久島が死んだ
ごっちゃんです。
※「がちんこごっちゃんの日記」 たまに更新しています。
http://plaza.rakuten.co.jp/yamateyama/
まことに、お手数ですが、不要な方は削除してくださいますようお願いします。
田子の浦親方(元前頭・久島海、本名・久島啓太)が亡くなりました。
享年46歳。 合掌
愚僧は、大阪の堺大浜相撲場で、久島(日本大学)と相撲を取ったことはあり
ませんが、土俵下から見つめる天才力士でした。
体格にも恵まれ、日本大学の主将として日大相撲部の全盛期(今も日本大学は
個人の力はずぬけているが、団体戦は日体大や近畿大に取りこぼすことも、まま
あります)を支えたスターです。
仕切りの時に、胸やふくらはぎをパチパチたたいて、緊張をほぐそうとしてい
た姿が浮かびます。案外、気は小さかったのでしょう。
そんな姿に、相撲は1番強いのに、精神面で??? という印象を受けました。
それで、結局、三役にはなれなかったのでしょう。
久島啓太が和歌山の新宮高校3年でアマチュア横綱を取ったときに、愚僧の通
っていた京都の大学からスカウトに行こうかと、部員全員(5人くらいですが)
で相談したことがあります。
無料で、家庭教師をして、学力をつけ、京都の某弱小相撲部に入学させようと
言うもくろみです。
しかし、久島は、お父さんが靴屋さんをしていて、その靴を某N大学に納入す
るという裏話もあって、家庭教師の件は立ち消えになりました。
引退後は、大阪場所の折りには、先輩のつてで、某県庁相撲部を宿舎にして、
大阪府立体育会館に通っていました。
愚僧は、和歌山で仕事をしていた時期に、その某和歌山県庁相撲部に通って、
ちゃんこ鍋をご馳走になっていました。大阪場所の間に、相撲場に行くと、久島
がいて、一緒にちゃんこを食べたのも懐かしい思い出です。
太っている割におしゃれで、親方になってからは、床山さんでなく、六本木の
カリスマ美容室に通っているなどと言っていました。
太く短く、相撲取りらしい最期ですね。
衷心よりご冥福をお祈り致します。 合掌。
心妙院楽悟舞文遊棋居士
大相撲関連の記事は、下記サイトでお楽しみください。
総合情報サイト「毎日jp」 <http://mainichi.jp>
Follow us on Twitter! <http://twitter.com/mainichijpedit>