カテゴリ:御朱印巡り
楽しくもハードだった京都御朱印巡りの旅から戻り、これからは地元岡山でのんびり御朱印を集めていこう――とまず向かった先は、岡山市中心部から北へ車で約1時間、久米郡久米南町にある誕生寺。先日初めて訪れた浄土宗総本山・知恩院の立派な三門に感動してからというもの、浄土宗の開祖である法然さんの生誕地に建立されたこのお寺こそ、地元御朱印巡りの幕開けに相応しいと考えていたからである。法然上人二十五霊場第1番・誕生寺。知恩院は二十五霊場第22番だ。
さて、本堂では法然さんだけでなく意外な人もひっそりと祀られていた。恋人に会いたい一心で放火を起こし火刑に処されたとされる、八百屋お七さんである。何でもお七さんの両親が、誕生寺第十五代通誉上人に位牌と振袖を託して供養を頼んだのだとか。そのお七さんの振袖は、大阪万博に出したところ恋愛のお守りがわりに引き千切って持ち帰る人が結構いたらしく(うろ覚え)、無残な形で残っていた。 久米南町からUターンして次に向かったのは、明治戊辰の役以降国難に殉じた岡山県出身又は縁故ある英霊5万6,700余柱を祀る、岡山市中区にある岡山縣護國神社だ。 そして更に東へ車を走らせ、東区の西大寺へ。(寺伝によると)751年に創建されたというなかなか由緒あるお寺なのだが、何せ生まれ育った地なのですっかり見飽きて…いや見慣れているため、特に思うところもなく御朱印をいただいたのみでさっさと帰路に就いた。 誕生寺 岡山縣護國神社 後日、今度は原付で北区にある吉備津神社へ。 「古事記」「日本書紀」によると、この神社の御祭神である大吉備津彦命は第7代孝霊天皇の皇子として生まれ、第10代崇神天皇の代に四道将軍の随一として吉備国に下り、この地を平定したという。そして(社伝によると)第16代仁徳天皇が行幸された時、吉備津彦命の業績を聞き、その徳を偲んで吉備国の祖神として奉斎されたのだとか。 本来は吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったそうな。 仁徳天皇が建立したとされる社殿は焼失、現在の社殿は後光厳天皇の勅命を受けた室町幕府3代将軍・足利義満が再興したものだという。 県内の寺社専用として御朱印帳を新たに購入。若干小さめながら上品な色合いで、皇室の副紋である五三桐や銀杏が刺繍されている。 備中国一宮に続いては、備前国一宮・吉備津彦神社へ原付でひとっ走り。吉備津神社から東へ10分程なんだけどね。戦国時代には宇喜多直家が崇敬し、高松城水攻めの際には羽柴秀吉も武運を祈願したと伝えられているとか何とか。 御朱印 御朱印帳(吉備津神社) 誕生寺 西大寺 岡山縣護國神社 吉備津神社 吉備津彦神社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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