カテゴリ:Heavenly Rock Town
私達が暮らしているアパートメント1階の空部屋に越してきたのは、フィヨルドの国・ノルウェーで82年に結成されたロック・バンド、Raga Rockers(ラーガ・ロッカーズ)のギタリストで、85年1月に25歳にして自動車事故によりこの街へ来たブルーノ・ホーブデン(Bruno Hovden)という男性だった。 彼の住んでいるアパートメントが老朽化により建替工事をするそうで、その間の仮住まいにここを指定されたのだとか。 ブルーノが生まれ育ったノルウェーを含む北欧は、今や “北欧メタル” というカテゴリーまであるほど数多くのHR/HMバンドを輩出しているが、彼がまだ地上にいた80年代半ば頃迄で世界的に活躍していたノルウェーのミュージシャンといえば、ギリギリA-haとTNTぐらいなものだろう。 なので87年生まれの一般アジア人である私は元より、セルビア人ロッカーのボヤン(Bojan Pecar / Ekatarina Velika)や英国人キーボーディストのロブ(Rob Fisher / Naked Eyes)、更に米国人ミュージシャンであるリッキー(Ricky Wilson / The B-52's)とベン(Benjamin Orr / The Cars)でさえ――即ちアパートの住人全員がRaga Rockersを知らなかったのも当然と言えよう。 但しリッキーだけはブルーノと同じ85年に【Heavenly Rock Town】へやって来て、お互い30年近くもここで生活しているため、一応顔見知りではあるらしかった。 街路を彩る花水木の、淡く愛らしい白やピンクの花々が道行く人々の心を和ませる。リッキーと私は仕事帰りに待ち合わせをし、アパートとは反対方向にあるレコードショップに向かっていた。 「ワシントンDCで毎年桜祭りが開催されるのって知ってる?日本人が米国に桜の木を寄贈してくれたのが始まりだけど、その返礼として米国から日本に贈ったのがこの花水木なんだってさ」 「ワシントンの桜の話は何となく知ってたけど、お返しが花水木だったなんて。今リッキーに聞くまで知らなかったわ」 通りに沿って可憐に咲き誇る花水木の木々に目を遣りながら、私達は目的地までのんびりと歩いた。春の夜風が涼やかに花々を揺らし、花びらのような総苞片がひらひらと舞い落ちる。頭上から降ってくる総苞片を両手の平で受け止めた私は、ふと故郷に思いを馳せた。 「私の生まれ故郷は桃の産地で、県花が桃の花なの。桃の花もこんな白やピンクだったんで、何だか急に思い出しちゃった」 「それは奇遇だね。俺の故郷・ジョージア州も愛称がPeach Stateだったよ」 「へぇ、そうなんだ。そういえばベンも確かジョージア州に住んでたんだよね、アトランタに」 3人の意外な桃つながりが判明したところで目当てのレコードショップが見えてきた。 NOMI RECORDS ―― その名のとおり、ドイツ出身のシンガー兼パフォーマーだったクラウス・ノミ(Klaus Nomi)ことクラウス・シュペルバー(Klaus Sperber)が営むこのレコードショップは、欧州を中心としたマイナーバンドのアルバムの品揃えに定評のある、マニア向けの店として知られている。且つてボヤンが在籍していたユーゴスラヴ・ニュー・ウェーブ・バンド、EKV(Ekatarina Velika)のアルバムを購入したのも、この店からだった。 「やあ、同士(Fellow)」 83年8月に39歳でAIDS(後天性免疫不全症候群)によってこの町に来たクラウス・ノミは、最も早くAIDSで死んだミュージシャンと言われている。以前リッキーに連れてきてもらった時もそうだったが、彼はリッキーを必ず「同士」と呼ぶ。何故ならばリッキーもまた、2年後の85年秋に彼と同じ病でこの町へ来たからだ。85年といえば、日本ではまだ初めてのAIDS患者が認定されたばかりであったというのだから、如何に早くして二人が当時最も恐れられていた病に倒れたかが分かる。 「やあ、クラウス。ブルース、頼んでたアルバムは見つかったかい?」 そしてクラウスの元で働いている米国人グラム・ロック・ミュージシャン、ジョブライアス(Jobriath)ことブルース・ウェイン・キャンベル(Bruce Wayne Campbell)もまた、AIDSにより逸早くこの世界にやって来たミュージシャンの一人だ。彼はロック・ミュージシャンとして初めて自らがゲイであることをオープンにし、83年8月――クラウスより3日早く、36歳にしてこの町へ来ている。 レコード会社が破格の金額で契約し、大々的な宣伝を繰り広げたものの、リリースしたアルバムのセールスはパッとせずに終わってしまったジョブライアス。その後はコール・ベルリン(Cole Berlin)と名乗り、キャバレーやクラブを回っていたのだとか。ジョブライアス時代のことはあまり触れたがらない彼の胸中を推量してか、リッキーはいつも彼を本名であるブルースと呼んでいる。 「よォリッキー、今日も彼女と一緒だな。Raga Rockersなら1stも2ndもあるけど、どうする?」 「ん…2枚とも貰うよ」 「じゃあ1枚15で30だ」 「OK」 貨幣のないこの町では通貨単位も勿論ない。当初は数字だけで金額を表すことに違和感があったものの、いつの間にか不便ながらも慣れてしまった。そして支払は体内チップ認証決済端末機に指で軽く触れるだけで済んでしまう。個人の収支は町の中枢である情報管理センターで、個別番号により一元管理されているのだ。 リッキーが端末機に触れている間、ジョブライアスはCDを慣れた手付で紙袋に突っ込むと、暇そうにしている私に手渡した。 Erling Bruno Hovden (August 26, 1960 – January 21, 1985) Klaus Sperber (January 24, 1944 – August 6, 1983) クラウス・ノミ Bruce Wayne Campbell (December 14, 1946 – August 3, 1983) ジョブライアス お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.06.25 18:09:07
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