〇セミヤーゼの言葉
昔は、地球の人間に何らかの思考形態を伝えるためには、目に見える証拠が必要であった。でもこの目に見える証拠のために、人々は奇跡を信じ始め、またもや迷妄に踏み入った。
現代の地球は目に見える証拠を超えたところを進んでおり、明晰で論理的な理性と同様にまた明晰で論理的な悟性の道をひたすら歩まなくてはならない。
この価値のみが現代にふさわしく、それらは目に見える証拠よりも優れた証拠なのである。
今日、進化の道を歩むことができるためには、意識の力、知識、英知そして愛が、極めて重要な意味を持っている。
イマヌエルの時代は、そうではなかった。というのは、その当時の地球人の知識はまだあらゆる点で、目で見、耳で聞くことができる事物に非常に強く捕らわれていたから。
そのため当時の人間は、目に見える証拠を見たり聞いたりすることで自分の思考力を自覚し、それによって進化の道を進むことが保証された。
でも今日の地球人はその段階を乗り越えて、より大きい理性と悟性を獲得し、自分の思考力をはっきり意識するようになった。
そのため地球人が進化するには、この力を獲得して有益に応用することが求められる。
けれども、これは本当に大変な意識的努力を払うことによってのみ可能である。
つまり地球人はいまや、目に見え聞こえる証拠を必要とすることはなく、意識的作業そのものによって、知識、真理、英知そして愛を形成すべき進化段階を生きている。
しかしながらこの時代にあって、人間が目に見える証拠あるいは耳に聞こえる証拠を要求するならば、その人間は意識の点で、まだ完全に新しい時代の段階まで昇りつめていないこと、ある事柄においていまだに古い時代にとどまっているということが明らかである。
水瓶座時代の地球において今日の証拠となるのは、人間の理性であり悟性であり、そして真理の無謬の論理である。
でもこれを地球人は、その適応力に優れた思考形態により自ら認識しなければならない。
先日の2021年4月3日pm5時(米中央時間帯)
シューマン共振が記録破りの驚異的な数値を示す。
地球の電界のデータは、1,500Hzまでとてつもなく上昇しこれ程の値は経験したことがない。
1.地球外生命体は存在するでしょうか?
Genesis Saetze 211-240
最初に創造されたのは、創造の自己進化に組み入れられた形態の生命を維持することが可能であるような、特別の形状と特別の価値を持った形態であり、自己意識のある自立した生命体として、また法則の履行という価値に有するものとして、オメダム(OMEDAM)と呼ばれるべきものであった。
すなわち創造は、その自己進化に組み入れられるべき生命体オメダムの理念を生み出したのである。創造はこの理念から被造物の存在を、存在するために創造された植物相や動物相の、固有と進化の中に置かれた生命と同じ形態で創造した。つまり生命体オメダムは固相および固形において、全宇宙に7×7通りの形態と7×7通りの色合いで創造され、精神的なものと物質的なものという二重性において創り出された。
生命体オメダムはその呼び声に相応しく自分自身と、彼らに先立ち存在するようになった他のあらゆる種類の生命体を、空に、海に、陸に、そして彼らの間で支配し、保護し、進化すべきものであり、万物の中で万物と共に、合体した統一体として内面的なものと外面的なものにおいて法則を履行・遵守しながら進化して、完成を履行し、いくつか完全なものとして創造自体に到着し、そして完成されたものとして創造と同じ方向に向いて、創造の統一における、かつ創造の統一と共に完成された自己統一として創造の自己進化に組み入れられる。
Semjase-Block 1
1.Kontakt,Satz 19-21(Semjase)
地球人は私たちのことを地球外生命とか異星人とか、好き勝手な名称で呼んでいる。地球人は私たちについて現実離れしたことをでっちあげているが、私たちのことを少しも知らない。実際のところ、私たちは地球人と同じように人間。ただ、私たちが知識や知恵の面で、また技術的な点においても地球人よりはるかに勝っているだけのこと。
2.地球外人間はなぜ、どんな目的のために地球に来るのでしょうか?
Semjase-Block 1
1.Kontakt,Satz 35-41(Semjase)
彼らは用心しなければならない。彼らはしばしば自分たちの邪魔になるものは誰とでも戦い。何でも破壊する。惑星全体を消滅させたり、その全住民を奴隷にしたことも何度かあった。そこで、私たちの任務の一つは、このような野蛮人の存在を地球人に知らせ、警告すること。このことを地球人に知らせなさい。これらの堕落した人間どもとの衝突が避けられない時が次第に近づいているから。
もう一つの任務は、教派や宗教およびそれと結び付いた人間の意識の発達不全を警告すること。
すべてに勝り、あらゆる生き物の生と死を支配するものはただ一つしかない。それは万物について法則を定めた創造だけである。
決して覆すことができない。永遠に有効な法則である。
Semjase-Block 1
1.Kontakt,Satz 57-60(Semjase)
宗教とは人間の誘導、抑圧および搾取を目的とする人間の拙劣な作り物にすぎず、それに溺れるのは意識の弱い生命だけ。この真実を白日のもとに晒し、人々に知らせなさい。これも私たちの任務。さもなければ、人類は徐々に自己崩壊し、完全な霊的な闇(意識の闇)に陥るでしょう。
Semjase-Block 1
3.Kontakt,Satz 14-17(Semjase)
私たちはこの宇宙にすでに存在し、発展を続けている人間を守るという義務を任務としているにすぎない。つまり秩序を維持し、特定の生命を見守るよう努めている。
指令があれば、私たちはあちこちで様々な世界の住人に接近し、何人かを選び出して教示している。ただしこれを行うのは、ある人種がかなりの程度まで発達していて、徐々に思考し始めるようになってからのこと。
自分たちがこの宇宙で唯一の思考する生き物ではないという考え方に徐々に慣れるよう彼らに準備させる。私たちはあちこちでテレパシーを使ってある種の認識を芽生えさせたり、時代が求める技術的な発明をさせたり手助けしている。
3.彼らはなぜ公然と登場しないのでしょうか、またどうしてすべての人間が彼らとコンタクトを取れないのでしょうか?
Semjase-Block 2
24.Kontakt,Satz 12(Semjase)
最後にもう一度だけ、あなた以外の人物といかなるコンタクトを取ることは全く不可能であることについて説明する。それは以下に挙げる理由から。
1)私たちがある地球人とコンタクトを取る場合、その地球人がそれまでの数十年間にわたりあらゆる分野で研鑽を積んでいることが条件となる。
2)私たちは霊的意識的な面で必要な前提条件が満たされている場合しか、地球人とコンタクトを取ることができない。つまり意識的に良好なだけでは十分ではない。霊的な発達が何よりも重要だから。
3)私たちはある地球人がその発展段階において非常に進んでいて、同胞の言うことや書物に書かれていることや宗教または教派の規範に惑わされることなく、独力で真理の中の根本的な真理を浮き彫りにして認識できる場合にのみ、その地球人とコンタクトを取ることができる。
4)これらの前提が満たされることなく私たちがある地球人とコンタクトを取るとき、そのようなコンタクトは特定の目的のために一時的に企てるものにすぎない。
その場合目的が達成された後、その人間の中にある私たちに関する記憶などは抹消される。例えば私たちがタルムードを発見させた人物のケースがこれに当たる。けれどもそのような人物には、公然と登場することを必要とするような何らかの使命を課すことはできない。
なぜならば、これらの人物の記憶は末梢され続けるので、彼らの意識には相互の連携も正確な事実も存在しないから。
しかし、そのような地球人もごく特定の知識分野で非常に発達していなくてはならない。
タルムードの発見者がその一例で、言語に非常に精通していたが、私たちは彼に過度な期待をかけ過ぎたようである。
5)私たちが地球人とコンタクトを取るときは、ある高次の指示に従い、必ず正確に指定された数の生命体だけを対象とする。その理由の一つは、重要な地位にあまり多くの人間が関与するとすべて台無しにしてしまうから。
このように説明していて、あなた方が非常によく用いる、この場合にぴったりの諺を思い出す。料理人が多すぎて粥が台無しになるというもの。
それは、創造の法則と掟に関する教えにおいてもその正しさが証明され、不動の位置を得ている事実なのである。創造のみが規定するものだから。
6)私たちは、自分たちで責任を負えない限り地球人に姿を見せてはならない。このように用心するのは、特に私たちのシップやその他すべての事物を手に入れようとしている個人、軍隊および官庁の欲望が念頭にあるから。
したがって多くの人とコンタクトを取ることは、波動の点でも有害であり、私たちにとって危険でもある。
だから私たちがコンタクトを取れるのは、波動の点で私たちと調和でき、全幅の信頼を置くことができ、あらゆる点で熟知している地球人に限られる。
このことは、まさに私たちがあなたやあなたのグループとともに遂行する特殊な使命にとって、広範囲におよぶ重要な意味を持っている。だから、必要な場合はおよそ考えられる限りの手段を用いて、会見者に悪い結果がおよぶのを防ぐことが、あらゆる点で確実にできなければならない。
7)私たちが選別された極めて特定の地球人にしか自分たちの存在を知らせず、秘密の道や行きにくい場所でコンタクトを取ることには次のような理由もある。
数え切れない人間がひたすら刺激と利己心を追及しているが、彼らはその理由だけで私たちとコンタクトを取りたいと思っている。しかしまた、私たちを目撃したらパニック状態に陥り、非常に危険な影響を招く恐れのある人間も無数にいる。
4.夢は泡のようでしょうか?
Der rosarote kristall 'Das unsichtbare Koenigreich'
しかしそれでも人間にとって、これらの夢を正しく見て理解し、記憶に留めておくことは難しい。
なぜなら、現実の悪い王が何度も自分の悪い手下を送り出しては、これらの夢とその記憶を壊してしまうから。悪い王は、人間がしばしば非常に醜く悪い現実の中で生きるよう望んでいる。でも本当は、現実はほかならぬ人間自身のせいで、これほど悪く醜くなっている。
それというのも人間は人生において非常に多くの物事を誤り、自分勝手に生き、ひたすら富を求めながら、知識や英知、善や真理などの価値あるものはすべて斥け、美やすべての夢もないがしろにして踏みにじるから残念。そのようなわけで現実の悪い王は、地球のほとんどすべての人間を支配することもできる。
5.私たちはなぜ生きているのでしょうか。私たちの人生にどんな意義と目的があるのでしょうか?
Geisteslehre
Einfuehrung,Sinn des Lebens
人間は宇宙の中で一部として、不変の法則と特定の存在目的をもって生きている。これらの普遍的な法則と存在目的を認識し把握するものは、人生の意義をも認識し把握するし、その認識を常に自分の存在と関係づけるよう絶えず努力を続けるでしょう。
そうすることにより人間は自分自身を認識し、自分自身に対する強力な主人となり、それによって周囲の世界に善い影響を与える。
Genesis
Auslegende Erklaerung,Satz 392-395
この万物の中で万物と共に進化するというのは、植物相および動物相だけでなく、万物の中で万物と共に進化すべき人間の生命体にも該当する。
これはまた、すべての生命体は進化の過程の統一的な履行において互いに共生し、内面的なものにおいても外面的なものにおいても、すなわち霊的なものにおいても物質的なものにおいても、七層の法則を履行しながら統一体として合体しなければならないことも意味している。
それゆえ人間の生は、七層の法則の履行として、霊が完成に向かう進行の履行として生きられるべきであり、いつか完全なものとして、統一的な完全性として、創造自体の意識と心根に到着し、そして創造と同じ方向に向いて創造の中で、また創造と共に固有の完成として完全なものに向かう創造の自己進化を促し、それ自身は自己統一として創造の統一に組み入れられている。
6.私たちの地球の人間はどこから来たのでしょうか?
Leben und Tod
Seite 62
さて、死後も魂(Seelre)は生き続けるというのは、カルト宗教に負った全くのナンセンスである。肉体と死と共に魂も死ぬ。なぜなら魂は肉体の純然たる半物理的因子であり、したがって肉体そのものと同様に移ろいゆくものだから。
人間とその肉体の死後も生き続けて彼岸領域に入るものは、ただ創造の部分として霊(Geist)しかなく、これは物理的肉体がそもそも生き得るために必要なものである。この霊は不断の進化に組み入れられており、彼岸領域で生き続けて、ある時間の後に再び新しい物理的肉体に転生する。
7.死後の生は存在するのでしょうか?
Semjase-Block 3
31.Kontakt,Satz 603-608(Semjase)
人間という生命形態は創造によって造られたものである。だから人間は、あなたがたの地球で悪意をもって主張されているように、サルなどの動物に由来するものではない。
物理的な形態の発展を考えるなら、人間という生命形態の生成過程は非常に長いものである。人間は最初の原始的な生命体から、しかし人間となる定めをもって創り出され、すでに創造の力によって人間となるように賦活されていた。
つまり最初に創られたときから、この被造物は人間的になり、最後には人間となるように定められていた。
したがってこの生命形態は、そもそもの最初から根本的に固有の類なのである。
OM
Kanon 8,Verse 78,79
そして人間に至るまで生命体が創造された。人間は地球の原物質から、すなわちその物質結合的に働く生命から発達して、独自で固有の系統に忠実な高度に発達した創造的生命形態として造り出された。
そして地球および既存の植物相と動物相の物質結合的に働く人間の生命が造られたが、植物相や動物相の生命形態とは直接同類ではない。
8.伝授された者にとっての秘学(秘儀)は存在するのでしょうか。またそれはどうしてそのようにされているのでしょうか?
Die Psyche
Seiten 58 und 59
思考の途方もない力は今日初めて発見されたものではないが、その正しい応用は今日の人間にもまだ目新しく、まるで7つの封印をした書のように不可解に映る。莫大な量のナンセンスと並び、あらゆる現実的なもの、本当のこと、真実、そして法則と掟に適ったものが厳しく禁止された知識として秘学に注ぎ込まれ、普通の第三者は絶対に近づくことができなかった。これは20世紀の今日でも、その真正さを否定することができない事実である。
途方もなく長い歳月にわたって集められた人類の計り知れない知識の多くが、今日なお近づきがたい秘学の中に隠されており、法王や僧侶や秘学者が死ぬときまで守られ、人類から隠されたままにされる。
だが、なぜか。理由は極めて単純である。人類の大多数が秘学の知識を発見したならば、それは彼らに人生を肯定する驚くべき利益と進歩と成果をもたらすだろうが、そのとき宗教と政治はごく短期間のうちに根こそぎにされるだろうからである。
9.賢者はまだどこかに存在するのでしょうか?
Arahat Athersata
Kapitel 3,Satz 99 und 123
それゆえ君たちの時代に知識と真理と英知を厳しく言葉で告げ、計り知れない霊の教えを君たちの間に広める真理の告知者と賢者を敬いたまえ。
たとえ地球の人類が、新時代の賢者や預言者を現代までわずか5本の指で数えることができるにせよ、これら少数の人間は人類全体より大きく強大である。
OM
Kanon 30,Vers 36
賢者は賢く、誤ることがないので、何らかの事柄について言葉少なに語るか、黙している。
なぜなら賢者は、真理は言葉をわずかしか必要としないことを知っているからである。それゆえ賢者が言葉や助言を与えるために唇を開くことはめったにない。
10.『OM』とは何を意味するのでしょうか?
Stimme der Wassermannzeit Nr.50,OM
OM(サンスクリット語:AUM)は地球では久しく忘れられた古代リラ語に由来する太古の言葉である。
OMという言葉の本当の意味は、2つの文字の価値が十全に示されたとき、すなわちOとMはOMFALON MURADO の頭文字であり、この2つの言葉が説明されたとき初めて認識できる。
しかしOMFALON MURADO という2つの言葉は、頭文字のOとMを組み合わせた略字において、2つの言葉を完全に発音したオムファロン・ムラードと同じか、さらにはもっと高い音調を生み出す。そのためこの略字が用いられるようになり、広くOMとして定着したのである。
古代リラ人は彼らの真理の書(BUCH DER WAHRHEIT)をOM、OMFALON MURADO、すなわち「生命中心」または「生命の中心」と呼ぶ。
このOM書は、創造に関するすべての教えを含んでいる。すなわち、その中には英知と生命に関するあらゆる教えが文字で書かれている。
11.なぜ宗教が存在するのでしょうか。宗教は以前からずっと存在していたか。私たちには宗教が必要でしょうか?
Ein offenes Wort
Seite 166,Satz 1215
・・・このカルト宗教は根本的にエクナトンというファラオのもとで始まった。このエジプト人は宗教史では一神教、すなわち一神信仰を発明した最初の偉人として知られている。
Semjase-Block 3
31.Kontakt,Satz 304-309(Ptaah)
したがって地球人の宗教について語るとき、それは現在地球上に存在し、適用され、影響を及ぼしている形態の宗教が意味されている。
この意味における宗教は地球上や地球にとって致命的な危険であるだけでなく、宇宙全体にとって致命的な危険を宿している。
地球上に存在しているような意味での宗教は独自のもので、他に類を見ない。
宗教は致命的な危険として地球人と惑星全体を支配し、数千年来君たちの世界を霊的な観点で萎縮させてきた。
どんな霊的進歩もこれらの宗教によって妨害されて、それ以上進めない。
霊の進化は君たちの地球を支配している宗教の邪説によって妨害されている。
DeKalog
2.Gebot,Satz 195-197
創造の名を厳粛に扱い、乱用してはならない。
地球の人間よ、君は他の生命形態よりも良くも悪くもないが、我々が知っているすべての生命形態よりもはるかにひどく誤導されている。
これもまた、我々の知るどんな水準にも宇宙にも類を見ない、非現実的で理解しがたいカルト的宗教という馬鹿げたものに原因がある。
だがそれは君の悪行や悪意のせいではない。なぜなら君は何らかの不当な理由で誤導されて、搾取と霊の貧困と奴隷状態に陥ったにすぎないから。
12.知るまたは信じるとは?
Wissenswertes
Nr.2,Wissen und Glauben
信じると知るとの間には根本的な違いが存在する。信じるとは、証明できないものを単に盲目的に真理として受け入れることを意味するが、知るとは証明できるものだけを受け入れることを意味している。しかし、証明は霊的な要件において、そしてこれこそが一番重要なのであるが、内面的な証明可能性によってしか認識できない。
このことは集中的で意識的な思考作業のみが、何らかの事実に関する証明を生み出せることを意味する。これと反対に信じることは決して証明をもたらすことができない。
なぜならば信仰は差し出されたものを単純に信じるという形での憶断として、真理として受け入れることに基づいているからである。
このようなことは特に宗教で起こる。なぜならば、何らかの教えやドグマやカルト儀式が信者に差し出されると、信者はそれらを単純に抵抗することなく信じなければならず、それが正しいということの証明は決して与えられないからである。
信仰とはすなわち思考の欠如と思考の怠惰に根ざしている。これに反して、知識は激しく休むことのない意識的な思考と作業を求めるのである。
13.再生(転生)はあるのでしょうか?
OM
Kanon 14,Verse 6,7 und 13-15
地球の此岸には粗大な質料物質の生命と、それに伴う学習期間と進化がある。しかし彼岸領域では霊的なものの生命と、それに伴う霊形態の進化がある。つまり彼岸領域では、霊形態が新しい人間の肉体の中で再び生きるための準備が行われるのである。
霊形態にとって彼岸領域では再び生きるための進化と準備が続き、そうして新たに物質的な人間の肉体に、屈託なく新鮮に、もう一度地球上で生まれる。
人間は地球上の此岸で生き、死んで彼岸に赴く。こうして人間は絶えず再生し、進化する。つまり人間は生き、死に、新しい肉体に再生し、そしてこのような生成と消滅は、創造の微小な一部である人間の霊形態がさらに進化して物質的な人間の肉体をもはや必要としなくなる時が始まるまで繰り返される。
14.動物も進化(発達)するでしょうか?
Semjase-Block 4
54.Kontakt,Satz 55-57(Semjase und Billy)
ビリー「よろしい、ではさらに動物の霊形態はどうなっているか話してくれないか。これらも霊の進化に組み入れられているのでしょうか」。
セミヤーゼ「もちろん。でも動物の霊形態は純粋な自然進化の特定の秩序に限られている」。
ビリー「つまり動物は、人間の場合に見られるような通常の意味の霊進化とは関わりないということかい」。
セミヤーゼ「その通り。なぜなら動物の霊進化は霊の完成に寄与することはなく、与えられた秩序の中で自然進化に寄与するだけだから」。
ビリー「つまり言い換えると、動物形態は霊的な形態においてある最小限の価値には発達するが、本来の完成を目指す進化ではなく、おそらく本能的知性などと呼べるような自然霊の発達に組み込まれているということだね」。
セミヤーゼ「その言い方でほぼ当たっている」。
15.瞑想とは本当は何でしょう?日常生活で何の役に立つのでしょうか?
Einfuehrung in die Meditation
Seite 127,Satz 1-4 und Seiten 228/229
さて、死後も魂(Seele)は生き続けるというのは、カルト宗教に負った全くのナンセンスである。肉体の死と共に魂も死ぬ。なぜなら魂は肉体の純然たる半物理的因子であり、したがって肉体そのものと同様に移ろいゆくものだから。
人間とその肉体の死後も生き続けて彼岸領域に入るものは、ただ創造の部分としての霊(Geist)しかなく、これは物理的肉体がそもそも生き得るために必要なものである。
この霊は不断の進化に組み入れられており、彼岸領域で生き続けて、ある時間の後に再び新しい物理的肉体に転生する。
16.なぜ地球は人口過剰なのでしょう?(地球人の数は1840年から1993年までに14億から59億に倍増した)
Arahat Athersata
Kapitel 3,Satz 6-12
人間の種の保存は、地球の宗教の邪説が明言するように、単なる繁殖の決まり文句で表されるものではない。
種の保存とは、自然法則を遵守することである。つまりその遵守とは、神聖で、見通しがきき、統制的なものである。単なる繁殖の決まり文句は、神性ではなく、見通しもきかなければ統制的でもない。
なぜならそれはあらゆる自然法則に反して無意味な規模の繁殖を生み出すからである。地球人が単なる繁殖の決まり文句に従い、創造と自然のすべての法則をないがしろにしているということは、少しでも霊的な発達の軌道を歩んでいる者ならば誰でも認識できる。
人類は節度も節制もなく増え続け、統制不能の低俗な形で子孫を生み出している。
君たちの地球は5億の人間の生命形態を支え養うことができるが、地球人は35億もの人間を生み、わずか数百年の間に、何百万という人間が正常でない死に方をしなければならないほどひどい人口過剰を招いていた。
地球人の無分別と宗教の邪説のために人類は際限なく増え続け、それまでは少数の人間に限られ食い止めることのできた諸々の問題がとんでもない規模で広がって制御不能となった。種の保存の法則を破りないがしろにしたため、人類はわずか数百年の間に人口過剰に陥り、それとともに困苦や変節などあらゆる問題も増大するのが避けられなかった。
17.神・悪魔・地獄は存在するでしょうか?
Psyche
Seiten 52/53
神(Gott)という言葉は、異民族の言語のやはり非常に古い概念にすぎないが、この民族の存在も言語も1973~1994年に至るまで確実に証明することはできなかった。
しかし絶対に確実なのは、神という言葉はこの太古の未知の言語に由来するものであり、創造とはいささかも関係ないということである。
神という言葉はおよそ考えられる太古において、霊的そして意識的な力およびそこから生まれた能力により、王や皇帝にもかなわなかった物事を意のままにして成就できた人間を表す名称として用いられた。
したがってこれらの人間はその能力のゆえに神または女神と呼ばれたが、それはほかならぬ(霊的そして意識的な面で)皇帝や王の上に立つ者を意味した。
この目的のために知謀にたけた者たちは、古代ケルト人の歴史を利用した。彼らは太古にある一人の超人、すなわち神と呼ばれた者たちの一人を狩猟の神として崇拝した。
なぜならば、彼はその驚くべき霊的そして意識的な力を民衆の狩りが成功することに用いたからである。
太古の伝承などから立証されるように、頭蓋に二つの角状の突起を持っていたこの神はトイベルと呼ばれていた。数百年、数千年の間にトイベルという名前は数え切れないほど変わり、最後にそこからトイフェル(悪魔)という名前が生まれた。
初期の宗教が取り上げたこの名前は、角の生えていない善と愛の神に対して悪の対抗物、すなわち第二の神として加えられたのである。こうして善と悪、すなわち天国と地獄が生まれた。
Leben und Tod
Seite 1
地球の人間よ。君がどこか天国や地獄に行くというようなことは決して可能ではなかったし、これからも絶対に不可能でしょう。
君は人間として自分で天国や地獄を用意するのである。つまりもし君が天国に行きたいと欲するならば、自分自身で天国を用意しなければならない。
18.イマヌエルは誰だったのでしょう。彼は生存していたのでしょうか?
Semjase-Block 1
8.Kontakt,Satz 202-208(Semjase)
イマヌエル自身はただの人間であり、他の人間とまったく変わるところはない。そのことは、私よりもよくご存じのはず。
彼はただ膨大な知識を身につけていたにすぎない。象徴でも偶像でも他のどんなものでもない。彼は確かに教師であった。
つまり霊と意識に関する知識や英知を人々に伝える預言者だった。でもそれ以上の何ものでもなかった。いかなる生命形態も決して偶像化したり、ましてや崇拝したりしてはならない。人間はそれをよくするけれど。
私たちが二千年にわたって人目につかない場所に隠されてきたタルムード・イマヌエルを発見させた理由はただ一つ、真理の時が到来したから。
イマヌエルの教えは彼自身の教えではなく、彼自身もまず学び、認識し、受け入れなければならなかった創造とその法則の教えなのである。
19.なぜ救済者という呼び名は一部しか正しくないのでしょうか?
Arahat Athersata
Kapitel 3,Satz 218-220
当時イマヌエルと呼ばれた人間の生命形態は、創造の法則と掟に従って行動し、それらを冷厳な秩序において遵守した。彼はごく狭い範囲でだけ霊の教えを告げたが、彼の子孫たちはそれを同じ形で地球のあらゆる方角に広めて、人々に告げ知らせ、創造へと戻る道を示すべきだった。
だが彼らは教えを誤って理解し、邪説と混乱を告げた。
Talmud Jmmanuel
Das 4.Kapitel,Jmmanuels Arkanum,Vers 42-45
イマヌエルよ、彼らは君をも神として、またその一人の子として罵倒し、そしてまた君を秘密に満ちた創造と同列に置くであろう。この誤った教えを意に介してはならない。
人類の子孫が真理を認識できるようになるまで数千年かかるだろうから。
君のために多くの人間の血が、すなわち君の血とともに数え切れない世代の血が流されるでしょう。
そうしたことにも関わらず、君は英知の王としての、天孫ガブリエルの息子としてのミッションを果たすがいい。
Das 35.Kapitel,Kulte um Jmmanuel,Vers 37-40
異類のカルトを持った人間たちがやってきて、自分たちの間で私を神格化し、民衆の信仰心を一層掻き立て、それによって民衆を奴隷化し搾取しやすくするでしょう。
私の名前で多くのカルトが作り出されるでしょう。
そうする理由は、人間がその意識において奴隷化されて自由を奪われ、それによって民衆と国土と金銭を支配する強大な権力をカルトに与えるためにすぎない。
君たちに言っておくが、いかなるカルトも正当ではなく、創造を最高のものと認識しないのみならず、創造の法則と掟に従って生きることもないでしょう。
いかなるカルトも、真の教えや知識や真理を説くことはないでしょう。
20.心とは何でしょう。それは何からできているのでしょうか?
Leben und Tod
Seite 62
地球人の間に、魂は死後も生き続けるなどという邪説が起こったが、これはいつの時代にもカルト宗教をかつぐ連中が、無責任にも真の事情を知らずに人間において感情中枢をなす因子、すなわち心(Psyche)を不死なるものと呼んだことに起因する。
心は人間の感情中枢と思考世界から形成されている。実際、人間が心理の認識条件に関して無知、無教養であったならば、心を観察した時に、それが半有機的・物質的なものではなく、霊的なものであるかのような混乱した印象が生まれるが、これは完全に真実と相反している。
つまり数千年前に人間を非常に不正確に観察した結果、その当時、そして今日もなお一部で誤った魂も心も不死で、純粋に霊的な本性のものであると言われた。
しかし真実は、この魂(心)も肉体そのものと全く同じように死すべきものであり、肉体そのものが死によって生命から引き離されると、たちまち息絶えるのである。
21.魔術は存在するでしょうか。魔術とは本当は何でしょうか?
Geisteslehre
Lehrbrief Nr.36,Die Zahl 15
15という数字は何よりも魔術の世界の価値を表している。この数字は優れて超自然的・超感性的な意味を持っているが、一般にはいわゆる高度な神秘学を担うものではない。
15という数に属する人間は、しばしば目標を達成するために魔術を用いることができるが、この場合、魔術という言葉を正しく解釈しなければならない。すなわちそれは力を発揮することを意味している。
15の特性の人間は、15という数を4または8と関連づけるときには非常に注意深くなければならない。なぜならば、それらはかなり悪いことの象徴となり得るから。
15という数に属する人間は非常に速くその力を、いわゆる黒魔術に使うことができる。それは自分の持てるすべての力を否定的な形で作用させることを意味する。
15の人間は、たいてい非常に弁がたち、音楽や演劇の才能があり、精力的で、芸術的でもあるので磁石のように引き付ける強い力を否定的な形で利用することなどわけはない。
15の人間はまさにそのことを避けるように用心すべきである。
Wissensewrtes
Nr.3,Die sieben Rechte der Magie
個々の領域について概略を述べる前に、魔術という概念の定義を試みよう。我々は意志的に意図した現象が空間と時間を度外視して起きるとき、魔術が行われたと言う。それゆえ、魔術を何かの物理的な意味での放射によって説明しようとしてもできない。
なぜなら物理的現象はすべて我々が感性的に知覚できる世界と結びついており、この世界は空間と時間の中で表わされるから。
さらに魔術の作用は何らかの意図、すなわち行為する知的存在を前提としており、自発的な自然現象とは比較できない。
22.なぜ戦争は昔からずっとあるのでしょうか?
Arahat Athersata
Kapitel 3,Satz 119-121
数百年、数千年の昔から、地球の民族のあらゆる指導層には、認識と愛と真理に関する知識と英知が欠けている。
そして現代において、これらの指導層にとって創造およびその法則と掟に関する知識と英知は、彼らが戦争や殺戮に駆り立てることによって罪もなく流された一人の人間の血ほどの値もしない。このような指導体制のもとで地球人に残されたものと言えば、死の奈落へと滑り落ちる道のみである。
23.第三次世界大戦は避けられるか、避けられないでしょうか?
OM
Kanon 36,Vers 64-70
地球人は第三次世界大戦の虜になり、数多くの戦争や雄叫びが地球全体に響き渡る。民族同士、家族同士が互いに対立する。死の炎が地球上を駆け巡り、人間をまるで厄介な害虫のように皆殺しにする。こうして地球人がそれまでの狂気の沙汰にも挑んできた創造の法則と掟が履行される。
民族の多くが自分の罪によって、偽善者と盲目の罪によって、坊主と偽の教師や指導者の罪によって、権力者や裁判官、執行者や創造からの離反者によって滅びるでしょう。
人間の間にいる蛇蝎の輩は自分自身の罪によって滅ぼされるでしょう。
地球上には死の太陽が照り輝き、狂気を止めることのできるものは何もない。こうして地球の人間は方向を転換して創造の道に向かわないならば、自分が犯したあらゆる人殺しの罪のために自らを罰し、滅びるという古い予言が的中する。
Prophetien
Mittwoch,28.Januar 1976(Petale)
人間が本当に円満な状態へ、純粋に霊的なもの、まことの誠実さと、より普遍的な愛、そして一切を包含する調和へ向かって歩まなければ、恐るべき予言が残酷にも的中し、それはいつまでも続くでしょう。
1974年以降、核による地球の完全破壊は巨大で普遍的な力によって避けられているが、第三次世界大戦の危険は回避されない。それはすでに芽を出しており、侮蔑に満ちた平和な時代に突如として暴力的にやってくる。この地球の人間は夜安らぎに満ちて横になるが、平和の真っ只中で戦争の雄叫びによって眠りを破られる。
だが人間は現在まだ善いことや、愛と平和と調和の中での霊の道を考えてはいない。
Stimme der Wassermannzeit
Nr.35,Der dritte Weltkrieg...
現代の多くのいわゆる予知能力者や予言者は、第三次世界大戦はもはや起こらないと主張する。しかしこれらの主張は真理に基づくものではない。それらはそうした主張を掲げる者たち自身の際限のない不安に対する気休めにすぎない。
第三次世界大戦が起こらないという主張の中には臆病さも相応に含まれている。
なぜならば、そのような嘘を主張する者たちはまさしく臆病さから、与えられた事実と直面しようとしないから。
ここではっきり言っておくが、第三次世界大戦は必ず来る。
第三次世界大戦は、祈祷の後に坊主が必ずアーメンと言うくらい確実に訪れる。そしてこの第三次世界大戦はもはや防ぐことはできないが、これはカルト宗教が少なからぬ罪を負っている。
24.個人は平和のために何ができるでしょうか?
Die Uhr schlägt eben Zwölf
Seite 127,Satz 1-4 und Seiten 228/229
平和とは単なる言葉ではなく、計り知れない価値を持った概念である。
しかし世界平和は小さなところから始まる。自分の家やごく身近な周辺で戦争をしていたら地球上に平和を生み出すことは決してできない。
最初に身近な場所や自分自身の中で、それから友人、親戚、知人、そして仕事や余暇で日々出会う人々との間で平和を生み出していかなければならない。世界平和の努力は小さいところから始まり、そこから次第に拡大していく必要がある。
このことは、世界情勢や低劣な出来事がどうであろうと、小さいところでの結び付きを求める。
25.預言された破局を防ぐためには何ができるでしょうか?
Stimme der Wassermannzeit
Nr.52,Eine letze Chance...
さて、善い意志のあるところには道もある。この道をビリーの地球外の友人は最近極めてはっきり明確に示した。解決の標語は非常に簡単な「平和瞑想」である。
すべてが考えられる限り単純であり、金銭的な費用や、物質的な補助手段などを要することなく誰でも実行できる。必要なのは少しばかりの時間と善い意志だけである。
プレヤール人の説明によれば、我々は直ちにいわゆる平和瞑想を始めることによって、第三次世界大戦の勃発を数年遅らせ、その残忍さを緩和できる可能性がある。
26.時は切迫している!今日果たせることを明日に延ばすことなかれ。変化と改良のためにあなたの関与が必要である!
Die Uhr schlägt eben Zwölf
我々はすべての邪悪を直視し、あるがままの姿で認識しなければならない。そしてあらゆる邪悪の根をつかんで根こそぎにする。しかしながらこれは、自分たちの子孫のためにも公正で健全で自由な世界、正しく管理・統制された天国を作り出そうという、責任感のあるすべての人々の積極的な支援と協力なしにはできない。
それゆえ、権力亡者や知ったかぶり屋、無責任者や物質主義者の狂気との戦いにおいて君と君のすべての力と援助が必要なのだ。彼らは自分たちの利潤欲と権力欲を満たすことしか眼中になく、世界や隣人の命などどうでもいいのである。
あなたが生きるすべてのものに対していくばくかの義務感と責任を担おうとするなら、あなたも我々の仲間である。だからいつまでもためらわずに我々に合流し、我々と共にこの世界の狂気に対する戦いに赴き、存続のためのこの戦いであなたの能力も考え得る限り、実行し得る限り傾注する。
あなたもまた必要とされており、この存続を賭けた戦いでなくてはならない存在なのである。
27.愛とは何でしょうか?
Gesetz der Liebe
愛とは、自分が万物の中で、それゆえすべての存在者、すなわち動物相と植物相、人間、種類を問わずあらゆる物質的および霊的生命体の中で、全宇宙の存立において、さらにはそれを超えて共生・共存しているということの絶対的な確信である。
それゆえ本来の定義における愛は、次のことを意味する。
植物であるか、霊体であるか、動物であるか、惑星または星であるか、あるいは人間であるかは全く問わず、あらゆる存在の中で、他の存在は自分自身の存在の部分存在であることの絶対的な確信と感覚を抱きながら共存しているという絶対的な確信を感じること。
愛とは、すべての生命は自分の生命の一部であることを絶対的に確信し、絶対的に知り、絶対的に感じ、そして絶対的に把握することである。
なぜならば万物は一体となってあらゆる存在の絶対永遠の存在における全我々形態をなし、愛を知り感受することにおいてのみ全実在存在として存在できるから。
それゆえ愛とは全宇宙、さらにはそれをも超えて存在するすべての生命体との全く固有の共同性において、そしてまた自分の存在は他のすべての存在する生命形態の部分存在であるとともに、他の生命形態の存在も自分自身の存在の部分であり、全宇宙のすべての生命形態は真実、そうであるがゆえに存在しているという絶対的な英知において、絶対的に知り感じること、絶対的に感じ共生することである。
Dekalog
Nachwort,Seite 135
愛は人間の心情で鼓動でなければならない。なぜなら愛は平和、自由、知識そして英知への唯一の道だからである。しかし創造に対する愛、すべての生命形態に対する愛を感じるとは、畏敬の念を起こさせるすべてのものを敬い、これを承認しつつ義務を果たすことを意味する。
28.聖書で正しいのはどの部分でしょう。昔の預言者の発言がないのはどうしてでしょうか?
Ein offenes Wort
Seite 4,Satz 29-32 und Seite 219,Satz 1536-1538
聖書には人類の極めて古い歴史の一つが断片的に保存されている。が、最も古く完全なものではなく、残念なことに多くの誤りや嘘や捏造が混入している。
旧約聖書(バイブル)に書かれている幾つかの点は、非常に慎重に選別して濾過するならば、今日でも神の真実の教えと見なすことができる。
聖書は幾多の改革や変革にもまれ、多くの邪説を含み、年代記編者、物書き、狂信者、権力亡者などによって捏造されたにも関わらず、極めて明瞭に認識できる根本的な教えを保ち続けた。それは唯一創造のみが万物の本当の創造であり、神はこの創造の人間的な被造物にすぎないというものである。
新約聖書の幾つかの言葉や文は、本当にイマヌエルが説いた教えであり、妥当なものと見なすことができる。
さて、キリスト教の聖書もユダヤ教のモーゼ五書も、その他多くのいわゆる聖なる書も、初期の頃はサンスクリットに由来する説話と類似の事柄を語るすべを心得ていた。
これは聖書の場合、ローマの聖職の決定により当該編本が聖なる書から削除されるまで、例のごとく正確には地球人が再び真理の探求を開始した時点であった。
こうして聖書の最も古く重要な編本、すなわちエノク書が削除され、異端として弾劾されたが、それにもかかわらず例のごとくバ チ カ ン 図書館に収蔵された。
29.人間はなぜ苦しまなければならないのでしょうか?
Einführung in die Meditation
Seite 143,Satz 129-131 und 139-140
世の中の大半の苦難の主たる原因は、無思慮、自制心のなさ、軽率さ、そして不注意である。つまり世の中の大半の苦難は、故意に行われた悪行から生じたものではない。ほんの一瞬熟考するだけでも、多くの場合、広範におよぶ一連の罪や大災害やその他の災禍を十分に防ぐことができる。
純粋観察を通じて、与えられた状況における何らかの態度表明あるいは行動が賢明であるかどうか、あるいは必要であるかどうかを熟考するために必要な時間が得られる。
それによって、宗教の誤った教えにより人間に植え付けられている、不必要で頼まれもしない介入や自己干渉にすぐさま飛び付いてしまうといった態度は、徐々に改まるでしょう。
そこには、内的および外的な生活に多くの苦悩と非常に多くの不要な紛糾をもたらすもう一つの原因、悪質であるが回避可能な原因が潜んでいる。
30.人間は地球上にすでにどのくらい長く存在しているのでしょうか。我々の惑星で最初の人間はアダムでしょうか?
Semjase-Block 1
9.Kontakt,Satz 148-153(Semjase)
すべての副指導者の最高統率者であるセミヤーサ(Semjasa)は、イブと交 接した。彼が見るところイブは人間に最も似た形態を維持した、かなり美しい雌であった。この交 接から生まれた子供は男性で、人間の容姿をもっていた。これは地球の人という意味である。
この後の交接から一人の女子が生まれた。セミヤーサは後年これら二人の地球の人が交 接すべきことを定めた。
その後も多くの子供が生まれ、それらはやがて集団となり、部族を形成するに至った。これがやがて今日の人類に発展するのだが、人類はそもそもの最初から人種ごとに別々の大陸に別れて住んでいた。
31.占星術で正しいものは何でしょうか?
Semjase-Block 5
66.Kontakt,Satz 26-32(Semjase und Billy)
セミヤーゼ「シンボルは約12000年前に私たちの祖先によって形造られたが、時とともに何度も変更され、失われもした。それでも繰り返し発見されては、元の形に造り直された。それらは再び本来の原形に戻ったので、今日に至るまで保存された。
個々のシンボルは、それぞれの星座に固有の極めて特殊な価値を持っている。これらの価値は波動によってすべての生命形態にも伝送されて、生命形態に合わせた性格と相応の特質を持つ。そしてこれらの特質が物理的なもの、心理的なもの、精神的なものにおいて表現される」。
ビリー「ああ、それはもう占星術の観点だね」。
セミヤーゼ「その通り。でもこれに関してはすべての星座が重要な意味を持っており、わけても時間は非常に支配的な役割を果たす。占星術の正確な規定値では、時間規定は1秒の単位まで極めて大きな意味を持っている。この要因は残念ながら地球の占星術師の間では重要視されていない。なぜなら彼らは自分たちの評価を分単位で計算することを好むから。
そのため普通は、必然的なことだが、おおむね正しいという結果にしか至らない」。
32.テレパシーとは何でしょうか?
Geisteslehre
Lehrbrief Nr.17,Gedankenwellen
ある人間が何らかの想念を他の人間に伝えようとするとき、それが霊テレパシーでないとすれば、物質的意識と物質的潜在意識を通して行われる。さまざまな集団、組織や機関、教団などで誤った偽りの主張がなされているが、通常の簡単な想念伝達は霊的な領域からではなく、物質的意識と物質的潜在意識の純粋に物質的な領域から発せられる。
つまり主張されているように、ある人間の内的な自己が別の人間の外面に想念を伝達するのではない。
現在まだ地球上で行われ、地球人の間でこれまでに知られている通常のテレパシー形態は、物質的意識による単純な想念伝達である。
33.エホバとは誰だったのでしょうか?
Semjase-Block 3
39.Kontakt,Satz 66-72(Semjase und Billy)
セミヤーゼ「あなたは事情をとてもよく知っている」。
ビリー「君がそれについて知っているのは大いに結構!私が言っているのは昔の「愛するべき神」、私がイシュヴィシュ野蛮人と名付け、一般にエホバさんと呼ばれている神のこと」。
セミヤーゼ「つまり古代もしくはモーゼの時代の神だね」。
ビリー「さよう、あのスーパーヒーローのことだ。二重人格者で、一方で自分を創造であると宣言し、すべてを包み込む愛と慈悲と正義について偉そうな口をたたいたかと思うと、手のひらを返すように見境なく無実の人間の命を奪い、命令により何百万という地球人を虐殺させた」。
セミヤーゼ「まったくその通り。彼の像については良く知っている。あなたがたは彼を聖書の神と呼んでいるが、私たちの間では不正で残忍な者と呼ばれている。ほぼ2150年前に死を迎えた。非常に邪悪で権力欲の強い生命体で、他の善良なイシュヴィシュと並んで実権を握り、無数の地球人を死と破壊に追いやった」。
ビリー「その男に今日のキリスト教はなおもとんでもない敬意を払っている」。
34.睡眠状態とは何でしょう。それは有益でしょうか、それとも危険なものでしょうか?
Geisteslehre
Lehrbrief Nr.16,Hypnose
すべての睡眠状態の原点は強度の集中にある。集中は難しい方法でも簡単な方法でも、いろいろなやり方で習得できる。およそ最も基本的で価値のある方法は、瞑想を習練し、それによって最も価値の高い瞑想集中を生み出すことにある。
催眠や自己催眠、暗示や自己暗示は、人間の生活において非常に貴重な基礎をなしている。それらは生活のあらゆる領域で応用したり活用したりできる。
しかしここで催眠や自己催眠を絶対に否定的な目的のために利用してはならない、ということに厳重な注意を払わなければならない。
35.アストラル移動というのはあるでしょうか?
Geisteslehre
Lehrbrief Nr.26,Der Astralkörper
いわゆるアストラル体についてもありとあらゆる邪説が流布され、人々を混乱させている。とりわけここでまたしても幅をきかせているのが超心理学で、真理について全く無知なるがゆえにこれらの邪説を作り出している。
たとえば超心理学の邪説によると、アストラル体は人間の物理的肉体の外部に移動できる。だがそのようなことは実際には絶対あり得ない。そのような場合にアストラル体が物理的肉体を離れたなら、この肉体は数分以内に死に見舞われざるを得ないから。
真実は、いわゆるアストラル体とは人間の中に宿る純粋な霊的生命体にほかならず、それゆえアストラル水準での、またそこから転生した自我のアストラル水準における道具だということである。
つまり正しくはアストラル体は人間の中に宿り、人間を活かしている創造の部分、すなわち霊以外の何ものでもない。
36.イマヌエルはどんな教えを広めたのでしょうか?
Talmud Jmmanuel
Das 34.Kapitel,Die Schöpfungslehre,Vers 1-4
しかしイマヌエルは力強く説いて言った。見るがいい、人間と神、そして万物の頭上には創造が君臨している。人間の悟性には創造は完全であるように見えるが、実はそうではない。
創造が霊であり生きている限り、創造もまた無限に完成しなければならない。
だが創造は、それ自体において一つであるから、固有の創造によって、すなわち新しい霊を生み出すことによって完成できる。
霊は人間の中に宿り、人間を活かし、学習によって進歩しながら完全なものになっていくのである。
Das 23.Kapitel,Das grosste Gebot,vers 39-43
次のこともそうであり、初めのそれと同じである。
すなわちあなたは、ただ創造のみを全能と呼ぶべきである。なぜなら、創造だけが万物において永遠に存続するからである。
神や皇帝は移ろいゆくものであるが、創造は不変である。すべての掟と預言はこの2つの法則にかかっている。
神や皇帝の法則は人間の法則であり、それゆえ人間の間で秩序と法を維持するものである。
しかし創造の法則は生命と霊の法則であり、したがって変化することなく永遠に存続する。
37.天使は存在するのでしょうか?
OM
Kanon 20,Vers 139 und 142-144
不正な者や無知な者たちは、欺瞞的にも創造に息子や娘、天使や聖人をでっちあげる。自分たちの神や偶像に、あるいは多くの神々や偶像などにするようにである。
創造には性別がない。男性でもなければ女性でもなく、純潔でもなければ汚れてもいない。時間的でもなければ非時間的でもなく、空間的でもなければ非空間的でもない。
なぜなら創造は、本当は霊、霊力、光であり、実のところ意識的形態における純粋な霊エネルギーだから。
創造には男性であれ、女性であれ伴侶はいない。なぜなら創造はそれであり、真の意味で無性だからである。
それゆえ創造はいかなる生命体ともすべてにおいて異なっている。
こうして創造は、性別もなければ伴侶もなく、またそれは最も純粋な真の形態における霊エネルギーであり、従属的な絆はないのであるから、どうして創造が息子や娘を持ったり、それらに何らかの形で依拠したりすることがあろうか。
またどうして創造が、粗大物質からなる生命形態の人間で暴君にすぎない神(Gott)であり得ようか。
38.反ロゴスとは何を意味しているのでしょうか?
Semjase-Block 4
45.Kontakt,Satz 142-144(Semjase)
しかしここで注意しなければならないのは、地球人は自分の意志に反して666という数値に、すなわち反ロゴスに、嘘と偽りに到達したということ。
これはやはり自分の意志に反して付けられた虚偽の名前により、狂信者、嘘つき、詐欺師により、そして宗教やいかさま師や権力亡者によりそうなった。
つまり666という数字の価値は、とうにこの世を去ったこの地球人の人物そのものや彼の思考や行為に関わるものではなく、この男から作り上げられ、カルト宗教の権化として地球を支配する狂人に関係している。
Stimme der Wassermannzeit
Nr.51,WUV schlägt zu!
したがってこのことから分かるのは、WUV666という獣もしくは怪物は、ある特定の人間の作用に、もしそう言いたければ額に666のシンボルを付けた20世紀の人間に関係しているということである。
Prophetien
Donnerstag,29.Januar 1976,Satz 1-14
それは悪の子、破壊の子。そこにあるのは知識と英知と真理の敵対者、愛と平和、畏敬と調和の敵対者。それは多様な形の反ロゴス。それは悪の形象、すなわち666。そこにあるのは創造の真理に反し、霊の真理に反し、法則と掟の遵守に反する。それは彼、すなわち権力と無法状態、支配欲と残忍、そして反ロゴスと体現者。
悪の権力は、虚妄の力と奇跡のシンボル、そしてありとあらゆる幻惑、欺瞞、嘘と偽りをもって、救済のために真理への愛を受け入れないゆえに反ロゴスの邪知に溺れた者たちの間に不正と邪説をもたらす。それは破壊の子、反ロゴス、邪悪なもの、混乱させるもの、忍び寄り、潜み、そして死を与えるもの。それは絶滅の子、真理の殺害者、666、反ロゴス。
39.霊の真理とは何でしょう?
OM
Kanon 46,Vers 51-66
英知は、創造の代表的な特徴であり、創造はその一部が霊として人間の中に宿っている。
それゆえ人間はその知識ある英知を増やすがいい。そうすれば、創造を認識するでしょう。
いっそう真理を探求せよ。そうすれば、真理の力を知るでしょう。
真理を認識すれば、あらゆる制限から解き放たれる。真理の認識は果てしない知識と英知をもたらす。英知は、創造の法則を知るための強力な手段である。
愛に満たされた人間は英知も豊富であり、英知の豊富な人間は愛にも満ちている。
しかし地球人は愛を知らないがゆえに自分自身を欺いている。所有欲に駆られた感情と情動を愛と取っているが、地球人にとって本当の愛は疎遠であり、理解できないままである。
人間はたとえ創造という言葉を使わなくても、真理と知識と英知を認識して初めて人間である。なぜなら英知は最良の形態の愛だからである。
こうして人間は、悟りと認識は知識であり、英知であり、そして愛でもあり、愛が支配するところ英知も支配することを常に見いだす。
愛と英知は一体である。なぜなら、創造とその法則は、同時に愛と英知だからである。
英知と知識のあるところには愛と認識があり、認識と愛のあるところには創造がある。
愛と英知が育つと人間が創造を認識することを学ぶ。
人間は最初に真理を学び、それによって自由と平和を獲得する。
変わることのない平和、終わりなき力を。
英知と愛は、創造的な本質と特質の活力に満ちた振動である。
40.エジプトのクフ王のピラミッドにはどんな事情があるのでしょうか?
Semjase-Block 2
Auszug aus Askets Erklärungen vom 9.2.1953 Satz 1-7 und 27
あなたはピラミッドの年齢についていぶかしく思っている。実はその歴史は少々混乱している。というのも、ピラミッドの起源はもっと早い時代にさかのぼる。
ピラミッドの意味と発生史は、今あなたに語るにはあまりに遠大である。だからあなたが自分でイメージを抱けるよう、必要なデータだけ挙げることにする。
クフ王のピラミッドも地球上にあるその他のピラミッドも全部、リラの星座(琴座:1975年9月4日説明)が蟹座に入った時に建設された。
ここから2×36650年、つまり合計73300年という数字が出る。2×36650年の計算結果を聖遷の時代の前に置くと、正しい数字が得られる。
もともとピラミッドとその建設は天孫、つまりこの世界の本来の住人である星間旅行者にまでさかのぼる。
Semjase-Block 6
70.Kontakt,Satz 151 und 152(Semjase)
けれども、アルセムは密かに地球に戻り、その軍勢とともにエジプトの地にある古い立方体の建造物に住み着いた。これらの構造物は7000年以上も利用されずにそこに放置されていた。アルセムたちはピラミッドの下方、地球深く定住した。彼らは今日見られるギザのピラミッドの深い地下にある建築物を、自分たちの邪悪な目的を遂行するための本部に仕立て上げ、そこから支配欲に満ちた計画を実現しようと企てた。
でもこれまで見るべき成果を上げることは出来なかった。彼らの目標を達成する道は、欺瞞と嘘と陰謀の道であり、宗教的妄想の教義やカルト、その他いろいろな邪悪な策謀によって地球人を感化し、誤導するというものであった。
41.インディアンからの質問:なぜ白人は宗教に関する本(バイブル、コーランなど)を必要とするのでしょうか?
Stimme der Wassermannzeit Nr.50,Indianersprüche
バイブルは途方に暮れた民族のために書かれた・・・。我々は自分たちがどこから来て、どこへ行くのか知っている。我々は指示を与える本を読む必要はない。この本はもしかしたらコロンブスのような人間のために書かれたのかもしれない。彼はここへやって来た時に途方に暮れていたから!フィリップ・デーレ(インディアン)
42.同 性愛とは何でしょう。どのようにして同 性愛が生まれるのでしょうか?
Direktiven
AIDS-Herkunft und Schuld der Widernatürlichen
同 性愛は自然で反自然的な性の変節である。自然で反自然的とは、この性的変節は自然の過程で生じるが、生 殖という自然性の法則には寄与し得ないということを意味する。それゆえにこの性的変節は反自然的、正確には自然で反自然的なのである。
同 性愛は遺伝子に起因する変節であり、それゆえ自然なものと見なされるが、生 殖が不可能であるために反自然的と分類される。それゆえ同 性愛は自然で反自然的な性的変節と呼ばれる。
エイズについて、セミヤーゼの会見記では次のように言われている。地球人にとってまだ治療不可能なこの伝染病は、ひどく変形、変容されたウイルスの産物。このウイルスは人体固有の予防システムを完全に麻痺させ、それどころか破壊する。
その結果、ほんのちょっとした病気や怪我が原因で死ぬことが避けられない。この致命的な伝染病の責任を負うのは地球人自身、それも反自然的な地球人、でも不可解なことにその行為は多くの地球人によって黙認または容認され、それどころか肯定されている。
ここで言うのは獣 姦に変節した同 性愛や両 性愛の男である。いずれも反自然的な法則違反にほかならず、いつか重大な結果を招いて、死に至ることが避けられない。
なぜならば自然的なものは何千年もないがしろにされ、妨害され、避けて通られながら、いつの日か復讐しないということはあり得ないから。
普通の同 性愛や普通の男性の両 性愛は自然で反自然的なものだが、嫌悪すべきものではなく、自然法則にも違反していない。女性生命体の間の両性関係や同性関係も正常であり法則に適っている。
基本的にエイズは、男色にふける男たちの獣 姦に変節した反自然的な同 性愛または両 性愛によって生じたもの。
特にこの伝染病は、サルの生命形態だけが宿している種々の作用物質の合流によって発生することが出来た。これらの作用物質は男たちの吐き気をもよおさせる獣 姦行為を通して人間と合体して出来た。
こうして伝播した非常に古く危険な病気は、元来地球の医学で治療できたでしょう。
しかし同 性愛者や両 性愛者の間で獣 姦者が性的に交わることによって、病原菌が変質して、絶対致命的な因子となった。そのため最初にこの病原菌に対する薬剤や予防薬を開発、製造しなければならない。
でもこの場合懸念されるのは、これらの薬剤が作られたときには、もうこの伝染病が世界中に蔓延しているかもしれないということ。その結果、かつてペストが流行した時代に起きたのと同じ事態に至る恐れがある。当時もまた人間の罪によって非常に多くの犠牲者を出した。
だから、この伝染病に対する責任を負うのは、自然の法則に反して変節した忌まわしい獣 姦行為をする同 性愛および両 性愛の男である。しかしこの伝染病は、獣 姦に変節した同 性愛や両 性愛および特殊な獣 姦行為を容認および肯定するすべての者たちにも共同責任がある。
何と言ってもこの性的形態は絶対に反自然的で、それを犯す者は遅かれ早かれ死か、少なくとも生命に危険な結果を招くことを覚悟しなければならない。この場合、同類の多くの生命体も犠牲になるが、それは共同責任者や罪のない人々、つまり異 性愛者や正常愛者もやがてエイズに見舞われるからである。
エイズは他のすべての危険な性 病と同じように直接の接触、特に性 行為や接 吻や開放創によって、さらには吐き出した唾液などの間接的な接触によっても伝染する。
病原菌が特定の物質、たとえば便器やグラスやタオルなどに付着して比較的長時間生存し、その間に他の人間に感染するということはない。このことは、エイズ菌は意味においても他の性 病の病原菌と同じであることを示す。
43.未来は何をもたらすでしょうか?
Prophetien
Vorwort,Seite 8
この世の人間よ聞くがいい。これはすでに数千年来何度も告げられたことである。君は預言をないがしろにし、冒涜してきた。
だが君の今に注意するのだ。それは大いなる転換の時代であり、君にはまだ最後のチャンスが残っている。もし君がこのチャンスを活かさなかったならば、君の子孫は地球の計算で四千年紀を少々超えるまで君を呪うでしょう。
この世の人間よ、君がなおも創造に背き、創造を罵るならば、二千年にわたって恐ろしい出来事が告げられる。その出来事は、君自身、君の邪説と知性のない誤った行為と行動によって責任がある。
Prophetien
Donnerstag,19.November 1981,17.28 Uhr(PETALE-Botschaft)
ヨーロッパは灰と炎に沈み
人間の血が砂に染み込み
第三次世界大戦が荒れ狂い
狂気の所産が邪悪な者たちによって賞賛される。
何百万という死が蔓延し
人間は容赦なくなぎ倒される。
それは戦争、すなわち第三次世界大戦
人間自身の手によって、
宗教、カルト、欲望、憎しみ、
そして権力によって呼び起こされた。
なぜならば地球人は愛を嘲るばかりだから。
Talmud Jmmanuel
Das 25.Kapital,Die Prophezeiung,Vers 34-35
そのとき人類が50億人をはるかに超えたら、大部分は根こそぎにされて殺される。
法則はそれを求めるのだ。なぜならば人間は法則に違反し、かつ遠い未来まで法則に違反し続けるだろうから。
44.神秘とは何でしょうか?
Geisterslehre
Lehrbrief Nr.12.Mystik
すでにミノア語には神秘という名称が「Myein」という言葉で存在していた。それは目を閉じるという意味である。
カルマという概念も神秘という言葉も、時の経過の中で、いわゆる秘教徒や教派主義者や宗教関係者によって変造され、別の意味を持たされた。
実は神秘という概念は、内的な自己と創造的な意識が同調し合一して啓発と進化に向かうことを意味している。
神秘的な体験を引き寄せるこの高貴な道は、中庸、黙想、瞑想の修練を積むことによって達成される。この場合、すべての外的な知覚は遮断しなければならない。
45.なぜこんなに犯罪が多いのでしょう...死刑は是か非か?
Folter,Todesstrafe und Überbevölkerung
犯罪者は常に、惑わされた者、そそのかされた者、病人、泥棒、そしてまた殺人者あるいは自殺者として行動する。
いかなる場合でも、犯罪的行為はひとえに錯誤した、そのため病的な思考過程に基づいているからだ。たとえ彼らが犯罪を事前に入念に計画しようとも。
犯罪行為を働く人間の思考は異常で非論理的なので、たとえ犯罪の裏に非常に多くの悪知恵や知性が潜んでいようとも、そこには誤導、誘惑、あるいは病気を認めることができる。しかしながら、病気や誤導や誘惑は、それが犯罪という病気であったとしても癒やせるし、取り除くことができる。
ある犯罪病が治る可能性の要点は、治癒と償いにある。償いとは、犯罪を行った人間が義務としなければならないことである。しかしながら、治癒と償いとは、処罰に値する罪を犯した人間が自分の行為の非論理性や犯罪性を自覚して、健全な思考過程に乗れるようになることを意味する。
そのためには、当の人間に自分の行為や病的な思考の誤りを意識させ、場合によっては医学的措置を与える。罪を犯した人間は教示と学習によって自分の罪と誤った思考を認識し、真実で法則に適った生命体である人間へと転身しなければならない。
このような作業において、罪を犯した人間を適当な期間、社会から隔離しなければならないのは当然である。過ちを犯していない人間に認められたすべての自由が、罪を犯した人間に保証されるとしたら、およそ償いというものは成り立たなくなるでしょう。
死刑を要求し、擁護し、あるいは遂行する人間、彼らは心の奥底では臆病で、不満に満ち、そのうえ欲深い。彼らの思考は病的なほど無責任で非理性的である。
そのために、自己の思考能力を超える出来事について思考しようとすると、彼らはたちまち怒りや不満、憤りや無力感に捕らわれてしまうのである。
なぜなら、そういった出来事に責任意識をもって取り組むには、彼らの思考とその力はまだあまりにも原始的だから。
拷問と死刑は断じて罪を償わせるものではなく、原始的で理性も責任もない人間の、最も原始的で犯罪的な復讐と自己満足以外の何ものでもない。彼らの知能指数と人間性は、破廉恥な所業のために拷問を受けて、生から死へと送られることになる犯罪人よりもはるかに劣る。拷問や死刑の擁護者や遂行者が、死刑執行人であろうと、あるいは裁判官や弁護士、主婦、単純労働者や乞食であろうとも、いかなる場合でも、拷問や死刑を擁護し要求しまたは遂行することは、際限のない原始性、愚かさ、強欲、教派主義、邪悪、残虐、無責任を、理性的および悟性的思考の無能力を、そして最も原始的で感情的な未熟を証明するものである。
46.創造と創造主の間に区別はあるでしょうか?
Ein offenes Wort
Seite 116,Satz 839 und Seite 136,Satz 1014-1018
私は創造である。しかし主なる神ではない。誰かが真の形態における創造、その実効的な力に関する知識を持つならば、人間として自分が本来何と結び付いているか知りたい、少なくとも予感したいと思うのは自明のことであり、それは人間の本質に属しているからである。それゆえ彼は誤った啓示に惑わされることなく、真理について、したがってまた力そのものとしての創造について知る。
なぜならば創造の実在が真理、したがって知識を証明するからである。それによってまた、ここにあるのはもはや信仰ではなく知識であることが明らかとなる。
そしてこの正しい知識において創造自体が証明されるが、それは真に理解力があり、自然の論理に生きる人間に限られている。
というのも人間がその実在を法則により法則の中に見出し、自らの内で霊的、意識的に成長するのであり、創造自体がその実在をまず、最初に特別に証明する必要はないというのが創造の原初の法則であり、原初から定められているからである。
Seite 139,Satz 1036-1038
人間は考える能力があるのに、どうして神や神・創造主を信じ、そして唯一創造のみが存在するという知識を認識するに至らないのか。およそ創造が神とわずかでも関係があるとすれば、どのような種類のものであれ神もまた創造の被造物に過ぎないという限りにおいてである。神自身が創造であったことはかつて一度もなく、これからも神の形態のままでしょう。
創造の被造物である人間が創造自体と似るというようなことがどうしてあり得ようか。
ただし、創造霊の小部分は別である。創造霊は本来の生命の基盤であり、不変であり、そこにおいて人間の移ろいゆく定めの物理的肉体がその実在を開示する。
すべてのカルト宗教は言語道断なことに、自分たちの神を創造主と名付け、そうすることによって創造自体と呼んでいる。しかしそうした呼び名の神は人間以外の何物でもない。
47.預言とは何でしょう、予告とは何でしょうか?
Prophetien
Vorwort,Seite 5
預言と予告について、なお次のことを説明する。予告とは一種の未来予想である。これは極めて豊富なカバラ計算により非常に正確な結果を導くか、あるいは種々の形態の未来旅行によって未来を探求することによってなされる。
そのため予告が、いかなる変更や回避の可能性もなく、絶対に確実であり、不可避的に的中することは明らかでしょう。
予告は確定した事実の首尾一貫性に基づいており、それらの起源と生成から極めて特定の作用が生じなければならない。
預言はこれとは異なり、原則として警告的な機能しか持たず、適当な時期に変更を講じない場合に特定の要因から生じる帰結を示すのみである。
つまり変更が講じられなければ、預言と予告となって否応無く実現する。
それゆえ熟慮すべきは、預言の表明や告知は人間の行動の価値に応じて変わり得るものであるということである。
つまり預言された出来事が正しい進化によって変更されたなら、それが将来的中することは確実ではない。
48.十戒を造ったのは誰でしょうか?
Dekalog
Seite 11,Satz 29-39
人間よ、君には光と生命が与えられており、それらは君を徐々に真理の道へと導く。
それゆえ君はこの光と生命の中にとどまり、自分が歩んできた道からそれてはならない。
それは君をますます創造へと近づける道なのだ。
君は創造の普遍的な愛にはるばる導かれて、創造を不変の光のもとで認識した。それはまた創造と大いなる時間を自分で見る段階へと君を導いた。このことは君の現在の悟性にとってまだ明確に把握できないとしても、いつか私が言った通りであることがわかるでしょう。それゆえ決して休むことなく、生命について日々開示されるものより遠く深く探求する。
というのも、そうすることによってのみ日常が君にもたらすものに満足せずに、君は真理においてより深く発展できるから。
より多く求め、常に探求および探索するならば、創造の愛と真理の輝きを持ち、知識と創造自体の力から生まれる要素を容易に獲得できる。
それゆえ日々探求と探索に励み、創造の掟と法則を遵守するのだ。創造の掟と法則は、あらゆる方向で観察されねばならない。
創造がその法則と掟を自然に与えたとき、自然は永遠に決定された。このときに与えられた法則と掟は永遠に妥当である。
なぜならば、創造の宇宙の全範囲において法則と掟の中にすべての愛が開示されているからである。それゆえ君は君の全思考と探求、探索と認識、生き方のすべてを、与えられた創造の法則と掟に適合させることによって、創造の法則と掟を微細な点まで遵守する場合のみ正しい道にいる。
49.なぜ創造は崇拝に値するのでしょうか?
OM
Kanon 2,Vers 8-20
イシュヴィシュは尊敬と崇拝に値しない。これらに値するのは創造のみだから。
預言者は尊敬と崇拝に値しない。これらに値するのは創造のみだから。
預言者の霊的指導者は尊敬と崇拝に値しない。これらに値するのは創造のみだから。
人間はイシュヴィシュや預言者や預言者の霊的指導者を決して祈りを捧げてはならない。祈りに値するのは創造のみだから。
人間はイシュヴィシュや預言者や預言者の霊的指導者を決して尊敬してはならない。尊敬に値するのは創造のみだから。
尊敬と崇拝に値するのは創造のみである。なぜなら創造はその宇宙において最高のものであり、最も完全な完全性だから。
しかしすべての生命を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。
地球の人類のイシュヴィシュも、預言者も、預言者の霊的指導者も尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。
すべての生命を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。
イシュヴィシュも、預言者も、預言者の霊的指導者も尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。
そこにいるのは三つの世界における地球人の王だから。
預言者を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。そこにいるのは真理と愛、英知と知識に包まれた地球人のための真の預言者だから。
預言者を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。そこにいるのは感化すべき地球人と真理の教えとの間の媒介者、告知者、知者、慈悲者、賢者だから。
預言者の霊的指導者を尊重し、敬意と畏敬の念を抱け。そこにいるのは知者であり、預言者の指図で無知な地球人を導く教師だからである。
創造の法則と掟を遵守せよ。これらを遵守してのみ、まことの生命と存在への進化が保証されるから。
Kanon 3,Verse 9,10 und 15-18
創造のみがあらゆる創出、生命、そして存在の力である。
創造のほかに尊敬と崇拝に値するものはない。
創造は創造であり、その宇宙に存在しているすべての創造を生み出した。
創造は創造であり、すべての創造を、したがって生命、存在、天と地、銀河系と蒼穹、そしてあらゆる被造物とあらゆる生命の群れを生み出した。
創造は創造であり、その宇宙に創造のほかに創造はない、そして創造はOMである。