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2012.10.19
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カテゴリ:Heavenly Rock Town
ドアから夜の冷え込んだ外気が流れ込み、いつものようにリッキーがひょいと顔を覗かせた。そして彼はこれまたいつもと同様に、レジカウンターを片付ける私の横で体内チップ認証決済端末機の売上データに目を通しているイアンにも声を掛けた。
「お疲れ、イアン。今日はもう閉店?」
「ああ、悪いがまた外の札をひっくり返しといてくれ」
「了解」とリッキーはドアの外に掛かっているOPEN札を裏返してCLOSEDにし、内側からドアを厳重に施錠した。いつの間にかこの作業は、ほぼ毎日閉店時に私を迎えに来るリッキーの仕事になっていたが、彼は嫌がる風もなく寧ろ進んで引き受けてくれていた。
「そうそうリッキー、『天界ガイドブック』の原稿は見てないだろ?」
 ニヤリと笑いながら顔を上げたイアンは、からかうように私の顔を見た。
「キオに依頼したこの町の紹介文なら俺は見てないけど。ちゃんと書けてたかい?」
「勿論だとも。今年のガイドはキオの労を労って1冊進呈するから、まぁ読んでみろよ」
「へぇ、それは楽しみだな」
 ファルコからリッキー礼賛文と揶揄された自分の原稿を改めて思い出した。つい真夜中の妙なテンションに浮かれて書き上げてしまったが、却って彼に迷惑を掛けるかもしれない。何せイアン曰く、隔年発行されるガイドブックは天界で最も売れる本なのだとか。
「いや、あの…あれは…」
「ん?どうした?じゃあそろそろ帰ろうか、またなイアン」
 しどろもどろに弁解しようとしていた私に構うことなく、リッキーがさっさと裏口に向かったため、私も慌てて店長に挨拶をしてから彼の後を追った。

「…町の紹介の中で俺のことを書いた?」
 帰りの暗い夜道を二人で歩きながら、私はリッキーに紹介文の内容とファルコに言われた言葉をそのまま正直に伝えた。
「ごめんなさい。この町についてありのまま書こうとしてたら思わずリッキーのことが頭に浮かんじゃって、つい…」
 事実、私にとってこの町の魅力とは、嘗て地上で憧れた様々なミュージシャン達と直に接しながら生活出来ることが全てであり、中でも世話役を引き受けてくれたリッキーの献身的な優しさや気遣いこそ、この世界における私の最大の喜びでもあった。
「気にする必要はないよ。ここは確かに住み心地は良い所だけど、刺激がなくて退屈な世界だから、何か新しいことがあるとみんな直ぐに飛びつくのさ。ガイドには色んな町の新情報が載ってるからね」
「へぇ、そうなんだ」
「俺がこの町に来て初めて買ったガイドにはちょうどSex Pistols(セックス・ピストルズ)のシド・ヴィシャス(Sid Vicious)が寄稿してたんだけど、彼なんかただ一言『F U C K !』としか書いてなかったし。他にもカート…カート・コバーン(Kurt Cobain)だったかな、Nirvana(ニルヴァーナ)っていうバンドの。10年以上前に彼が書いた紹介文はかなり奇妙な物だった。奇妙っていうか、彼を知る人にはかなり衝撃的な内容だったみたいだよ」
 カート・コバーンといえば94年春、27歳という若さでイアン同様自らこの世界に来たニルヴァーナのヴォーカル兼ギタリストであるが、彼の死については妻であったコートニー・ラブ(Courtney Love)による暗殺ではないかとの噂が未だ絶えない。リッキーの言う奇妙な紹介文とは、カート自らの筆による死の真相だったのかもしれない。

 私達の暮らすアパートメントは、町の中心部から徒歩30分ぐらいの所にあるNew Wave地区(ニュー・ウェイヴ地区。略してNW区)の一隅に建っており、アパートに程近い通りを挟んですぐ西側は、四六時中酔っ払いや薬物中毒者達が屯していると噂されているHR/HM地区だ。実際にはそれほど酷い場所ではないものの、やはり暗くなると町全体が安全とは言い難い。
 この辺りは白人と黒人が住民の大半を占め、アジア人、それでいて女性となると、結構珍しい部類に入る。流石に地上のような人種差別は無いが、からかわれたことは何度かあった。同じアジア人住民である香港のロックバンド・BEYOND(ビヨンド)のヴォーカル兼ギタリストだったウォン・カークイ(黄家駒)や、私より3ヶ月後にこちらへ来たフジファブリックのヴォーカル兼ギタリスト・志村さんこと志村正彦さんも男性ながらにして同じような目にあったことがあると言っていたっけ。
「お前ら、こんな所で何してんの?」
 背後から男の声がした。またしてもからかいか、それともリッキーと一緒だというので冷やかしだろうか――。
「何って二人共今帰りだよ。ベンも仕事帰りかい?」
 えッ、ベン?
「おう、だったら3人で今から飯でも食いに行くか」
「いいね。キオもOK?」
 慌てて振り返ると、階下に住んでいるベンがポケットに手を突っ込んだまま銜え煙草しながら立っていた。声で気付かなかったのはそのせいだ。

sidvicious.jpg John Simon Ritchie (May 10, 1957 – February 2, 1979) シド・ヴィシャス
nirvana.jpg Kurt Donald Cobain (February 20, 1967 – April 5, 1994)
beyond.jpg 黄家駒 Wong Ka Kui (June 10, 1962 – June 30, 1993)
fujifabric.jpg 志村正彦 Masahiko Shimura (July 10, 1980 - December 24, 2009)





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Last updated  2023.06.20 17:54:50
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