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2013.07.22
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カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、その独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていたギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡をざっくりと辿ってみようという無謀な試みの3回目。
 今月3日、米ハーバード大学の研究チームがエイズウイルス(HIV)に感染していた患者2人に骨髄移植を行ったところ、血液中からHIVが検出されなくなったとの発表があった。ひょっとすると近いうちにAIDSは治る病気になるのかもしれない。85年に32歳にしてこの病で命を失ったリッキーのことを思うと、喜ばしいニュースながらちょっぴり胸が痛むのであった…。



 76年秋に初めてのジャムセッションで盛り上がったリッキー等5人は、翌年になるまでずっと曲作りを続けていた。そんな彼等が見つけた練習スペースは、El Doradoすぐ裏のMorton Buildingだった。ここは米国で最初のアフリカ系アメリカ人のヴォードビル劇場の一つで、キャブ・キャロウェイ(Cab Calloway)やルイ・アームストロング(Louis Armstrong)等もモートンのステージで演奏したという由緒ある建物なのだが…。
 この建物、一部は斎場や霊安室としても使われていたため、バンドは床が傾斜して排水管まで備わっている流血室(?)を使ったりしたらしい。ヒ~ッ(゚д゚;) 彼等は練習の騒音がEl Doradoの客の迷惑にならぬよう、卵ケースで壁を覆って防音に努めたのだとか。
 この頃になると各自の楽器も決まり、最初のジャムでコンガを叩いたリッキーはギターを、代りにキースがコンガ(ドラム)を担当。ケイトはファーフィサオルガン、シンディはボンゴ、フレッドがトランシーバーとおもちゃのピアノ。そしてこの3人がヴォーカルも受持つこととなった。
 キースのインタビュー記事によると、当初リッキーとキースは絶えず楽器を変えていたそうだが、担当楽器を決める際にキースはこう言ったんだとか。“Look, you should play the guitar.
既にキースはリッキーの驚くべきギターの才能をちゃんと見抜いていたのね。

 リッキーがオープンチューニングを使い始めたのは、キースと共におバカな歌を作っていた間ぐらいかららしい。Gの弦(3弦)がかなり頻繁に切れがちだったものの、あまり交換する余裕がなかったリッキーは、“ま、このままでいっか”とギターの状態に合わせて弾き続けてみることに。弦が欠けたことによる制約がもたらした効果-それはコードとリードラインを即興で交互に演奏することで、実質上2つのギターサウンドを作り出すことを可能にした。
 リッキーはついでに4弦も取っ払い、低音弦(5・6弦)はパワーコードのチューニング、高音弦(1・2弦)はユニゾンのチューニング、という超変則チューニングを施してギターとベースを兼ねた彼独自の演奏方法を編み出した。正に必要は発明の母、というヤツですな。
(ギターの知識が全くないため、間違っていたらすみません)

 ジャムセッションをしながら、彼等は型にはまらない、自由な曲作りを独特の方法で開発していった。大まかにはリッキーとキースが曲を書き、シンディとケイト、フレッドがその場で歌詞を作っていたが、歌ったり演奏したりしながら意識の流れに沿って組み立てていったらしい。
 セッション中は常に録音し、疲れたら皆でそのテープを聴いたそうな。そしてその中で好きな部分を抜き出して、そのテープとは別の“Library”テープの上へ歌をつなぎ合わせ、でもってそのうえ更に歌が洗練されると、“Library of the Library”テープに記録するという、かなり時間と労力の掛かる方法で曲作りに励んでいった。

 77年2月初頭、El Doradoでアルバイトをしていたジョージア大学の学生・ジュリア(Julia Stimson)は、バレンタインデーに同じ大学の学生でルームメイトのグレイ(Gray Lippett)の為にバースデーパーティーを開催しようと思い立った。同じ店で一緒に働いていたフレッドにその話をすると、是非自分達のバンドを演奏させてほしい、とのこと。ジュリアがフレッドの提案を聞き入れたことにより、バンドの初ライヴが決定!
 と同時に5人の頭を悩ませる問題が発生。さて、バンド名をどうするか?である。幾つかの候補が挙がったが、いずれも今ひとつであった。
 そんな折、キースはデカいふわふわ頭のキーボーディストと共にモーテルのラウンジで演奏している夢を見る。誰かがその頭を見て言った。“The B-52's”だ!と。“B-52”は航空機のノーズコーン(ロケットやミサイルの円錐状の頭部)に似ていることから、ふわふわ頭の俗語であった。
 夢から覚めたキースは、響きの良さが気に入りこれをバンド名にしようと提案。戦略爆撃機であるB-52との関連はなく、単に髪型から思い付いたんだよ、いやホントに雫ということである。

 そして迎えたバレンタインデーの記念すべき初ライヴ。The B-52'sはジュリア&グレイの家の入口の間に楽器をセットしたため、客は全員台所の裏口から入る羽目に。それでも10時までに、小さな家には多くの客が押し寄せた。客の中にはキース・ベネット(Keith Bennett)のように招待されていない者もいた。このキース、この時たちまちシンディにまいってしまい、後に彼女と結婚に至るのであーる。
 B'sが“Planet Claire”の演奏を始めるや、客達はみんな踊りだした。この激しいお祭り騒ぎのせいで、家の床板が剥がれてトランポリンのように跳ねていたという。客の誰もが笑い、踊り、皆は最高に楽しんだ。
 こうして彼等の初ライヴは大成功を収めたのであった(^^)

ricky





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Last updated  2013.07.26 16:07:51
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