頚椎損傷の訳。。。とチワズ@
カイロの治療を受けた。
もとはと言えば・・カイロプラティックが事のはじまり・・
ある日私は;;体の不調を感じてふと目にした
カイロに行った。
そこは。。地元のサッカーのFC東京の選手の
サポートもしてる先生だし、
大丈夫かな?って思った。
そして。。その先生は私を見ると
体の左が悪いでしょう。
左部分、、顔面やら首やら腰やら
左が悪いと言い、
すぐに私はベッドに横になり
ボキボキと音を立てて
治療が始まった。
大丈夫かな?って思ったけど
その時は何とも無かったんだ。
帰ると軽いめまいがして、
ちょっと。。貧血の酷いのみたいに、くちゃって倒れた。
それで!これ!おかしい!って思って
すぐにカイロの病院に電話を・・
すると~水をいっぱい飲んでください、ってそれだけ。
その次の日に私は救急車で
真夜中に遠い病院に運ばれた。
レントゲンを撮ると何も無いと怒られた。
行きは救急車だし、薄手のTシャツ一枚、
帰りは電車で寒くてみすぼらしかった。
でも~夫が付き添ってくれていた。
しかし・・具合は更に悪くなり
まともに歩けなくなった。
にっちもさっちもいかなくなり
遠かったけど又同じ病院に通院。
MRIを撮った。
そして、又後日、、病院へ行った。
結果。。。。。先生は・・・
困った顔で~
頚椎損傷だと私に告げた。
治すにはどうすれば・・・と私がおそるおそる聞くと
これはペイン科(痛みを取るための注射を打つ科)
に行くしかないでしょうね。
私が紹介状を書くので大学病院に行ってください。
と紹介状をもらい、レントゲンを借りて
そのまま帰宅した。
そして、調べた結果・・
病院は遠かった。
近くの病院にはペイン科(麻酔科)は無かった。
頻繁に行かなきゃならないので通いきれないと判断した。
それで保健所に電話をして
ペイン科(麻酔科)のある病院を探した。
たまたま近くの総合病院を教えてくれて、
すぐ様電話をした。
先生は。丁寧な応対をしてくれて
次の土曜日に来てくださいと言った。
非公開でやってる治療だそうで、ちょっとびっくりされてしまったけど。
優しい先生で~私は全てをあずけた。。
行くと・・私は整形も受けることになった。
ペイン科の先生は
主に麻酔科で~オペの麻酔の仕事が主だったけど
午前中だけ
私のような痛みをどうする事も出来ない箇所に
ブロック注射を打ってくれていた。
私は、それから~半年間
首にコルセットを巻き
週3回ペイン科のブロック注射に通った。
長い日々だった。
首に太い注射を打つのは何度やっても恐かった。
人には色々と悪口を言われて
凹んだときもあった。
時には肩や腕にも注射を一度に3本とか打った。
注射の後はベッドで30分休む事になっていた。
又整形のほうで
手のしびれや、MRIを数回、
後~握力の検査などをした。
その他にもリハビリをしていたが
マッサージ等を受けると私は次の日に起き上がれない状態になった。
リハビリはペイン科の先生が断ってくれた。
(実際は整形の管轄なのだが)
半年。。経って・・
私の首は嘘のように元気になった気がした。
ある日~先生にもう痛みはかなり治まったというと
注射をやめてみようと言われた。
でも~これからは仕事は辞めて家事に専念しなさい。
と。
後バイクには一生乗らないでください。もう面倒見てあげないよ。
と。
看護婦さんの中にも~
くしゃみをしてヘルニアになった人が居て
医療用枕のいいのを教えてもらってすぐに買ったりもした。
あれから・・・・
私の体は見違えるように元気になった。
手も上に上がるし、後ろにも回る。
車にもバスにも乗れなかったのに、もう大丈夫。
しかし・・・根本的には治っては居ないのを痛切に感じる。
痛みは時々来る。
私の片頭痛は、肩こりは、目の痛みは、歯の痛みは
全部~首の痛みに連動してくるものだ。
幸い。。家の旦那は余り悲観的にならないタイプ。
私がどんなに具合が悪くても
気にしない。
ご飯がほか弁だったり
コンビニ弁当だったりしても文句も言わない。
だけど~カイロは首を施行しては駄目だと
私は痛切に感じた。
実際にはよくなって居る人も居るだろうが
医師にも。。
カイロは個人営業で
今日から私はカイロが出来ます、と病院を立ち上げると成り立ってしまうそう。
だから~ちゃんと国の国家試験に受かって
保険治療の効く医師の治療を受けてくださいと言う事です。
私の一度の過ちは。。私の人生の中にあるべくして起こったとは思うのだが
私には。。とても大きな試練だった。
そんな時に家にヤマトが来た。
ヤマトは私がいつも具合が悪いので
朝は通院のために留守番。
でも~
ヤマトが来て元気をもらい、
私はヤマトを何処にでも連れて行った。
電車にも乗せて自由が丘まで連れていったり
吉祥寺にもよく行った。
いける範囲では私は幼いヤマトを何処にでも連れ出した。
心のあったまるひと時だった。
ヤマトはとても忍耐強いワンコだった。
私の辛い時もいつも寄り添ってくれた。
今思えば。。ヤマトでよかったけど
ヤマトには。。。窮屈な思いばかりさせてしまったと思う。
それに~初めてワンコを飼うというので張り切って
ヤマトにはかなり厳しいしつけをしてしまった。
ヤマトは考えるワンコになったと思う。
でも~元もと性格が穏やかで
我慢強い子だったとも思う。
おかげさまで~ヤマトは人間にも犬にもなつっこいワンコになったけど。
ローリーの来たのは
ヤマトが1歳を過ぎた頃、
ローリーはヤマトと反対の性格で
明るさをくれた。ヤマトには十分癒された私だ。
私の状態が良くなり、ブリーダーさんも心配してたけど
大丈夫です、と言うと
ちょっと予定より遅れちゃったけど4ヶ月でお目にかかれた。
最初に空港の籠から顔を見たら胸キュンとなった。
ローリーは私の辛い時を余り知らない。
多分解ってもそんなに~
気を使うワンコでは無い気もするけど
天真爛漫さに私の心は更に癒された。
あの子は天使だよ。。
今~時々寝込むときもあるけど
大体元気に日に2度散歩に出るし。
旅行にもいけるようになった。
夫は私の具合の悪い時も愚痴も言わずに
毎日もくもくと仕事を頑張ってくれた。
首と言うのは怖い。
手術をしても半身不随になるケースがままある。
保険のきかないオペをすると300万は一度のオペでかかる
他にも~一回の診察代も馬鹿にならない。
成功すればいいが、それでもはねっかえりと言うのがあり
何週間もその痛みに今度は耐えなければならない。
保険医療をしたにもかかわらず
その年我が家は高額医療費の確定申告をした。
人間って出会うべくして色々な人や事に逢うけど
昔~一緒にバイクの免許を取ったお姉さんが
【神様はその人に耐えられない不幸は与えない】と言っていたのが
励みにもなった。
私はいつも~
私の生活には絶えず痛みが伴うけれども
でも~
ヤマトとローリーと
働き者の正直な夫が居てくれて
良かったと思う。
古いマンションから新築にも移れたし、
ちょっとローンは大変だけど
売ったお金で15年7ヶ月もローンが減ったし。
世の中~悪い事ばかりじゃないって思う。
楽しい事と隣あわせで大変な事もあるけど
それは全部私の中で消化できるって思う。
この事をまとめて書くにあったっては
私を励ますために、心配しながら
ワンコを山口から送ってくれたブリーダーさんや
いつも陰になり~私の事を励ましてくれている父や母に
頑張ろうって言うメッセージなんだけど
この病気をこんなに詳しく公開するのは
ためらいもあったけど
どこか悪いところを持って生きるのも
ありかなてって思うんだ。
私は・MRIを撮れば治っていないということになるとは思い
検査をしても治らないので今はほったらかしにして
有酸素運動がいいので
チワズの散歩で一石二鳥でルンルン散歩にいそしんでいる。
ヤマトとローリー0^^0
頼りないママだけど宜しくね。
あなた達が幸せでいる事を見ると私は痛みを忘れるのよ。
あなた達が散歩で走っていると私も思わず走ってしまうのよ。
そんな些細な幸せが今の私には必要なのよ。
*最後まで読んでくれてありがとう*
;お休み;
いつか~きっともっともっと心休まる生活に・・