13日の日記
働ひて 働き抜いて 八十の坂
八重の桜に まさる勲章
※これは、愚僧の安否報告メールです。
腰折れに、お付き合いいただき、申し訳ございません。 山手山拝
愚僧の父は、畏れ多くも、陛下と同じ昭和九年の生まれ。数えて八十、二月には満79歳になりました。
昭和二十年八月六日、広島の爆心地から700メートルの広島市横川町で被爆しました。小学生のころのことです。
地元の自動車メーカーを定年退職した後も、今住んでいる東広島市の印刷会社に通い、製品の納入など配送の仕事を続けてきました。
車の運転もそろそろ危ないので、今月限りで印刷会社を退職し、悠々自適の生活を過ごすことになりました。八十の声を聞くまで現役、我が父を誇りに思います。
退職を前に、父あてに先月送った桜の盆栽が満開になったと、母から写真がメールで届きました。父は、仕事の後のスーパードライと地元、西条の酒をゆっくり2,3合味わう晩酌が、なによりの楽しみで、土いじりなどとは無縁ですから、桜が咲くか、心配しておりました。幸い杞憂だったようです。
これからは、花咲か爺さんとして、毎年春を迎え、晩酌をゆっくり楽しんでほしいと願っています。
感謝、感謝。
不詳(不肖)の息子より