにも勝手が違う中で表現しなければなりません。どうなる事やら不安はありますが、失敗して恥をかいても、それはそれ。頑張るだけでございます。 もし、お時間に余裕がある方は、いつもと違ったやまのみずを観にいらして下さいませ。 閑話休題。 昨日、山田が「親切が出来ない」ことを憂えておりましたが、親切をするという事は非常に勇気が必要です。 「老人に席を譲って断られ」「親切にしたつもりだが深読みを」「こんなならやらなきゃ良かった親切を」「それよりもやっときゃよかった公文式」などなど。人は(私や山田は)『断られたらどうしよう』とか『勘違いされたら嫌だ』とか、色々考えてしまってタイミングを逃してしまいがちです。 以前ブログに書きましたが、私はもう老人に席は譲りません。それは野間がすでに老人だから、というわけではなく、その理由は、時々断る老人がいるからです。譲ろうと思ったときは無言で席を立ち、残された人々に判断をゆだねる事にしています。 私は思う。老人は席を譲られたら決して断ってはいけない。これは別に差別心から言っている訳ではない。 「いや、そんな歳じゃないので」「いやあ、もうちょっとだから」彼らはそう言って断るのだが、断られた此方の身にもなっていただきたい。そのときの気恥ずかしさ、所在無さ、そして空いた席の虚しさは「勇気を持って親切をした」見返りとしてはあまりに酷である。思いやられた人は、思いやってくれた人を思いやらなければいけない。 私は、恩を仇で返されるのが嫌になったので、この悲しい関係から身を遠ざけ、各々の自主性とやらに身をゆだねる事にした。まぁ、要するに人前で恥をかきたくないだけなのだ。 さて。こんなことだから、なかなか人に親切に出来ない。親切なんて、別にやらなくても生活できてしまうから尚の事だ。 そんなこんなで過ごしていたのだが、先日ふとした「親切」を見た。場所は小田急線。新宿発。朝の通勤ラッシュを満員と呼ぶのならば、決して満員という状態ではないが、座席は埋まり、全てのつり革に一つずつ手がぶら下がっていた。それでも、手はまだ余っている。つり革は不足(不手と呼んだ方が良いのか)気味だ。私は女性の前に立って北村薫の「夜の蝉」を読んでいた。 すると、私の目の前の女性が急に「大変でしょう、座りませんか?」と呟いた。誰に言っているのか分からず、私は本から目を上げた。すると、ちょっと離れたドアの付近から声。「いえいえ、もうすぐなので」35歳くらいの父親だ。その側には4,5歳の男の子がくっついていた。 私は一瞬意味が分からなかった。なんで若い人に席を譲るのか。すると女性はスッと席を立ち、手でどうぞと促し、ドアの方へ歩いていった。促された男性はちょっと困惑していたが、礼を言い子供を席に付かせた。 私はその時、卑しくもこう考えてしまった。『この人、この男性が好みのタイプなのかな』 次の瞬間、「いやそうではなく、彼女も子育ての経験があるから、子供をつれて電車に乗る事の大変さが解っての行為かもしれない」と考え直したが、なんとも自分ながら情け無い考えである。 「人に親切にする」という事は、見返りを求めるわけではない。私はその行動に「何か裏があるのでは」なんて事を考えてしまった。世知辛い世の中代表である。 彼女の降りた駅は成城学園前で、決して「すぐ降りる」駅という距離ではなかった。私は、あれこれ考えながら本を読んだせいで内容が頭に入らず、もう一回読み返した。 親切にするのは難しい。タイミングだったり、相手の対応だったり。親切について、もう一度考え直さなければならないかもしれない。 そういや、子供の頃「情けは人のためならず」の意味を 「情けを掛けると、その人は楽をする事を覚えてしまうから、やらない方が良い」だと思っていたなぁ。嗚呼、世知辛い。 記:野間世知辛