カテゴリ:Heavenly Rock Town
ファルコ達と暫し談笑してからカウンターに戻ると、ブルーノとボーナは東洋人っぽい顔付きをしている見知らぬ男性と楽しそうに飲んでいた。ラズルはその後ろで相変らずカウンターに突っ伏している。
「キオ、コイツはヴィクトル。ロシア人だが見ての通りアジア系なんだぜ」 と、ブルーノが何故か得意気に彼を紹介した。 「ヴィクトル・ツォイ、高麗人だ。君は…日本人か?」 どうやらマークが私を蝶々夫人と紹介してくれた時にはまだ来ていなかったらしい。もしくは興味が無くて聞いていなかっただけかもしれないが。 「ええ、高崎樹央、日本人です」 「日本には一度だけ行ったことがある。90年の春頃だったかな…いい所だった。その数ヶ月後にはヘマやらかしてこっちの世界に来ちまったけど」 彼はロシアビールを飲み干すと、スティーヴにウォッカを頼んだ。 ヴィクトル・ツォイ(Viktor Tsoi)はロシアがまだソビエト連邦だった81年にレニングラード(現・サンクトペテルブルク)で結成された伝説的ロック・バンド、Kino(キノー)のヴォーカル兼ギタリストで、朝鮮系ロシア人だ。ロシアでは今なおロックの英雄として語り継がれているヴィクトルは90年8月、ラトビアからレニングラードへ車で向かう途中にバスと激突し、28歳でこの町へ来たという。 「ほいよ、ビーチャ。ロシアン・スタンダードだ」 「Спасибо.(どうも)」 ビーチャ(Витя)というのはヴィクトルの愛称であるらしく、スティーヴが差し出したショットグラスを受け取った彼は、ロシア語で軽く礼を言うと立ったままグイッと一気にウォッカを呷った。 「君も日本で音楽をやってたのか?」 銜えた煙草に火をつけながら、ヴィクトルは等閑な質問をしてきた。 「ううん、私はただの一般人。恋人とドライヴ中だったんだけど、事故を起こす前にたまたま “憧れの人が大勢いる世界に行きたい” って半ば冗談で言ってたら、ここへ連れてこられたの」 「ふーん、じゃあ恋人もこの町に?」 「彼は “サムライの時代に行きたい” なんて言ってたものだから、【Eastern Fighting Land】っていう所に連れて行かれちゃったみたい」 「離れ離れになっちまったのか。君も相手も辛かっただろう」 「最初の頃はね…。でも世話役を引き受けてくれたリッキーや回りの人達が優しくしてくれるから、今ではすっかりこの町にも馴染んじゃって」 「そうか。そいつはよかったな」 ヴィクトルは穏やかな微笑を浮かべると、いきなり私の頭をくしゃくしゃと撫でた。カウンター席に座っている私の頭が、立っている彼のちょうど胸の辺りにあるので、何の気なしに、ごく自然に触れたのだろう。私は胸の奥が微かに熱くなるのを感じた。 「キオ、そろそろ帰ろうぜ」 ブルーノに促されて時計を見ると、23時を回っていた。 「何だよ、もう帰るのか?今夜はやけに早ぇじゃねえか。まだいいだろ、なぁビーチャ」 ボーナはヴィクトルに同意を求めるよう彼の肩に腕を回そうとしたが、ヴィクトルはその腕をするりと潜り抜けると茶目っ気たっぷりの笑顔をこちらに向けた。 「ブルーノはこのお嬢さんを送ってやんなきゃならないからな。俺ももう帰るわ、ボーナ」 むくりと起き上がったラズルとボーナに別れを告げ、私達3人は店を出た。生暖かい夜風が火照った頬にまとわりつく。 私はブルーノに奢ってもらった礼を言い、続いてヴィクトルにも別れの挨拶をしようとしたが 「悪いな、俺ン家もこっちなんだわ」 と苦笑されてしまった。 「ビーチャもNW区の住人だから、帰り道は同じだぜ」 「ご、ごめんなさい」 謝りながらもヴィクトルともう少し一緒にいられることに、胸が弾んでしまった。同じアジアの血が混じっているからなのか、それとも先程の頭くしゃくしゃのせいなのか、既に私は彼に対して勝手な親近感を抱いていた。いや、親近感というよりも……。 ほろ酔い3人組がフラつく足取りで歩いていると、俺ン家あれだから、とヴィクトルが通りの向かいにある5階建アパートを指差した。ここから通りを真直ぐ突き進み、左に折れて50M程行けば私達のアパートがある。意外と近くに住んでいるのに、今まで全く知らなかった。 「じゃあな、ビーチャ」 そう言ってブルーノは気にも留めない様子でスタスタと歩き出した。飲み仲間であるヴィクトルの家など、今更言われなくてもよく知っているのだろう。ついて行かなければ、と思いつつも私は立ち止まってヴィクトルの顔を見上げた。 「おやすみなさい、ヴィクトル。今日は楽しかった」 「ビーチャでいいよ」 「じゃあ、おやすみなさい…ビーチャ」 「おやすみ、お嬢さん」 「私もキオでいい…」 視線が絡み合った。頬が熱いのはアルコールのせいだけではないだろう。鼓動が速くなる。 「Добройночи(おやすみ)、キオ」 ヴィクトルの顔がゆっくりと近付いてきて、私達は唇を重ねた。おやすみの接吻というには余りにも長く、熱い口付だった。 Viktor Robertovich Tsoi (June 21, 1962 – August 15, 1990) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.07.13 18:42:43
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