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『妄想交換日記』(08年7月)や『燃えよドラゴンズ!('82)/中日小唄』(11年5月)という駄記事まで書いたように、高校時代の私は中国地方民にしては珍しく中日ドラゴンズの大ファンだった。月刊DRAGONSは欠かさず購入し、(阪神戦または広島戦で)岡山県営球場で試合が開催されれば必ず観戦した。一番のお目当ては中尾捕手だったが、田尾さん、谷沢さん、大島さん、宇野さん、牛島さん、小松さん、都さん、郭さん、鈴木さん、平野さん、上川さん、川又さん等――近藤監督から山内監督にかけての時代に活躍していた選手たちが大好きだった。
その中日ドラゴンズに87年まで在籍していた「5番 レフト 大島 背番号5」の大島康徳さんが、6月30日に大腸癌のため70歳で逝去された。予てより闘病中であることはYahoo!ニュース等で知っていたが、ついにお別れの時が来てしまったようで、ネット上では大島さんの公式ブログが5日に更新した内容があちらこちらで紹介されていた。今年の春ごろに記したものらしく、大島さんの奥様が今日(7/5)付けでアップされたそうだ。 「楽しかったなぁ…これ以上何を望む?もう何もないよ。幸せな人生だった」 「命には必ず終わりがある 自分にもいつかその時は訪れる その時が俺の寿命」 「病気に負けたんじゃない 俺の寿命を生ききったということだ その時が来るまで 俺はいつも通りに 普通に生きて 自分の人生を、命を しっかり生ききるよ」 嗚呼、何という素晴らしき生き様、心持ち哉。私も最期は斯くありたい。 人生の最後に楽しかった、幸せだったと満足出来るような生き方をしていこうと、大島さんの遺してくださった言葉を読んで改めて思った次第。この先、辛いことや苦しいことが起こったら、このメッセージを思い出して挫けずに生き抜こう。 有難う、大島さん。どうぞ安らかに… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.07.05 19:06:44
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