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2024.06.16
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カテゴリ:池田可軒さん
 27歳にして遣欧使節団の正使を務めた幕末のイケメン侍、池田可軒(長發)さん。その可軒さんがちょこっと登場する小説、村松梢風著「ふらんすお政」は昭和8年(1933年)に汎文社から出版された。
 前々回前回に引き続き、可軒さんの登場シーンを中心に話を紹介しよう。

 使節一行を軍艦で見送ったモンブランであるが、今回の使節派遣の一件はモンブランが打った芝居に過ぎなかった。使節の成功、不成功は彼にとってそれほど重要ではなく、これだけの大仕事を成し遂げたことにより本国・仏国に与える印象――その印象を利用して更に大きな仕事が出来ると確信していた。
 モンブランは領事館へ行き、総領事レオン・ロセス(Léon Roches)、小栗、栗本、既に仏国から招聘している技師ウェルニー(François Léonce Verny)と製鉄所(実は造船所)問題について種々協議した。それまで臨時雇だったウェルニーは横須賀製鉄所首長を任命することになり、モンブランは製鉄所関連の用品や原料を仏国から仕入れる一切の権利を与えてほしいと要求し、認められた。
 ウェルニーと一緒に領事館を出たモンブランは、彼にこれから羅紗緬のお浅の所に帰るのかと話し掛けた。お浅はウェルニーの子を身ごもっていた。しかしウェルニーはもう彼女には興味が無いと言い放った。その頃、お浅が生まれてくる赤子の着物を縫っている所へ父親が訪ねてきた。ウェルニーから手切金を受け取ったし、眼色毛色の変わった餓鬼を生んだら世間に顔向けできないから生まれる前に始末を付けろ、とのことだった。
 翌朝、お浅の身投の知らせを聞いたお政とモンブランは驚きつつも、お浅の引取を拒否したウェルニーに代わって自宅に寝かせて通夜をし、翌日に埋葬した。徹頭徹尾顔を出さないウェルニーに対してお政は敵意を持ち、ウェルニーの方からもモンブランやお政に対して感情的な隔たりが出来た。
 フランス・クラブでモンブランとカトリック布教士メルモッチ僧正(Eugène-Emmanuel Mermet-Cachon)に対する送別の夜会が行われた。そこでウェルニーから踊りを申し込まれたお政は、哀れなお浅の最期を思い出して彼を激しく非難した。モンブランもお政に同意したため、ウェルニーは決闘を申し込んだが、ロセスに別室に連れて行かれた。それから2、3日後にモンブランは上海行きの汽船に乗った。

 使節一行がパリに行ってからモンブランに対する待遇がまるで変わって、邪魔者扱いをし始めたという。日仏同盟の画策者である彼の信用が急転直下に失墜するとは、モンブラン自身にもお政にも意外であった。
 江ノ島辨財天の祭礼に来ていた英国軍人2人が何者かに斬り殺された。斬ったのは間宮で、逃げる途中に見つけた洋館に忍び込んだものの、そこには赤ん坊が6人も寝ており、何と偶然にもお政の家だった。江ノ島の事件を既に知っていたお政は、間宮に暫くここにいて身を隠すよう勧めた。お政は羅紗緬が生み捨てた混血児達を拾って育てることにしたのだという。これはお浅の事件があった時から考えていたことだった。その夜は間宮も疲れていたので洋館で休んだものの、翌朝にお政が寝室を覗くと既にもぬけの殻だった。

 モンブランが大山師だという評判が日本でも、仏国でも同時に立てられた。横須賀製鉄所の材料請負の権利を一旦モンブランに与えておきながら、幕府は更にその後から、製鉄所の主任に命じたウェルニーに対して材料購買の権利をも一任したのだった。
 モンブランは非常に憤慨してパリに滞在中の池田筑後守に面会して抗議を申し込んだが、筑後守は言を左右にして応じなかったばかりか、最後にはモンブランに対して絶交状を送って今後幕府との関係を断つことを宣告した。モンブランは激怒した。
「自分は、幕府から重大な任務を受けているのみならず、幕府の御用商たる特許をも握っている。貴下は幕府の一属僚に過ぎないので、自分が老中から直接大任を受けている事を知らぬのである。貴下が勝手に絶交されても、自分は貴下に束縛せられる者ではないから、自分は依然として幕府の高等政策に参与し、且つこれを運動する重要な任務を帯びているのである」
 漸く筑後守は
「貴下と幕府との関係を断つことは自分の一存ではなく、幕府からの新しい指令に基づくものである」
と答えて、その後は何と言っても応じなかった。
 その後モンブランが煩悶懊悩の日々を送っているところに、一人の薩摩人がやって来た。藩の内命を帯びて政治と軍備を研究する名目で、10人程で欧州に来ているという。この男の口から出る熱烈な議論に心を動かされた彼は、薩摩藩に協力することにした。
 モンブランは新しい立場に立って活動を開始した。それは嘗て彼が幕府のために献策したあらゆる計画を片っ端から破壊し、幕仏同盟の進行をも妨害した。
 モンブランの暗中飛躍は物凄く、出来そうに見えた幕仏同盟は間際になってナポレオン三世が
『同盟は、幕府――日本は仏国の保護を受け、保護国たるに満足すること』
という条件を明確に条文に記載すべしと外務当局に厳命を発したので、交渉は急に頓挫してしまった。
 鎖港談判は表面の名目で、鎖港は到底出来難いことは来ない前から知れていたことで、その代わりに幕府同盟を首尾よく締結して帰るというのが筑後守の唯一の任務だった。然るにその後は一向談判が進行せず、到頭何もかも不得要領のままで池田筑後守は帰国することになった。
 筑後守が横浜へ到着した時の状況は真に悲惨を極めた。幕府は彼に対して、鎖港談判の使命を遂げなかったことを表面の理由として、上陸禁止を命じたのだった。
 筑後守は呆然となったが、憤激のあまり、命令に服従せず敢然として上陸してしまった。すると幕府では狼狽して、今度は台命と称して筑後守の江戸入りを禁じ、外国奉行の職を解き、永の蟄居を申し付けたのだった。ショック
 モンブランは筑後守より一船遅れて何食わぬ顔をして帰国し、お政の待つ洋館には再び明るい橙火と笑い声が満ちた。

 徳川慶喜の顧問を務める砲兵少佐ブレナンは、滞在中の金沢で薩長討伐の軍略と地図を書き終えて眠りに付いたが、何者かに盗まれてしまった。盗んだのは盗賊の八左衛門で、彼はそれをお政に届けた。意味も分からずそれを受け取ったお政がモンブランに見せると、彼は躍り上がって喜んだ。モンブランに和訳された草稿は、薩摩の隠密の手に渡った。
 仏国総領事だったロセスの昇進祝賀会が公使館で開催され、大勢の来賓が集まった。そこへ関東赤心隊の浪人3人があちこちに火を放った。事前に遊郭の羅紗緬たちにも協力を依頼しており、火事のドサクサに紛れて大挙して押し寄せ、異人の首を一人残らず取る計画だ。強風に煽られて広がり続ける火事はたちまち居留地を含む横浜を炎で包んだ。
 モンブランとお政は何とか逃げ出していたが、ウェルニーが血まみれで倒れているのを見つけたモンブランは彼を抱き起こそうとした。しかしウェルニーの手には拳銃が握られており、モンブランは腹部を撃たれて倒れた。ウェルニーを斬ったのは間宮だったが、彼も駆けつけた軍隊に見つかり、一斉射撃を受けて倒れたのだった。

 お政は混血児を多く収容していることで知られる、ささやかな孤児院を運営していた。そして二坪ばかりの墓地を購入し、モンブランと間宮の石碑を建てていた。
 お政が墓参りに訪れると、新しい花が上げられ、線香の灰がなま新しくこぼれていた。寺男に尋ねると、50余りの旦那だと言う。誰だろう…?ふと思い当たったお政は顔に傷のある男だったかと尋ねると、そうだと答える。やはり八左衛門であった。お政は二つの墓をゆっくり拝んで、夕日の中を家路に着くのであった。

 ――可軒さんの登場シーン以外は端折りまくっているので話の内容はぐちゃぐちゃだが、まぁざっとこんな物語だ。
 正直、可軒さんはそれほどいい役ではないのだけれど、登場する小説は珍しいので(知らないだけでいっぱいあるのかも!?)3回に亘って取り上げてみた次第。可軒さんの研究はまだまだ続く。





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Last updated  2024.06.16 05:47:42
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