カテゴリ:Heavenly Rock Town
翌朝、鳴り響くアラームに起こされた私は、目を閉じたまま枕元の目覚まし時計に手を伸ばしていつものようにストップボタンを叩いた。しかしアラームは鳴り止まず、二度三度と執拗にボタンを叩き続けたところで、それが時計ではなく電話の呼出音であることに漸く気付き、慌ててベッドから飛び起きて受話器を取った。
「何だ、キオ、まだ家にいるのか?もうとっくに出勤時間は過ぎてるぞ。どうせ昨夜CCBで飲みすぎたんだろ」 店長のイアンからだった。時計の針は既に10時20分を指している。ヤバい、大遅刻だッ! 「す、すみません。すぐ行きます!」 すぐに行くとは言ったものの、勤務先である書店まで私の歩速だと約40分程掛かる。大急ぎで身支度を整え、止むを得ずタクシーを呼ぶことにした。 この町では自家用車の所有は禁止されているが、バスやタクシー、貨物自動車といった事業用自動車のみ認められている。但し貨物自動車に比べ旅客自動車の数は極端に少なく、望みどおりタクシーを呼べるかどうかは運次第なのである。この町唯一のタクシー会社に電話するのは今回が2度目で、前回は予約が埋まっていて駄目だった。 今日は運よく空きがありますように…。祈りが天に通じたのか――まぁここも一応、天のような所ではあるが――「今からすぐに向かわせます」とのことで、私はエントランスホールで待つことにした。 皆が出払って静まり返るアパートメント内の階段をゆっくりと降りながら、改めて昨夜出会った人達を思い起こした。 バーのマスターであるT.Rexの二人を始め、やけにスウェーデンビールに拘っていたボーナ、ひたすらカウンターに突っ伏していたラズル、ファルコに紹介してもらったコージー、それからビーチャことヴィクトル。 頭を撫でた彼の大きくて温かな手、風貌にそぐわぬ柔らかな唇の感触。酔いのせいでもあったが昨夜の別れ際、私の心は完全にビーチャに傾いていた。今、こうして思い出すだけでも胸の高鳴りがぶり返してしまうほどに。嗚呼、リッキーもビーチャのように積極的になってくれたらなぁ…。 タクシーはあっという間に来た。この世界で作られたものなのか、はたまたあちらの世界から何らかの手段を用いて運び込まれたものなのかは分からないが、ロンドンの黒塗タクシー、通称・ブラックキャブそのものである。しかも何故か現行モデルのAustin TX4だったりする。私が今いるこの世界は本当に死後の世界なのだろうかと疑いたくなる。 「すみません、情報管理センターの先にある “Interzone” という小さな書店まで……ええッ!?」 行先を告げながら助手席の窓を覗き込んだ私は、見覚えある運転手の顔に驚いた。 「ボ、ボーナ!?」 「何だ、キオじゃねえか。さぁ乗った乗った」 昨夜CCBで知り合い、一緒に飲んだばかりのボーナだった。昨夜は浴びるほど飲んでいたというのに、もうすっかりアルコールは体から抜けているようだ。 ボーナが運転するブラックキャブは私を乗せると、恐ろしい勢いで発進した。 「えっと、どこまでだっけ?」 ひょっとするとオーブロがまだ抜けきってないのかもしれない。 「“Interzone” って書店よ、情報管理センター先の。ボーナ、まだお酒が残ってるんじゃない?」 「馬鹿言うなよ、たったあれだけで。それよりもキオ、お前の方こそ二日酔いで寝坊でもしたんじゃねえのか?」 意外と鋭い男である。 「大当たり。さっき店長からの電話で起こされて、大慌てで職場に向かってるところ。それにしてもボーナがブラックキャブの運転手だったなんて、ちょっとビックリ」 「そうか?CCBに集まる連中ってのはやっぱ車好きだった奴が多いから、結構運ちゃんもいるんだぜ。ホラ、この車の前をバスが走ってるだろ?あれを運転してるのはコージーだ」 まさか愛車・サーブに乗車してM4(高速道路)を酩酊状態でシートベルトもせず、GFと携帯電話で会話しながら時速167kmで突っ走って最期を迎えたコージー・パウエルが、この町では希少なバスの運転手だったとは。知らない方がよかったかもしれない。 「車好きだったかは知らねえけど、ラズルだって貨物の運ちゃんやってるしな」 「あの、寝てばっかりだったラズルが?」 「おうよ。アイツ、ちゃんと運転してんのかなあ」 「でもファルコは役所勤めなんだよね」 「そういやぁそうだったな。あとビーチャも」 ビーチャ。ボーナが発した彼の名前に一瞬胸が踊ってしまった。私が好きなのはリッキーであるはずなのに。 それにしてもビーチャはどんな仕事をしているのだろう?ボーナに尋ねようかどうしようか逡巡しているうちに、ブラックキャブは目的地である書店の前に停車してしまい、すっかり聞きそびれてしまった。 「着いたぜ、ここだろ?」 「あ…うん。有難う」 ひとまず車を降り、窓からボーナが差し出した端末機に軽く触れて、チップ込の料金20を支払った。 「じゃあな、キオ。またCCBで会おうぜ」 遠ざかるボーナのブラックキャブを見送ってから、私は急いで書店に駆け込んだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.06.25 19:11:49
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