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2023.11.16
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カテゴリ:池田可軒さん
 「君幼而頴悟、長受業於林祭酒、出入昌平黌、才學文章夙超越同儕(君幼くして才知に優れ、長く学問を林大学頭に受け、昌平黌に出入す。才学文章は夙に仲間に超越す)」と墓碑に書かれてあるとおり、幼い頃から英俊で、写真からも眉目清秀ぶりが窺える池田可軒(長發)。
 そんな彼の為人(人となり)はどうだったのだろうか。幾つかの文献から抜載してみた。今回は其ノ壱である。

  努 力 家
「嘉永三年十一月三日於學問所素讀御吟味。十二月十六日素讀出精に付丹後縞五反頂戴。嘉永六年九月五日炮を學び。同月二十八日射千本を試む。安政二年五月十九日吹上御物前見に於て馬揃上覧相勤。安政三年八月中學問所に於て辨書並文章時務策御試しを請く。十二月二十四日學問出精一段の事に依り拝領物被仰付」(可軒著・家譜)
 ――13歳のときに “素読吟味(口述試験)” 、その5年後に “学問吟味(筆答試験)” を受けてどちらも優秀な成績で褒賞をいただいた。また、学問だけでなく砲術や馬術も稽古した。
「宝蔵院流の鎌槍は相当の重さがあったという。技術面でも努力訓練を要した。遣欧節当時の可軒の写真から判断すると、可軒の身体は優形華奢で、重い槍を操作するには適していない様である。その可軒が免許皆伝の証状を獲得したのだから、大変な努力と訓練を重ねたことであろう」(鶴遣老)
 ――18歳にして宝蔵院流鎌槍術を会得、免許皆伝に達した。
「一つの書籍を繰り返し、繰り返し繙いて、あるものには非常に克明に補注をつけてゐる。かういった努力の迹を見る時、我々は彼が非常に俊秀な學徒であったことを知るとともにその反面、非常に地味地な努力家であつたことも窺ふことができる」(池田可軒の舊藏書)
「余平素好手抄古人之書、有人笑其迂者、於是乎、列古人之言係抄書者於左、以答于其人、清人馮蕈溪云、讀書不如抄書、古人讀書、皆經手鈔、蓋有三益、一加簡練、一備遣忘、一兼學書法不爲家不蓄書也、凡讀經史、其義欲全部貫通、其文欲逐字採掇、有全鈔、此巾箱自備本也、因是觀之、古人著書之富、亦兆於此也晰矣、…」(可軒・抄書説)
 ――単なる読書より寫書(手抄)の重要さを説く可軒さんは、コツコツと地道に努力するタイプだったようだ。

  短  気
「池田は未だ壮年であり、殊に勝ち気で人にゆずらない性質なので時としては談判の席でも議論が少し合わないと、往々怒気を顔にあらわさずにはいられないのだ…」(幕末外交談)
「池田は狷急(心がせまく短気)悻直(正直で怒りっぽい)の士である」(同上)
 ――可軒さんが27歳で正使を務めた横浜鎖港談判使節団に随行した田辺太一が明治31年に出した回顧録「幕末外交談」より。可軒さんは彼より9歳下だった。
「ロイスは筑後守の像を石膏でとらせ、また腕だけのものを作らせ、あるとき談判の具合で池田がいつもの疳癖を起こしてくると、ロイスは自分の手で石膏作りの池田の手をしかと握って(略)うまくなだめたことなどもある」(明治・大正史 外交篇)
 ――ロイスとは当時のフランス外務大臣エドゥアール・ドルアン・ド・リュイス(Édouard Drouyn de Lhuys)。
「気象(気性)の烈しい人となりであったと記録に残されている」(鶴遣老)
 ――文武両道で出世街道を驀進した可軒さん、若い頃は結構短気だった御様子。

  好 奇 心 旺 盛
「使節が上海につき、旅館にはいると、日本人が二名きて、みずから薩摩の脱藩人であると称して面会を乞うた。そして言うには、西洋の風光を見るためにここまで来たが、旅費がつきたので、これから前へ行くことができない。どうか節下に加えて欧州に連れて行っていただきたい、と。池田は物好きな性格の人とて、大いにこれらを連れて行きたがったが…」(幕末外交談)
 ――可軒さんは面白がって連れて行きたがったそうだが、結局二人を漂流民ということにして旅費を渡し、日本に送還することにしたそうな。
「池田正使がその象に乗りたいというと象使いは象にひざまづかせたので、正使はその後方から上がって、その背にうちまたがった」(奉使日記)
 ――これまた横浜鎖港談判使節団に随行した杉浦愛蔵が記した「奉使日記」より。西貢(サイゴン)でのこと。
「(パリの劇場でグノーの『ファースト』を観劇)日本語の台本が用意されていたのでよく理解され、池田は(主演の)ボア夫人の至芸に屢々拍手を送り、兵士の合唱が特に気に入った様であった。しかし池田の興味を引いたのは悪魔メフィストフェルで、終演後支配人室に招ぜられてこの俳優を紹介された時、池田はじめ一行の人々は争ってメフィストフェルを取り囲み、奇怪な黒い衣装を手で触って見たり、顔の隈取りをしげしげと眺めたりした」(悲劇の大使)
 ――パリのテアトル・リリック座でゲーテ原作、グノー作曲の歌劇『ファウスト』を鑑賞したことを、当時の新聞記事から書き写したもの。可軒さんは悪魔・メフィストフェレスに惹かれたらしい。

  モ テ た !?
「やや色気のある一婦人が旅館に見えて窮状を訴え使節に会わせてくれとせがむ。田辺組頭が心得て程よくあしらって帰す」(奉使日記)
 ――使節とは池田正使のことらしいが、田辺さんがあしらって帰したとのこと。何かプライベートなことだったりして!?
 まさか百数十年後に幕末のイケメン侍として有名になっているなんて、可軒さんも草葉の陰でさぞや驚いていることだろう。





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Last updated  2023.11.16 02:13:03
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