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2011.02.14
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カテゴリ:史跡巡り
 浪速のことは 夢のまた夢…。

 13日の日曜日、15時きっかりにバイトを終えるやその足で新幹線に乗り、ふらり大阪へと行ってきた。
 16:30新大阪着。迎えに来てくれているはずのだんなさんの携帯に何度も電話するも、一向に繋がらない。はて…?どこか電波の届かない所にでもいるのかしらん?何度目かの電話がやっと繋がったと安心したのも束の間、仕事が忙しくてまだ自宅にいると言う。
 …今までの電話、故意に切ってやがったのか!ムカッ
 「じゃあいいや、先に大阪城見てくるから。その後でまた電話するわ」と、何とか平静を保ちつつ電話を切った。

 ま、しゃあないか…と気を取り直し、お城へ向かう。新大阪から地下鉄御堂筋線で本町へ向かい、本町で中央線に乗り換え、お城に近い谷町4丁目で下車。てくてく歩くこと数分、夢にまで見た大阪城の天守閣が黄昏時の薄闇の中から姿を現した。おおおッ!こんな街中にあったのかぁ。
 だいぶん辺りが暗くなってきたので慌てて大阪城公園へ。うひゃあ、お堀広ッ!石垣デカッ!こりゃおらンとこのお城とは(当たり前だけど)全く比べ物にならねぇわ(゚д゚) 凄いよ、太閤さん。
(中でも一番大きな石が備前産の花崗岩だとの説明書きにちょっくら鼻高々。池田の殿様、偉い!)
 歩き続けてやっと天守閣に到着した頃には既にお城は闇の中。美しくライトアップされたお城を外からぼんやり眺めるしかなかったが、あまりに明るく、あまりに新しくて派手なお城に心中ちょっぴり興醒めショック でもまぁ派手好きだったという太閤さんにはピッタリか…(^^ゞ

 今の大阪城は豊臣秀吉が築城したものとは異なり、落城後に徳川家が再建したものではあるが、今から400年ほど前に関ヶ原の戦いが起こった際にはこの城に西軍が終結し、また大坂の役(大坂冬の陣、夏の陣)の舞台にもなった城である。
 石田三成は、大谷吉継は、毛利輝元は、宇喜多秀家等は、そして真田信繁(幸村)は、後藤又兵衛は、長宗我部盛親等はどのような思いを抱いてこの荘厳華麗な城を仰ぎ見たのであろうか。嗚呼、浪速のことは 夢のまた夢…。
 万感胸に迫りつつ、携帯カメラのシャッターを押した…うーん、いつもながらボケボケ。

 谷町4丁目駅から再びだんなさんに電話を入れる。家から最も近い駅は十三だと言う。
再び地下鉄中央線で本町へ戻り、御堂筋線で梅田へ。そこから阪急電鉄に乗り換えて十三に到着。ふぇ~、街の人ってホンマによく歩くわ。
 十三駅でやっとだんなさんとおち合い、ラーメン屋さんで夕食を済ませてから更に歩き、彼が設計に携わっている建物の脇を通って家へ向かう。思えば彼の仕事場を見るのは今回が初めてだ。
 家に着いてからも彼は黙々と徹夜で仕事。そりゃ電話も切りたくなるわな、とちょっぴり反省しつつ、その傍らで私は本を読みながらいつの間にか爆睡していた。
 翌朝は午前7時に揃って家を出て、だんなさんは出勤、私はそのまま駅へ。一体何をしに行ったんだろう?8時半に大阪を発った時はまだどんより曇っていた空が、9時半に岡山に着いてみるとすっかり雪模様。早く帰って良かった。
 次はもっと暖かくなってから、休みを取ってゆっくり行こうっと♪ その時までだんなさんが過労でダウンしていないことを切に祈りつつ。 





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Last updated  2011.02.16 09:44:07
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