カテゴリ:史跡巡り
先頃、格安ビジネスプランを利用して一泊二日の東京視察研修へ行ってきた。まぁ研修とは名ばかりの、花のお江戸ぷらり一人旅といったところではあったが。
視察を早々に終え、帰りの便までかなり時間が空いてしまったため、以前からどうしても行ってみたかった上野へと向かった。別にパンダやら西郷どんの銅像やらが見たかったわけではない。 慶応4年5月15日に彰義隊ら旧幕府軍と、薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍が戦った上野戦争の地を、実際に自分の目で見、肌で感じたかったのだ。 一時期「薄桜鬼」とかいうゲームだかアニメだかが流行ってからというもの、新選組が好きだというと何だか凄く恥ずかしいことのように感じてしまう。しかし人から後ろ指を指されようが、ミーハーだと蔑まれようが、私は昔から新選組が好きなのである。中でも十番隊組長・原田左之助が最も好きなのだ。 その左之助は新選組が鳥羽・伏見の戦いや甲州勝沼の戦いで敗れた後、仲のよかった二番隊組長・永倉新八らと靖兵隊を結成するが、何故か途中で離脱。江戸に戻って彰義隊に加わるも上野戦争で負傷し、5月17日に亡くなったといわれている。(中国に渡って馬賊の頭領になったという説もあり) すこぶる短気で二言目には「斬れ斬れ!」と喚いていたらしく、実際、新選組の戦闘には必ず左之助の名がある。その分、上からの信頼も厚く、殿軍の組長を務めていた。そんな左之助が最後に戦った地・上野。 品川駅から山手線に乗り、上野駅で下車。おおッ、博物館やら美術館やらがめっちゃ立ち並んでる!流石、花のお江戸やなぁ…とちょっぴり興奮するも、どこも休館やんけ! 上野公園(上野恩賜公園)内の案内看板に沿ってサクサク歩いていくと、天海僧正毛髪塔及び供養等なるものがあった。天海といえば、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と同一人物ではないかという説がある。左之の馬賊頭領説とどっこいどっこいの信憑性だが、全くの大嘘とも言い切れないような…。 そこから少し歩いた所に、目指す彰義隊墓所はあった。 やっと会えたね、左之――。なんてまるで某作家兼ミュージシャンの方が、昨年離婚した元妻である某女優と初めて出会った時に発したクサい台詞のようだが、まさにそんな気分だった。 墓石に刻まれた「戦死之墓」の文字は旧幕臣・山岡鉄舟の筆だという。津本 陽さんの「春風無刀流」を読んで以来、鉄舟の強靭にして無欲恬淡な生き様は密かに私が理想としているものなので、ちょっと嬉しかった。 しっかりと写真に収めた後、近くの喫煙スペースで一服しながら墓所を眺めていて気付いた。ん?後ろにあるのはひょっとして、上野で最も有名な西郷隆盛の銅像では!? 何というか…思っていたのとずいぶん違うような…こんな微妙な銅像だったのね(^^; 清水観音堂(?)に立寄りおみくじを引くと、まさかの“大吉”。おそらく人生初の大吉大当たり、嬉しさよりも何故か怖さの方が強い。ひえぇぇ…おみくじどおり今年はいい年になるのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.02 01:35:02
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