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2021.01.17
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カテゴリ:The B-52's
​​ 『​Bouncing off the Satellites​』 released on September 8, 1986
  1. Summer of Love
  2. Girl from Ipanema Goes to Greenland
  3. Housework
  4. Detour Thru Your Mind
  5. Wig
  6. Theme for a Nude Beach
  7. Ain't It a Shame
  8. Juicy Jungle
  9. Communicate
  10. She Brakes for Rainbows​  パソコン YouTubeで全曲聴ける。ソングタイトルをclick !

 Dedicated to the Memory of Ricky Wilson ―― 85年10月に32歳の若さで逝去したリッキーに捧げられたこのアルバムは、決して暗くは無いが、そこはかとなく物悲しさが漂っている気がする。リッキーの死に打ちひしがれたバンドメンバーはプロモーションなど出来る状態ではなく、「Bouncing off the Satellites​」はBillboardチャートの85位止まりであった。

 前作「Whammy!」のツアー後、B'sは暫し休息し、次のアルバム制作に取り掛かるも以前のようにスムーズには行かなくなっていた。
 “​Detour Thru Your Mind​” “Wig” “​Theme for a Nude Beach” “​Communicate​” の4曲は従来どおり共同で書いたものの、残りは別々に曲を書いてアルバムを完成させようとリッキーが提案したらしい。結局、リッキー、キース&シンディ組が4曲、ケイトとフレッドも各1曲ずつ書くことになった。“​Housework” が作曲・ヴォーカル共にケイトで、“Juicy Jungle​” は作曲・ヴォーカル共にフレッドだ。ちなみに “Detour Thru Your Mind​” “Wig” “​Theme for a Nude Beach” ではキースがギターを、リッキーはベースを弾いている。
 プロデューサーはトニー・マンスフィールド(Tony Mansfield)で、全曲で使用されているシンセサイザー・FairlightCMIは彼によるものだ。

 1stシングルにもなった “​Summer of Love” はフレッドを除く4人の作で、ヴォーカルはシンディ&ケイト。しかしアルバムに収録されたものは本来のバージョンではなくリミックスされたもので、オリジナルバージョンは98年にリリースされたコンピレーションアルバム「Time Capsule:Songs for a Future Generation」で聴くことが出来る。
 キース「僕はリミックスに満足してなかった。主な理由は、元のミックスにとても満足していたからだ」
リミックスが功を奏したのかどうか、Billboard Hot Dance Club Play チャートでは3位を記録。
 2ndシングル “​Girl from Ipanema Goes to Greenland​” はリッキーとキース(&シンディ)の共作で、ヴォーカルはシンディ。今作で唯一PVが制作されており、リッキーも一瞬だけチラリと登場月
 “​Ain't It a Shame” もリッキー、キース&シンディ組で、ヴォーカルはシンディ。でもってコーラスをリッキーとキースが担当。B's唯一のバラード(っぽい曲)にして、3人で歌っている曲はこれが最初で最後である。一緒に育ったリッキーとシンディ、そしてリッキーとは高校時代からの親友であるキース、バンド内でもやはりこの3人の絆は特別だろうから、聴く側も思い入れをもってしまう…。
 ラストを飾る “​She Brakes for Rainbows” はリッキーとキースが意外にも2人だけで書いた(作詞も含めて)唯一の曲で、ヴォーカルはシンディ。ケイトとリッキー&キースがコーラスを務めている。リッキーが楽器を演奏せず、コーラスのみというのも珍しい。83年に書かれたらしいB'sのファクトシートで、リッキーが好きなものとして「Happiness, sunshine, good things and flowers」を挙げていたが、それらが全て詰まったような曲だ。どなたかが “ I’ve always considered this song to be a requiem of sorts for Ricky Wilson. (私はいつもこの曲をリッキー・ウィルソンの一種の鎮魂曲だと思っていた)” と書いていたが、分かる気がする。

 85年7月、NYのシグマ・サウンド(Sigma Sound)でレコーディングし、約1ヶ月後に完成したミックスをワーナーに提出するも却下されてしまった。初めての却下に落胆したものの、再び前向きにジャムを開始したが、リッキーの体調は急速に悪化していき、ついに10月12日、リッキーは家族と親友に見守られながら32歳の生涯を閉じた。シンディは深い鬱状態になり、キースは直ちにマンハッタンから去り、ウッドストックに移り住んだ。
 キース「リッキーは非常に勇敢に…、非常に勇敢に立ち向かい、とても早く逝ってしまった。当然のことながら、その後僕達はリッキーなしでバンドを続けられるとは思わなかった」
 シンディ「リッキーは兄弟以上のもの――彼はメンターだった。彼は最もクールな人で、最高のユーモアと独自性を持っていた。彼が亡くなったとき、私の全世界は揺れ動き、私は荒廃した。そしてグループとして、私達の誰もが彼なしで続けることを本当に想像することが出来なかった」
 ケイト「バンドはおそらく自然に解消するんじゃないかって思ったわ」
 残されたメンバーは、かなりの時間とお金を費やして大部分を完成させていたアルバムをリリースさせることを望んだ。
 キース「リッキーはこのアルバムに懸命に取り組んでいた。だから僕達もベストを尽くして作り上げ、是非とも発表しなきゃと思ったんだ。リッキーも聴きたかっただろうしね」
 キースは数人のセッションミュージシャンと録音されたトラックのオーバーダブに取り組み、リッキーの遺作となったアルバムはようやく86年9月にリリースされた。





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Last updated  2021.01.17 03:13:20
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