カテゴリ:The B-52's
『Cosmic Thing』 released on June 27, 1989
バンド仲間であり、学生時代からの親友でもあったリッキーの死後、ウッドストックに引っ越したキースはギターのスキルを磨き、徐々に音楽の仕事を再開し始めた。 キース「あの頃はB'sのためにじゃなく、自分のためだった」 シンディとケイトがキースの家に行った際、彼は “There is a River” というタイトルの、哀愁を帯びた曲の一部を演奏した。それはやがて “Deadbeat Club” というタイトルに変更された。キースはこの曲を、リッキーとの様々なことを思い出しながら、そして彼が自分と一緒に演奏している様子を想像して作ったそうだが、同時に故郷・アセンズでの日々も思い描きながら書いたという。 キースの自宅で行われていた “Deadbeat Club” セッションで、バンドは熱心に新たな音楽を作っていた。翌88年、セッションはリハーサル・スタジオへと場所を移動した。 キース「僕達が作った最初の完全な曲は “Junebug” だった。僕達は思ったよ『OK、まだやれる』って」 一時は心が離れていたメンバー達だったが、リッキーの死を乗り越えることにより、以前のような結束が戻ったのであった。 レコーディングはNYのスカイライン・スタジオ(Skyline Studios)とNY北部のドリームランド・レコーディング・スタジオ(Dreamland Recording Studios)で行われた。スカイライン・スタジオではナイル・ロジャース(Nile Rodgers)が6曲(1–3, 6, 9–10)、ドン・ウォズ(Don Was)がドリームランド・スタジオで残りの4曲(4–5, 7–8)をプロデュースした。 こうして約3年ぶりにリプリーズ・レコード(Reprise Records.親会社はワーナー)からリリースされた「Cosmic Thing」は、Billboardチャート4位、年間チャートでも9位を記録し、全英やカナダでも9位、オーストラリアやニュージーランドではチャート首位と、世界的に大ヒットした 更にアルバムからは5曲がシングルカットされ、ドン・ウォズがプロデュースした3rdシングル “Love Shack” が全米3位(全英2位)、ナイル・ロジャース プロデュースの4thシングル “Roam” も全米3位、これまたナイル・ロジャースがプロデュースした5thシングル “Deadbeat Club” も全米30位と、立て続けにヒットを飛ばした。 シンディ「これは私達にとって未聞の出来事だったわ、3曲もヒットするなんて!リッキーもきっと天国で友達と何かして、喜んでるに違いないと思うの」 リッキー在籍時代と比べても、音楽的に明らかな違いは無いように思える(全く変わってないとも言えない)。B's初期におけるリッキーの独創的チューニングサウンドや女性陣の奇天烈コーラスは、ややマニアックすぎたのかもしれない。自分を含め、それが好きだというコアなファンも大勢いたけど。「Whammy!」あたりから徐々に軌道修正し、「Cosmic Thing」で遂にB'sらしさを残しつつも万人受けするアルバムを完成させた。バンドが時代に迎合したようでもあるが、時代がようようバンドに追いついたのだと思いたい。リッキーにも成功の喜びを掴んでほしかった…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2021.01.17 23:43:12
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