テーマ:ひとり言・・?(17621)
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ある人に、
『どんな人でも生きている限り存在の必要がある』 ということを真顔で唱えられてしまった。 咄嗟に私は、異論・反論と回し蹴りと裏拳くらいはすぐにお見舞いできたのであるが、そう思ったと同時につぎの瞬間、 “ここで議論をしても無駄だろうな。いや、それ以上に大切なエネルギーの消耗になってしまうだろうな・・。” と感じたので、そのまま受け止める事も無く流してしまった。 なぜなら、この御仁、いわゆるイカガワシイ宗教を妄信しているようなとても偏った思想を持っているように感じたもので・・・。 あなたの近くにもいるでしょう? 普段はとても大人しく素直で温厚そうに見えていたのが、一たびその人の信心するものに関して少したがうことを述べようものならば、まるで狂人のように抗弁をし始める人が・・。 ま、「信教・思想は自由」ということなので、これまたややこしいのですが・・。 なんだか、このフレーズを盾に堂々と問題発言をしている輩がやたらと多いのが気になるのですが・・・。 (え?私のほうが??・・・それはどうも・・失礼しました・・) で、先の 『どんな人でも生きている限り存在の必要がある』 というコメント・・。 人として、当然のコメントなのだろうが、どうも完全に理解できない。 心のそこでシックリと来ない。 象徴的にフト湧いてくる疑問・・・ それは、ヒットラーでも? その他、凶悪犯罪をしでかして、尚も更正の気配も見せずに再び、三度、四度、いや、それ以上といくらでも罪を重ねる人間でも? この世にそんな奴はいくらでもいる。 初回の犯罪のとき、二度と世に出ることが無ければその後の犠牲者も増える事がなかったはずが、ソイツが生きていたばっかりに、いや、世間に“社会復帰”“更正”の名のもとに、復帰させてしまったがためにまた新たに命を奪われたり、取り返しのつかない被害を被ったりした被害者やその家族のことを思うと、やはりはじめにトドメを刺しておいたほうがよかったのではと思ってしまう。 「そんな犯罪者にも年老いた両親が・・・、幼い子供が・・・、病気の家族が・・・」 などと、訳の分からぬことを唱える人が必ず出てくる。 ・・・・それならば、コイツを世間に泳がせたがために新たに犠牲になった人はどうなるんや??? 人の話をよく聞いておけ!!どアホう!! と、怒鳴ってしまう。 では、おまえの大切な人が、家族が、遭わなくても済んだはずの被害に遭ったならば、それでも同じ事が言えるのか?? このようなことを言うのは、問題発言かもしれない。 ま、このような話題はテレビの討論会などでヘタに取り上げようものならば、時間がいくらあってもまとまらず収拾不能のまま、番組が消化不良で終わるのだろう。 いつも大それたテーマを取り上げ、進行役であるにあるにもかかわらず出演者の発言を遮って自分が要らぬことまでしゃべりまくっている田●総●郎氏のような御仁もいるが、ああいう人なら喜んで引き受けそうな話題だ。 あの人のやるものは殆ど“消化不良の番組の代表格“だ。 (気に入らなければ見なければいいのだが、出張先のホテルでたまたまテレビをつけると、なぜかよく出ている・・・。それでまた、私の血圧が上がる・・。) それにしても、これを唱えたのはエマーソンだ。 そこらへんのオジサンが呟いているだけならば気にも留めなかったが、エマーソンだからねえ・・・。 エマーソンはこうも言っている・・・。 『互いに許しえない唯一の罪は意見の相違である』 あー、余計にややこしくなってきた。 しかしこんなに良いメッセージも沢山遺している。。 『教育の秘訣は生徒を尊敬することにある』 『氷の上をすべるには、スピードを出すほうが安全だ』 『恐怖はつねに無知から発生する』 『生活は簡素に、思想は高く』 『他人のために生きることは容易である。誰でも皆していることである。』 『自分自身の思想を信じ、自分にとって真実であるものを信じ、 自分の心で万人の真実を信じるものが天才である』 しかし、こういうのもまだある・・ 『靴屋は素晴らしい靴をつくるが、それは彼が他に何もつくれないからである』 思想・言論の自由ねえ・・・・。 同時に耳栓も要るねえ・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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