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「錦絵?」
「ええ、今日は絵草子屋に新しいのが入るんですけど、それって人気絵師のヤツやさかい、すぐ売り切れになってしまうんです」 「いいぜ、パシリぐれーはしてやるよ。で、何て絵師のどんな絵が欲しいんでェ?」 「月岡津南作、“剣客・伊庭八郎”!」 「ほー、幕末一の人気美剣士、“隻腕の伊庭八(イバハチ)”か…」 和月伸宏さんの「るろうに剣心」巻之六“番外編・左之助と錦絵(前編)”より一部抜粋 とまぁ、「るろうに」で左之も認めていたように、伊庭八こと伊庭八郎秀穎といえば隻腕の美形剣士として有名だが、幕末の江戸四大道場の一つである心形刀流・伊庭道場の8代目・伊庭軍兵衛秀業の長男として生まれ(後に9代目・伊庭軍兵衛秀俊の養嗣子に)ながら幼い頃は学問に熱中し、宮本武蔵の絵に触発されて剣術を習い始めたという。ところが剣をとればたちどころに天賦の才を発揮し、“伊庭の小天狗”と呼ばれるまでに。 天才剣士にして、彼は白皙長身でかなりの美男子でもあったらしい。新選組副長・土方歳三同様、彼に関する記述には大抵「美形」という文字が… 伊庭八は21歳の若さで奥詰衆(将軍の親衛隊)に抜擢され、後に奥詰衆が幕府遊撃隊に再編されると、伊庭八は隊を率いて鳥羽伏見に出陣。しかし新政府軍にあえなく敗れて江戸に敗退、小田原藩との箱根の戦いでは左手を失ってしまった。 隻腕となりながらも持ち前の闘志は衰えず、旧幕府軍の最後の砦となった函館に向かう。 五稜郭で行われた士官以上の公選による役職人事で歩兵頭並、遊撃隊隊長となった伊庭八は、幕軍を率いて徹底抗戦を続けるが、木古内の戦いで重傷を負ってしまう。 「養生不叶(手の施しようがない)」と医師に診断された伊庭八は、五稜郭開城の前夜に榎本武揚の差し出したモルヒネを飲み、25年(享年26)の短くも激動の人生を自ら閉じたのであった。 美形、天才剣士、隻腕、でもってその悲劇的な最期。惚れるな!という方が無理ってモンだろう。 おそらく幕末好き歴女さん達の隠れ人気No.1ではなかろうか? (表向き人気No.1は、やはり新選組の沖田総司…もしくは土方さんあたりだろう。あ、でも近頃は「龍馬伝」の影響で、坂本龍馬や岡田以蔵なども人気があるのかな?) でもせっかくの美形天才剣士なのに、名前が八郎ってのが…ちょいと残念!? (^^ゞ (全国の八郎さん、すみません。ちなみに私も楽天リンクスでは楊八郎と名乗っております) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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