カテゴリ:The B-52's
Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)
The B-52'sの設立メンバーであり、その独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていたギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡を辿ってみようという無謀な試みも、今回で5回目を迎える。たとえ全く需要がなかろうと、リッキーに関する知り得る限りの情報をかき集めつつ、延々と書き綴っていくつもりだ。 その彼の埋葬記事にこんな記述がある。 “He attended the University of Georgia and the Goethe Institute in Hamburg, Germany.” えッ?ハンブルグのゲーテ・インスティトゥートに通った?うーん…キースと欧州旅行した際にでもちょこっと通ったのかなぁ?めっちゃ気になるものの、田舎のおばちゃんには残念ながらこれが本当かどうか確かめる術がないのであった(TдT) まぁ埋葬記事で虚偽は書かないとは思うけど。 それにしてもリッキーがゲーテを学ぶ。何となくイメージ的に合うような気がする。 “78年1月1日に録音された、シカゴのFMラジオ・WDAI 94.7のためのライヴ・スタジオ・ジャム音源” みたいなことを動画投稿者さんが説明してらっしゃるYouTube映像。 曲目は Planet Claire / 52 Girls / 6060-842 / Devil In My Car / Hero Worship / Lava / Runnin' Around / Dance This Mess Around / Rock Lobster / Private Idaho / Strobe Light の順で計11曲。 約50分あるが、お暇な方は視聴してみてね♪ The B-52's - Studio Jam 1978 (ClickしてYouTubeへGo !!) 78年1月5日、Sex Pistols初の全米ツアーが、ジョージア州アトランタのGreat Southeast Music Hallで幕を開けた。とはいえピストルズはこのツアー中に解体してしまったが…。 その翌週、アトランタではピストルズと同じステージで急遽“The Atlanta Punk Festival”が開催されることになり、反体制でも何でもない、パンクとは無関係なB'sまでもが何故か出演。しかしこれが世間の注目を浴びるための結構な宣伝になったのであった。 同月29日にはアセンズのレストラン・The Last Resortでのショーが決定。この店ではそれまでフォークやジャズといった上品で穏やかな音楽ばかりが流れていたのだが、この日ばかりはB'sの熱狂的なリズムに乗って客達も踊り始めたという。 バンドに興味をそそられ、前年に彼等がNYを訪れた際にも同行した地元のレコード店オーナーであるダニーは、レコーディングのために資金を調達。そして2月、ジョージア州ストーン・マウンテンのスタジオで初のレコーディングが行われた。曲は勿論“Rock Lobster”、B面は“52 Girls”だ!リリースは4月である。 レコーディングから発売日までの間、B'sはもう一度NYを行脚。そこで彼等はMax'sとCBGBの両クラブに出演し、多数のレコード会社から注目されることとなった。 Red Star Recordsのファウ氏が最初に言い寄り、続いてSire Recordsのステイン氏が3月末にアトランタのDowntown Cafeで行われたショーに、更にVirgin Recordsの方々は5月20日にアセンズのGeorgia Theatreで行われた、B'sがヘッドライナーを務めたショーにやって来た。 またしてもNYに戻ったB'sはカルト的な支持者を獲得し、好意的な評判も得た。そしてミュージシャン仲間達との交流も生まれた。 Blondieのデボラ・ハリー(Deborah Harry)&クリス・ステイン(Chris Stein)のロフトに招待されて彼等のアルバムのプロデュースについて話をしたり、またTalking Headsのクリス・フランツ(Chris Franz)&ティナ・ウェイマス(Tina Weymouth)夫妻やデヴィッド・バーン(David Byrne)らとも親交を深めた。 クリス&ティナはリッキーの最後のステージとなった85年1月の“Rock in Rio”で、B'sのステージに途中から参加してくれたほどである。 4月にリリースされたB'sのシングルレコードは、Gem RecordsやBleeker Bob'sといった店で飛ぶように売れた。後者は英国にも流通させており、彼等に注目した英国のとあるDJは全国ラジオ放送でレコードを流した。最終的に、翌年彼等のデビューアルバムが入荷するまでに17,000枚程売り上げたらしい。ダニーはこれを機に他の地元ミュージシャン達も支援し、遂にはDB Recordsなるレコードレーベルを有することとなる。(おそらく“Rock Lobster”が、DB Recordsで発売した最初のレコードだと思われる。おそらくだけど) 5月の終わりから6月初めにかけて、Max'sで4日連続&中3日空けてCBGBで3日連続ギグを行った。それはちょっと珍しいことだった。何故ならもしMax'sで演奏したのならばCBGBはいい顔をしないだろうし、逆もまた同様だからである。同じようなことはアセンズとアトランタのミュージシャン達の間でも起こり、何やら一悶着あったらしい。 10月にNYのナイトクラブ・Hurrahで2日連続出演を予定していたB'sは、4度目となるNYにやって来た。そこではちょっとした騒動が起こり、警官を要請する破目になってしまったのだとか。 バンドの評判が高まり、レコード契約の話も引き続き入ってきていたものの、みんな何をすべきなのか分からなかった。リッキーは適法契約を解読する方法についての本を、熱に浮かされたように図書館で借りまくったという。彼は責任感の強い、勉強家さんなのね(^^) フレッドの友人で、それまでバンドの管理していたモーリーン(Maureen McLaughlin)も途方に暮れた。彼女は両手に一つずつレコード会社の契約書を抱えて言った。「もうどうしたらいいのか分からない!」 バンドは彼等のキャリアに於いて重大な決定がなされる状況に直面していることを認識していた。だが、知識不足で史上最悪の取引にサインするよりかは何もサインしない方がよいと考えたメンバーは、事態が好転するまで待ってみることにしたのであった。 記念すべき初シングル♪ ↑ ジャケットには各メンバーの名前と共に、SPECIAL THANKS TO DANNY と記されている 1978年3月29日、30日の両日、ジョージア州アトランタのDowntown Cafeで行われたThe B-52'sのライヴの様子は、有難いことにYouTubeで視聴出来る。アップして下さった方、多謝! Rock Lobster Hero Workshop Dance This Mess Around Downtown Devil in My Car 52 Girls Runnin' Around 78年4月にリリースされた彼等の初シングル、DB Rcordsバージョン(翌年、1stアルバムに収録されるにあたり再レコーディングしたため、普段耳にするのは再録バージョンの方)の“Rock Lobster”と、B面の52 Girls”も聴いてみよう♪ Rock Lobster / 52 Girls (DB Records single ver.) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.08.05 18:20:36
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