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あんのういもやさいダイアリー

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2021.08.21
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カテゴリ:宇宙意識など


​平和瞑想 預言​​

​​世界人口過剰解消会議と新しいウイルスの生体への影響​​

〇クウェッツァルの言葉
1)地球人が持てる限りの愛と理性を傾けて、すべての攻撃や暴力行為や戦争を、あらゆる犯罪や憎しみを、すべての不和や不自由を、そしていっさいの復讐心や報復心に終止符を打つことを私たちは望んでいる。

2)本当の正義と人間性そして、生命に対する真の畏敬で地球が満たされるように、世界中のあらゆる国で拷問と死刑が廃止され、すべての生命および肉体と心の不可侵権が尊重されて、法の保護下に置かれるような法律が制定されることを私たちは望んでいる。

3)地球上で正常なレベルの人口と出産が追求され、そのために世界中で効果的な産児制限を実施することを私たちは望んでいる。なぜならば、そうすることによってのみ、過度な人口過剰を、そしてますます増える貧困や犯罪、隣人に対する憎悪、戦争、地球資源の徹底的な採掘、さらに新種の病気や伝染病、そして悲惨さを回避し、また阻止できるから。

4)飢餓がなくなり、すべての人間が十分な栄養を摂取できるように、地球上のあらゆる人間が共に食糧生産を追求しその成果を配分すべきである。

5)地球人は科学や農林業および利水などのあらゆる分野において、今後は破壊的であることをやめ、建設的、進歩的になってもらいたい。
このことは大気の正常維持や、ますます脅威的となっている気候変動で人間の罪過によって生じている部分についても言える。

6)地球人は意識的に愛と知識と本当の人間性という枠の中で発展を遂げ、創造によって与えられた進化を生命の最高の目標および意義として認識すべきである。

7)地球人はあらゆる点において、実際に肯定的な進歩が生じるように科学を利用すべきである。

8)地球人だけが全宇宙で唯一の人間の生命形態ではないこと、そして自分たちが宇宙全体の一部であるという認識と知識、経験と体験、そして知恵を地球人の内部で成熟させていくべきである。

9)肌の色や人種や信仰に関わらず、地球上のあらゆる人間の間に、憎しみ、復讐、ねたみ、報復心、貧困、悲惨、殺人、虐殺、テロ、戦争がなくなり、最終的に真の平和、真の愛と自由で地球を満たすべきである。

10)地球の国々が、それも最も貧しく発展の遅れた国までもが完全武装の軍隊を養い、それによって人間の本当の福利に使えるであろう、またそうすべきである何十億という金額を無意味に費消することをやめるべきである。
世界の至る所で政治家や軍隊、そしてありとあらゆる組織が平和と自由、愛と人間性について語りながら、一方では途方もない財政的支出を正当化し、他方ではこれらの資金をますます多くの戦争やテロの目的のためにせしめ、さらに新しい兵器で新たなテロ行為や戦争を遂行できるよう兵器産業を煽り立てることをもうやめるべきである。

11)地球上で考え方や信仰、肌の色や人種が異なる人間を憎み、迫害し、さらには拷問にかけたり、殺したりすることを最終的にやめなければならない。

12)毎日何千トンもの食糧を利益上の理由から犯罪的にも廃棄したり、市場価格が低すぎるからと言ってあっさり川に流したり、家畜の飼料にしたり、腐るにまかせたりするのをやめなければならない。
それらの食糧は数百万の人間、とりわけこの点では最大の受難者である女性と子供たちを餓死から守ってくれるのである。

13)地球人が全員すべての大きな問題に対して、為す術もなく無力に向き合うのをやめなければならない。
なぜならば、すべての強欲な者、無責任な者、良心のない者がその犯罪的な商売をやりたい放題やることができ、しかも全然責任が問われず、まだ公正で目的に適った国民管理の枠内で職務を遂行して、懸案を解決する能力がない政府の責任者もその責めを負うことはないからである。

14)地球人は自分自身の責任を担い、この責任に基づき意識して進歩的に行動することを緊急に学ばなければならない。
責任を安易に誰かに、あるいは何かに押し付けるということがこれ以上続いてはならない。なぜならば、個々の人間は自分自身の思考、感情、そして行為に対して責任を負っているからである。
個々の人間は自分の責任を認識し、これを果たさなければならない。なぜならば、個々の人間が責任を認識し、これを果たすようになって初めて、隣人も同じようにしようと鼓舞されるからである。
それによって他の人間もこれに同調して進み、最後には地球の全人類がこれに引き込まれるのである。

15)個々の人間が世界もしくは人間を変えるために積極的に何かをしたいと思うならば、それは彼が隣人に模範となる限りにおいて実現可能である。
だからすべての人間は、より善良な者、平和的な者、愛すべき者、自由な者、進歩的な者へと変わること、そして知識と英知に向かって変化することを自ら始めなければならない。
すべての人間は自ら事を開始し、自己を発見し、そして自由で幸福な人生への道を発見しなければならない。
すべての人間は最初に自分自身に対して楽観的な姿勢を獲得しなければならない。
そこから初めて拡大という進歩が生まれ、それによって隣人が鼓舞されて共に歩むようになる。
そして人間が意識的にこの方向で考えるならば、人間がすべてを自ら始めるときに、真の進歩のためのすべての手段と希望がそこにのみあるという驚くべき発見をする。

16)人間は、自分の最も内面的な真の本質が何であるか、そしてそれが外面的な人格とどのような関係にあるかを、自己認識によって正確に認識し、経験し、体験しなければならない。

17)残念なことに地球人は、政治的、経済的、科学的、軍事的、物質的、そして財政的な価値に最高のランクを与えてきた。しかし、それは価値のないことであり、それがもたらす恐るべき損害により生理的および心理的な安寧だけでなく、個々の人間の、さらには全人類の意識の発展も損なわれている。そのために真の賢者や哲学者が姿を消し、英知や哲学の知ったかぶりが幅を利かせている。彼らは世界とその人間を途方もなく無意味な戯れ言で溢れさせているが、それらは霊エネルギーと創造の現実性、正当性、そして法則性とは全く関係ない。
これらすべての無価値なものを取り除いて、再び真の賢者にこの社会で相応しい位置を与えなければならない。現在地球にわずかしかいないそれらの賢者が、孤独な隠遁生活から抜け出て、人間に教示できるように準備しなければならない。
しかしこの場合、無意味な宗派的な教説や原則を吹聴して、地球人を本当の真理から逸脱させて錯誤へと誘導する連中は、すべて背景に押しやらなければならない。

18)地球人が学ぶべきは、生まれてから死ぬまで物質主義と金銭だけを追い回してはならないということである。つまり地球人は、政治的権力や軍事的権力を持っている者、あるいは巨万の富を貯め込んだ者だけに耳を傾けてはならない。
これらを追い求めたり真似しようとしたりして、自分の時間や労働、努力や創意を、そして人生を棒に振ってはならない。それにもかかわらず人間がそうするならば、彼らは進化の可能性を失い、それによって自分たちの存在の意味を失う。
もし直接的な形で命を失わないとしても、彼らは政治、独裁、軍事または財産の形態による権力者に従属し、彼らに賛同して歓呼の叫びをあげ、そして存在する者ではなく、見せかけだけの人間になるのである。

19)地球人は政治、独裁、軍事、科学および信仰上の方向の違いから解放されなければならない。
なぜならば、そうすることによってのみ、一方では創造の真理とその法則および掟の道を見いだし歩むことが、他方では個々の人間と人間社会全体が愛情に満ち、平和で、自由で、賢く、調和して機能することが保証されるから。
誠に政治、軍事、経済、科学、哲学および信仰の形態のいかなる方向も他の方向に対して優位に立つことがあってはならない。もしそのような優位が与えられると、競争、憎悪、人種差別、信仰および政治の争い、不和、不自由、冷淡、無知、その他多くの無価値が生まれて、破壊、殺人や殺戮、そして戦争行為や誤謬を招くのである。

20)地球人はその固有の理性と責任意識によって、善良で肯定的なものに変身しなければならず、それによって、自己の名誉を回復しなければならない。
つまり地球人は独自の次元を切り開き、そのあらゆる不十分性および誤った希望や願望に卑しくも従属することから自らを解き放たなければならない。
地球人は、創造の法則と掟に従いより高いものを追求する途上で、すなわち霊形態と総意識体の転生によって、しかもあらゆる論理的で、善良で、肯定的な形態で意識的に発展するという創造的な義務づけにおいて、多くの新しい人格を通して繰り返し新しい人生を生きるであろうということを想起せよ。
しかしこれは各人が、固有の責任において自らその進歩に努める必要があり、社会もまたそれを可能にしなければならないということを意味する。
当然ながらその場合、各々の人間は必要な仕事をするための努力を払い、それに対して報酬が支払われ、それによって何らかの形で自分の住居を手に入れることができ、また自己責任において食糧や衣料、教育や教養、および自分に発生するすべての必要を賄うことができるのである。

21)地球人は、その真の最も内面的で創造的な本質を認識し、理解することを学ばなければならない。
なぜならば、まさしくそれによってのみ、地球人は自分の肉体と、とりわけその物質的意識、その覚醒および発展と関わり合うことが可能になるからである。
つまり地球人は、自己の最も内面的な本質およびまたその肉体と意識の固有の価値評価を体得し、この認識を自らに、もたらさなければならない。
そうすると、物質的な意識の覚醒と肉体の現実的な知覚について、自分自身の最も内面的な本質の認識と意識的な覚醒が起こるのである。
第215回会見 1987年



というのは、戦争は、本当はそこから新たな戦争が、そしてもっと大きい争いが生まれるということを意味する。
地球人類はこの真実を最終的に認識して、戦争、テロ、拷問、その他の邪悪な暴力によって人類と全世界を制圧し、その支配下に置こうとする権力者がもはや政権の座に着かないように図られなければならない。
すなわち地球人類は一致団結して、罪のある恥知らずで犯罪的な国家権力者やテロリストたちから、強力な非暴力によって自らを解放し、それらを解任するか、または治安部隊によって逮捕して、確実に拘束しなければならない。
そうした拘束は必ず終身追放の形でなされなければならない。
しかもそれは確実に封鎖された執行場所、たとえば罪人が逃亡を企てることのできない、文明から隔離された孤島においてなされるべきである。
このような措置は、罪人が何らかの人間や全国民に対して影響力やテロをもはや行使できないことを保証するためのものである。
 エンヤーナ


本当のところ、拷問や死刑のような極端で人間の品位を傷つける制裁によって、恐ろしい憎悪が培養され、そこからいよいよもって犯罪行為が増大するのである。
誤った立法によって処刑されそれによって生命が奪われたすべての人間は、法的に命令された刑罰を与えられることによって殺害される。
したがって、死刑を言い渡す者は殺人の罪を犯しているのであり、また死刑すなわち国家に命令された殺害を執行する者も同罪である。この際、何らかの方法でこの事柄に関係するものは、みな殺人幇助の罪を犯している。
あらゆる死刑の執行によって単に復讐が行われているだけであり、これは人殺しの当事者になるだけ。そして、罪を犯した男や女を刑法で殺害することによって、問題は解決されない。
このような問題のすべては、創造および自然の法則と勧告が引き合いに出され、これに関連してこの人間が徹底的に教導され、そしてこの教導を通して自分自身で非の打ち所のない法に誠実な市民になる、ということによってのみ解決されることが明らかになる。
しかしながら地球上の人類は、政府当局の条令によって創造および自然の法則と勧告を習得し、それに従うことを勧められてはいない。
それゆえ、すべては常に悪い結果に行き着く。

更に、根本的に人口過剰が大きな役割を演じる。なぜなら人口過剰は犯罪と悪事をどうしょうもなく制動不能にますます増加させるから。
そしてこのことは単純に次の事からのみ生じうる、すなわち全く間違って、そして創造および自然の法則と勧告に対して違法に振る舞われ、創造および自然の立法があるという真実が無視されているがゆえに。
そうしてとどのつまり、すべてはなお一段とよりひどくなりいっそう悪化するのである。

犯罪者も処刑されてはならず、したがって刑罰によって殺害されてはならず、そうではなく、処罰を与えながら教導がなされること、したがって釈明が求められ責任を問われるという形で許されているということを学ばなければならない。
これは例えば次のような形である。
すなわち男と女の犯罪者が別々に生涯人里離れた世の中から隔離された島に追放され、そこで彼らは自分たちの生活に必要なものはすべて、自分たちの手で自然から苦労して手に入れなければならない。
そして時間があるときに自分たちの人生。自分たちの考えと行為ならびに自分たちの態度を、彼らに課された学習を通してより良いもの、善良なものに変革するのである。
このことを通して彼らは真の人間になることが可能となり、そしてまた真の人間としていつか死ぬことができるのである。
しかしながら、もし本当の現実を分からず、またそれに従わないならば創造および自然の法則に離反したまま留まり、そのことによってなお非常に多くの害を被ることになるでしょう。


本当の平和というのは、理解力があり、分別のあるあらゆる人たちが、いよいよ暴力によらずに継続して平和を保ちながら、最終的な平和を生成するまで思慮深く意識的に歩み続けるために、最初の一歩を踏み出して初めて地球上において世界の人々のもとに生じるのである。

愛とは、次のことに関する絶対的な確信である。すなわち、自分自身がすべてと共に生きるということ、共に存在しているということである。
そう、存在するすべての中に:動物相や植物相の中に、同胞の中に、どのような種類のものであれ同じようにすべての物質と霊の生命形態の中に、そして全宇宙の存在の中に、さらにそれを超えた存在の中に。

自由を尊重せよ。
なぜなら、それはすべての人間とすべての生命形態の権利であり、財産だから。

愛を尊重せよ。
なぜなら、それは創造、人間、そして生命の本質だから。

平和を尊重せよ。
なぜなら、それはすべての良い発展と限りない進化を保障するものだから。

調和を尊重せよ。
なぜなら、そこには考え、感情、行動ならびにすべての物事の均衡が存在するから。

日常の喧噪や苦労や慌ただしさに急き立てられることなく、いかなる境遇にあっても常に平静を維持せよ。

平穏、平和、愛、そして自由、すなわち調和の中に見出される、すべての価値あるものを探し求めよ。

毎日ある程度の時間、静寂を求めよ。
なぜなら、それは君に休養と熟慮をもたらすから。



地球人類の将来のあらゆる時点は、その過去と原始時代の起源に深く関わってきている。
そこで理解を深めるために、歴史の初めのころの決定的な出来事について述べることにしよう。
120億年前にヘーノクによって創造された一連の原始民族のうち、その一部が地球に渡来し、定住した。
一方、彼らは地球で生まれた人間と混血し、初期の地球人が生まれた。そしてそれは今日に至るまでこの惑星上で、その地歩を守り抜きながら強烈な勢いで増加し、現在、様々な問題を世界中で引き起こし、世紀の変わり目において世界最大の問題となっている。
この内容は、一部重複するところがある。しかしこれは、原始時代からのすべての出来事のよりよい概観を得るにあたって必要なことである。

原始時代の概論に続く予言あるいは預言は、例外なく日時が明らかにされていない。また年代順も守られていない。その理由は、人々の恐怖やパニックを防ぐためである。予言や預言にまったく頼り、不安そうにそれに従って人生設計を行い、自分の決定能力をまったく使わない人が大勢いるのは遺憾なことである。
このような人々は自己責任をまったく放棄し、すべての責任を他人、または運命に転嫁する。
さらに預言は絶対的に的中しなければならず、変えることができないと信じているため、それに身も心も捧げるという人間が大勢いることは残念である。
しかしこれは真実ではない。預言というものは、実現しなければならないのではなく、実現することもあるというものである。それは人間が預言に対してどのように反応するか、預言から何を得るかということにかかっている。
予言と預言についてその違いを説明しよう。予言というのは一種の将来の予想であり、極めて広範にわたるカバラの計算によって得た非常に精確な結果に基づいて作成されるもの、あるいは形態による未来への旅を通じて未来を研究したものである。未来への旅は例えば技術的、または意識によるものがある。またあらゆる形態の未来のヴィジョンもその一つである。

これによってもよく分かるように、予言は絶対確実に実現し、また避けることができないものであり、また変更や防止する可能性もないものである。それは未来をのぞき見ることによって、実際に、変更不能に、来たるべきときに起こることを見たものだからである。
したがって予言はすでに存在する事実に、基づくものであり、その起源と発展過程を通じてある特定の結果が生じるはずであるというものである。
それに反して通常、警告の機能を持つ預言は、その目的として、ある事実から何事かが起こるが、手遅れにならないうちに変化をもたらすように指摘することである。もし変化がもたらされなければ、預言は絶対確実に実現する予言となる。
つまり考慮しなければならないのは、預言的発言や告知は常に変更可能であるということであり、それは人間の態度次第であるということである。したがって預言に行き着くまでの事実が進化的にみて好ましい形態に改善されれば、預言された出来事が将来実際に起こるということは確実ではない。
この人間の思考と行動の進化的な過程は通常、来たるべきことについての詳しい知識を持たずに、生命の法則として、通常の発展過程によって行われなければならず、そのためある出来事の預言的告知は可能性の情報であると同時に警告でもある。
すべての生命は自らを向上させ、感知、認識、経験、体験を通じて進化しなければならない。
すなわち人間は努力によってはじめて成果が得られるのである。預言やその実現の時点が決してはっきりと提示されない理由の一つはそれであり、そうでなければある進化の段階を飛び越えることになり、それによって進化に隙間ができる。もう一つの理由は先に述べたように、預言の正確な日付や時間などは恐怖やパニックを引き起こしかねないから。
さらに詳しく、はっきりした形で預言が行われるべきでない理由は、ある事実を知ることによって恐怖、憎しみ、妬みなどから膨大な破壊と破滅が引き起こされることもあるからである。そのため、ある預言的な数値は常に秘密にせざるを得ず、その結果すべてを真実に沿って理解し、耐えることができるごく限られた識者だけが完全に解き明かすことが出来るのである。


プレヤール人のメッセージは本来彼らと我々人類の歴史と過去にその起源を有している。彼らは我々に助言を与え、助ける義務を感じているが、彼らの規則がそれを禁じているため、あからさまな援助を行うことはできないのである。
地球人類の歴史と過去については、すでに詳しく記されているので、さらに説明する必要はない。また、宇宙からの深遠から新しく来た者たちが地球にもたらしたものは、残念ながら良いことや高度の進歩だけでなかった。
惑い、争い、間違った生活様式、宗教としての誤った宗教哲学、イデオロギー、そして創造・自然の法則と掟からまったく背を向けることなど、多くの災禍をもたらしたということが知られている。
残念なことに当時もまたこのような多くの弊害や悪などを、地球人類が好んで受け入れそれに従ったため、いち早く最悪の堕落に陥り、それを通じて邪宗や様々な退廃がますますはびこったのである。
実際、すべての虚偽と破壊が意気揚々と、そして喜々として無責任に到来し、今日に至ってもそれはとどまるところを知らない。

今日の地球人類もそこに端を発する、太古の祖先の直系子孫と自任するプレヤール人は、5万2000年このかた彼らの故郷の惑星でまったく平和に生活している。しかし彼らは、自分たちの太古の祖先との絆を強く感じることから、独裁的で無責任な祖先の行為が行われてから、すでに38万9000年たったにもかかわらず、当時の地球上で起こったことや、地球人類を誤った方向に導いたことに対して、連帯責任を感じている。
この連帯責任感から、彼らは自発的に義務を果たすことを引き受け、私の仲介によって、以前のように地球人類が再び創造・自然の法則と掟に従って生活することを示すことにした。
また、一人ひとりの人間が自分自身の生命だけでなく、隣人やすべての動植物を含め環境全体に大きな責任を担い、それを尊重し、遂行することを教えることもこの任務の一部である。プレヤール人の義務は彼らがノコデミオン・ヘーノク霊形態のミッションに協力することによって、彼らの末裔である民族を創造・自然の法則に戻すことを、霊水準アラハト・アテルザータの最高法院に約束したことに基づいている。
そうすれば地球に住む彼らの末裔も、破壊にさらされているゾル太陽系の輝く宝石、美しく青い惑星で、再び平和と愛と調和のうちに生活することができるというものである。


プレヤール人から地球人類へのメッセージは次のようなものである。
1)地球人類に彼らの起源、歴史について一連の事実を伝達することによって、いかにしてすべての害悪が生じたのか、いかにして人間が神として同じ人間の上に立つようになったのか、いかにしてこれがイデオロギー宗教の虜に至ったのかということを、惑わされた者たちに説明する。言うまでもなく、偶像や聖者崇拝そして様々な宗教的カルトもそこから発生している。
2)宗教が主張するような形の天国と地獄は存在しない。それは人間の内部の精神的・意識的状態である、ということを地球人類に教える。
3)全宇宙を通じて唯一の創造があり、創造の神々などは存在しない、ということを教える。そして、この創造のみがすべての創造・被造物を創り出す力であり、それ以外の力は存在しない。創造自体は原初創造に進化するまでに8300京年の生命を有する。
4)地球人類に霊の教えをもたらす。これは創造・自然の法則と掟、原則と思考の進化について多くの知るべきことを含んでいる。
5)人間は600億ないし800億年の転生の周期に従って生きている。したがって繰り返し様々な順序で生まれ変わりながら進化し、いつの日か創造に入る、ということを地球人類に教える。
6)人間としてのすべての生命形態は、一つの極めて小さな創造霊によって生命を与えられている。それは進化し、また物質的な意識と相まって生命を営む力でもある。
7)地球に適合した人口について地球人類に教える(人口過剰を防ぎ、その他多くの人間や動植物の生命にかかわる事柄や環境、人間の態度や道徳について。それには、人間そのもの、生活さらに内外両面の自由、愛と調和、隣人愛、知識と英知、真理およびあらゆる責任も含まれている)。

人間、家畜、人種、民族、国家は、それぞれ自ら得た運命に従って生きている。
それによれば地球人類もまた他の助けを得ないで、自らの努力と責任のもとに、悟性と理性をもって自ら進化し、再び創造・自然の法則と掟に従った正しい道をたどらなければならない。
その際、地球外知的生命は直接的な形での援助をすることはできない。というのも、インパルス・テレパシーによる計り知れないほどの助言や指針は間接的であり、それを受ける者たちには何らの自覚もない。
そのため、それらの助言や指針が自らの発見物と勘違いするのである。
もし、地球外知的生命が彼らの規定に縛られず、公然と援助するなら、第一に学習過程がないため地球人類は何も学ばず、遅かれ早かれ旧習に戻ることになる。次に地球外知的生命が再び神として敬われ、それを通じてまた新しい宗教やセクトなどが生まれることになるので、進化の意義に沿わなくなる。
大昔から地球人類は、地球外知的生命を常に神と見なして崇拝してきた。これには挑発された地球外知的生命が自らを神格に祭りあげたこともあずかっているが、プレヤール人はこの件に関して、地球人類に一度徹底的に本当のことを知らせる責任を感じた。
これはまた、地球人自身のことについても明らかにすることを意味し、それによって地球人類はついに自分自身を尊敬し、実際に自分が何者であるかということを知ることになる。

つまり彼らは一個の生命体であり、あらゆる意味で独立しており、考えること、感じることそして行うことすべてに自分で責任を持つということである。そこにはマリオネットのように上に立って指揮し、操り、感情の向くままに褒めたり、罰したり、残虐に殺戮する神はいない。
そして地球外知的生命は技術的面ではざっと8000年、意識面での発達は2000万から3000万年地球人より進歩しているにもかかわらず、彼らもまた地球人と同じようにありのままの姿で、つまり同じ創造・自然の法則と掟のもとにあって、同じように苦しみ、悲しみ、そして喜びや調和を知る、同じ創造によって生まれた人間として見るよう努めている。
プレヤール人は地球人類を決して非難しないだけでなく、地球人に対して尊大な態度をとることもない。むしろ反対に彼らは情報提供などを通じて極めて協力的で、明らかに地球人類に対して友好的であることがわかる。
さらに彼らはある程度の野蛮性は人間にとってまったく自然なことであり、軌道を逸しなければ必要であると容認さえするのである。しかしこれは常に進化段階に比例しており、進化が進むに従って徐々に薄れていくもの。


1975年3月21日金曜日のコンタクト記録第9回が、これについて述べている。
セミヤーゼ「大事なことをはっきりさせたいので、今日は残念だが私が一方的に話を進めなければならない。すでに数十年も前から、様々な地球人やグループが、私たちをどうしてもそれにふさわしくない領域に押し上げようとしている。私たちが望まない地位に。
往々にして、ただ名誉欲と金銭欲のために、私たちを現実の価値より高い地位に祭り上げる。私たちも他のすべての人間的存在と同じようにただの人間にすぎない。あなたたちの観念からすれば、私たちは技術的に卓越し、また霊的、思考的にも大いに進歩したレベルにあるでしょうが、地球上の大多数の人間が勝手に考えるように思い上がってはいない。私たちは地球人類の保護者でもなければ、神の使いである天使のたぐいでもない。
様々な利己主義者や彼らにたぶらかされた一連の人たちは、私たちのことを地球とその住民たちの保護者であり、彼らの運命を定めるものであると主張する。
しかしこれは真実ではなく、私たちはただ自分たちで課した任務を行っているだけであって、地球人類の監視やその運命とは何の関係もない。だから、私たちを宇宙から使者とか監視者であるとするのは間違い。もし私たちが、地球人の主張するような意味での使者あるいは監視者であったなら、私たちは公然と着陸し、はっきりと識別できるように地球人の運命を導くことでしょう。
霊的・思考的におよそ2500万年先行し、技術的には約3500年(現在では約8000年)地球人より進んではいるけれど、私たちは人が勝手に思い込んでいるような者ではない。
私たちを神格化し祭り上げるのは、宗教的な信仰の虜になっている地球人の思うつぼというところでしょう。それによって彼らは自分自身を格下げし、同胞を下等な存在におとしめることになる。
間違いだらけのコンタクト記録や、真実のかけらもない、まったく故意に捏造されたコンタクト記録は、地球人が常に過ちを犯し、真実とは縁遠い生活をしているという印象を与える。
でも実際はそうでなく。地球人も進化の道をたどっている。もちろん地球人は粗暴で研究面において性急であり、往々にして無分別。しかしそれは自然の賜物であり、またそれによって初めて生命が保証されることから、多くの生命形態は粗暴性を具えている。
それを私は自然の粗暴性と称しており、退化ではない。これは地球人よりもはるかに高度に進化した人類にも具わっており、霊的・意識的な完成度が高まり、必要とする霊的・意識的認識を身につけたとき初めてこの粗暴性から脱する。
しかしそれは決して地球人がさげすまされ、また悪の申し子として格下げされなければならないということではない。
地球人は粗暴な祖先の子孫であり、それなりの進化の道を歩まなければならない。しかし多くの困難、困窮、そして苦労を伴うこの道は認識と知識に通じる。
さらにこれはある程度、野蛮性にもつながる不屈さを必要とし、これがなくては前進しようとする意欲、新しいものへの熱望も湧いてこない。ある程度の粗暴性があってこそ研究と開発が可能となる。なぜなら粗暴性の中にはそれに必要な厳しさがあり、それによって例えば進歩を妨げるだけでなく、その芽すら摘んでしまう凝り固まった狂信のような進歩を妨げる拘束を、無視することができる。
人間というものは首尾一貫して宗教的信条を度外視し、埋もれた真理の処在を突き止めることによってのみ、実りある研究をすることができる。これは決して生命、まして創造に対する敬意を失うことではなく、むしろ反対に研究やそれによって得た認識を通じて創造や生命に対する敬意はさらに高まる。
地球人に知ってもらいたいのは、病気の原因とそれに抗する薬を分析するために、実験によって生命を絶たなければ生命が病気から解放されないという事実である。生命を研究の目的のために犠牲にするということは粗暴性を必要とする。
また、あらゆる進化が粗暴性を必要とするのは、それに不可欠な不屈さをもたらすのは粗暴性だけだから。
そういうわけで、強度の妄信を持つ人は生命にとって建設的な進歩をもたらすことはできない。その理由は彼らがあまりにも偏った、過度に人道主義的な考えと行動をし、そのため一方的に軌道を逸しているからである。
そこには多くの場合、科学者が自分の能力と知識を私欲のために悪用し、それによって進歩の遅れている同胞を隷属させ搾取するという、大きな危険が潜んでいる。
破壊の目的だけに使われている技術的成果と並んで、これはぜひ阻止しなければならないことである。
彼らがこれによってやがては神に昇進し、私たちの共通の祖先が犯した過ちを再び繰り返してはならない。ある程度の影響を及ぼすことによって、私たちはこれを防ぐつもりである。
私たちはまた地球人に進むべき道を示すと共に、その認識を成熟させたいとも思っている。また、私たちがある事柄や要件に介入するのはひとえに私たちの祖先が犯し、地球人が害を被ったのと同じ間違いを犯さないようにするためである」。

プレヤール人は、地球上の最も緊急な課題は、途方もない人口過剰であるということを指摘している(1996年半ばの人口は約68億人で、公式統計をはるかに上回っている)。地球外知的生命は今日、地球上に蔓延する弊害のほとんどは全部人口過剰が原因であると指摘し、そのため彼らのメッセージは、地球上の全人類は早急かつ徹底的に、国際的、世界的な産児制限によって人口を減らさなければならない、としている。さもなければ次に挙げるようなすべての悪弊はさらに広がり、手に負えなくなると述べている。
・戦争。
・いつ起こるかわからない第三次世界大戦の潜在的な危険。
・世界的な環境破壊。例えば大気汚染、森林を焼き払う開墾、熱帯雨林や資源の搾取、放射能汚染や化学薬品による汚染等々による動植物の全滅。これは全人類の生活基盤を破壊することに等しい。
・人間の肉体的、精神的および思考的弱体化。これによって生存能力が急激に低下。
・男性生命形態の女性化。動物界においてもこの傾向が強くなってきている。
・男女共に妊娠不能が急増(自然が突然変異などを通じて抵抗を示すことを余儀なくされ、その結果、男性の精子生産に影響を及ぼして減少していることはすでに学術的に証明されている。人類が人口過剰に対して早急に自ら対策をとらなければ疫病や不妊などによって自然が反応し、いずれ人類は生殖不能になり、ひいては自らを全滅に導く)。
・竜巻、地震、干ばつ、洪水、火山噴火など、天災の世界的な増加。
・世界的な飢饉の増加。一時消滅していた病気や疫病の再発生。根絶されたはずの病気や肉体的欠陥などの再発や、新しい今までに知られていない不治または致命的な病気、流行病などの発生。
・オゾン層破壊の増加。現在もまだ無責任に行われている破壊ガスの放出は25年から50年後にその結果が現れる。
・気候の温暖化と四季を通じての極端な気候変化。
・空の色が汚れ、灰白色に変わる。
・家庭内での反目、外国人憎悪、人種や民族間の反目、生命軽視、人権軽視。
・テロリズム、暴政、専制政治、独裁、無政府主義、過激主義、原理主義など。
・各種エネルギー不足。
・過激なエゴイズムとその悪質な結果。
・金銭欲、嫉妬、意見の相違などからくる殺傷事件や意図的殺人。
・感情面での堕落。
・精神的、意識的ならびに宗教的狂気による大量殺人。
・犯罪、暴力、暴行、幼児虐待、幼児暴行、女性差別や民族差別。
・キリスト教や悪魔主義を含むその他の宗教におけるセクトやセクト的堕落。
・動物虐待。
・人間虐待と搾取、奴隷、隷属化など。
・性的な放縦とあらゆる堕落。
・ますます増える、えせ人道主義その他。

プレヤール人は、全世界を通じて徹底的な産児制限と出産停止をし、一定数のたくましく健康で、かつ健全な生存能力を具えた者、そして事実上の生活能力を持つ者たちによって、病弱な人類を再び立ち直らせる機会を与えなければ、地球人類が生き延び、存続することができない、ということを我々にこのメッセージで示し、驚かせた。
そうしなければ将来の見通しはすべて暗く、えせ人道主義とごまかしによって、すでに存在する地球上の問題はさらに大きく、際限のないものになるでしょう。
それゆえに人類は、腐敗して取り返しがつかなくなる前に、後戻りしなければならない。またこれはプレヤール人のメッセージだけでなく、すべての分別と責任感のある地球人が認識するところでもある。


地球外知的生命のもう一つのメッセージは、地球上に複数の国家からなる平和戦闘部隊を創設しなければならないというものである。これは勢力の均衡が崩れた場合にすぐに介入し、革命的、戦闘的な紛争が起こりまたは起こりそうになったら大事に至らないうちに理に適った力で抑圧し、その後そのような紛争が再び起こらないように各セクションに駐屯するのである。
この複数の国家からなる平和戦闘部隊は、国連部隊のようなのもではなく、すべての紛争を徹底的に終止させるために理に適った武力を行使し、介入する権利を持つ、平和戦闘部隊にふさわしいものでなければならない。
間違った人道的考え方を持つプロや、その他の正気でない思想を持つ戦争反対者や武力反対者は、この際、まったく考慮されるべきではない。なぜなら夢想や空約束、その他のナンセンスでは戦争や革命などを片付け、解決することができないことは、湾岸戦争をみても、また旧ユーゴスラビアの好戦的、殺人的な策動でも明らかである。
プレヤール人の意見では、現状の国連部隊はその方針に従って武装した平和の天使であり、無意味に命を落とさなければならず、そこでこの多国籍からなる平和戦闘部隊をヘーノックの方式で編成するべきである、ということであるが、よく考えればそれも適当ではない。

地球外知的生命からのもう一つのメッセージによると、地球人類は「平和瞑想」を行うべきで、そうすれば人間はインパルスによって愛と平和に方向づけられるというものである。この平和瞑想は実際にこのような効果をもたらすものであるという。そういうわけで彼らは私たちに毎月週末に2度その平和瞑想を行うように教示した。
政治的に見て多くの好転が80年代と90年代に見られたように、これが唯一の実際の効果ある方法である。
平和瞑想はあるコードを含む言葉によって行われ、それは無数の人々の潜在意識の中に効果をもたらし、平和と隣人愛の方向へ日々の行動や思考に影響を及ぼすのである。
私たちはすでに何年もの間、平和瞑想を35億人のプレヤール人とその同盟人たちと一緒に規則的にたゆまず行っている。


地球の現状は緊迫したものである。それも人口過剰をはじめとして戦争行為や暴動、ありとあらゆる種類の有害物質や放射能による全世界の汚染、地球上あらゆる分野における乱脈、財政的搾取犯罪、それに権力政治、麻薬中毒、邪宗、化学物質や毒物の乱用、テロ、人権偏見、人身売買、売春、無政府主義、死者や亡霊、悪魔信仰など、多岐にわたるものである。
その対策としてはまず、第一に人道的な形で、世界的な出産停止とそれに続く持続的な産児制限によって、地球人の人口を減らすことである。
出産停止と産児制限によって、地球上の人口が耐えうる数に減少しなければ(正常な適正人口は5億2,900万人である)、問題は際限なく増大し、害悪が害悪を生むことになるであろう。なぜなら、人類は今後も増え続け、それと並行して諸問題もとどまることなく増大し、解決できなくなるからである。同時に個々の害をその原因と結果に応じて除去することが、緊急不可避の課題である。

プレヤール人自身が、地球の破壊を阻止するために助言した重要な対策は、以下のとおりである。
すなわち、数年間に及ぶ絶対的な出産停止と、それに続く持続的な産児制限、森林搾取や風土荒廃化などを含むあらゆる地球搾取を即時停止して、地球が耐えられ、処理できる規模に軽減すること、すべての核実験の停止、乱用される麻薬、自然や生命を破壊する化学物質や毒物の製造停止、現在あるすべての原子力発電所の解体のほか、あらゆる乱脈の防止。
さらに自然と創造に反した既存の不充分な形態の悪政と邪宗の廃止。統一民主主義的な形態の全世界的統一政府の創設、戦争を想定して形成された軍事ブロックとすべての政治的・軍事的な諜報機関の解体、あらゆる戦争行為や動乱などの終結および阻止、拷問や死刑、その他地球と生命に負担をかけ、侵害するすべての害悪の除去と禁止、地球上に存在するすべての民族と人種からなる世界的な保安部隊の設置、創造の法則と掟を全世界に広め、これに基づいて創造に適った生活様式を習得し、順守すること、土壌、森林、原野、水、大気、植物、人間、動物、微生物などが受けたすべての被害の埋め合わせを世界的に促進し、実行することなどである。

プレヤール人の生活、彼らの思考、感情、感覚そして行動などは、もっぱらすべての事物における創造の存在とその真理に関する知識に、そしてまた、創造の真の法則と掟およびその原則に従うことに向けられている。彼らのすべての努力は知識と愛、真理と英知の滑らかな軌道を進むことにあてられ、死骸や害悪や偽りの臭いのする、陰鬱で、隷属的な、霊の自由を奪う宗教的信仰の怪しげな道をたどりはしない。
現在、地球人が理解しているような宗教は、彼らにとって異質のものである。
創造の神、あるいは地球人が何と呼ぶにせよ、そのようなものはプレヤール人にとっては身の毛のよだつようなものであり、まったく非現実的である。
今日に至るまでの多大の努力にもかかわらず、なぜ地球人が儀式宗教の束縛から解放されて、自分たちで自らの責任とイニシアチブにおいて、その種族の運命を創造のガイドラインに沿った建設的な自己努力によって自ら切り開き、とっくに昔に果たすべき義務、すなわち真の進化を開始し、創造の法則と掟に従ってこれらを満たすことができないのか、いぶかしく思っている。
プレヤール人の生きる道は、彼らが自らの手で非常に苦心して築き上げた価値、創造のガイドラインに沿った霊的かつ技術的な知識を一直線に貫いている。
彼らはそれを創造の真理、霊の力、あらゆる事物へ向けた純粋で創造に適った愛、および彼らのJHWH(イシュヴィッシュ)の力と賢明な助言によって築き上げたのである。彼らはまたそれにより、5万年以上も前から恒久的な平和を維持する術を心得ている。

こうしてプレヤール人は、太古の昔から霊的あるいはスピリチャアルな生活を送り、地球人の崇拝意識を非論理的で創造に反するもの、また意識の謬った隷属化であるとして、断固退ける。
彼らの哲学は、普遍的な創造の真理と創造的な生活に基づき、それはもっぱら真理と実在と存在、そして決して神性に置き換えることのできない創造の法則と掟に向けられている。
創造は最高の力として、普遍的意識、霊の中の霊、あらゆる真理、英知、愛、すべての論理、法則と掟、生命と存在、そして永遠のエネルギーを具現している。普遍意識としての創造は、創造領域、つまりその宇宙におけるあらゆる創造物の生命の源である。
しかしこの宇宙と時間において、最高の創造形態、すなわち絶対的完全性として、無限数に実在する(10の49乗)種類の宇宙のなかの一つにすぎない。

人間のスピリチュアルな生活とは、平たく言えば、霊的な生活ということと、あるいは創造を認識し、創造の法則と掟を順守する生活を意味する。そしてこれのみが、プレヤール人が、人生哲学と創造に適った生き方をするにあたって、採用する唯一の正しい進路である。
それはまた、地球人にとって最終的な目標でなければならない。
人間の霊的な生活(まさしく人間のスピリチュアルな生活)、あるいは霊的なもののなかでの生活とは、ある生命がその思考、感情、行動、そして生命全体が、もっぱら霊の根本的真理、すなわち創造およびその法則と掟だけに合わせるということを意味する。創造は永遠であり、絶対不変の創造の法則と掟に基づいて形成された愛、生命、霊、真理、英知、理性そして悟性を意味する。
創造と、そこから生まれた霊、そしてそれと結びついて創造の法則と掟についての真の知識を認識する生命だけが、創造の法則と掟を自分のものとして順守し、創造に沿って正しく生きるのである。
このことは、この生命体が真理について真の知識を持ち、非論理的な信仰形態に対して、理性に反した誤った偽りの信仰を持つことなく生きることを意味する。

地球人にもたらした間違った導き、誤った生活様式、虚偽の哲学、そして創造の法則と掟からの離反、地球人が自ら進んで無責任また無思慮に作り出したあらゆる分野にわたる害悪、弊害、邪宗、そしてすべての堕落から、創造の法則と掟、またガイドラインに沿った正しい生活様式に連れ戻すことである。



家庭内、若者の間、そして多くの人間の間で総じて暴力と攻撃が急増していることであるが、これは脳構造の損傷とはほとんど関係がない。
事実、すべての暴力および攻撃は、両親やその他の親権者による教育の欠如によって、あるいは社会的に誤導された同僚、友人、知人などとの付き合いによって習得されたもの。
つまり攻撃や暴力はまさに、愛と共感、親切心と人間性と同じように、教え込まれ、習得され、受け継がれるものなのである。
まことに人間は、自分の中に衝動や本能を備えてはいても、哺乳動物やその他の動物とは異なる。
なぜなら人間は、基本的に自己を意識しており、自分の全行動と理念、思考、感情、そして全心性ブロックを意識的に活用および制御できるから。

攻撃と暴力にかかわる行動の事柄が遺伝子によって、遺伝することはない。なぜなら遺伝子は脳がどのように行動すべきかを決定することはないからである。
実際、遺伝子は単に可能性もしくは潜在性をあらかじめ規定するだけであり、これを人間自身が意識的に活用および形成しなければならないのである。
それゆえ人間がどのように発展し、手本を通じて与えられる規範をどのように活用するかは、すべてその人間自身に掛かっている。
悪、憎しみ、暴力、復讐、報復、殺しは、人間に生まれつき備わっているのものではない。
人間はこれらの反価値を習得するのである。これと同じように、人間は衝動をコントロールすることを習得しなければならない。
それゆえ人間が、どれほどの強さで愛に、そして攻撃、憎しみ、復讐を、または平和、自由、喜びおよび調和に発展させるか、そしてフラストレーションや失望を、または幸福や健在に処理するかは、ひとえに人間の手の中にある。
(ビリー)エドゥアルト・アルベルト・マイヤー





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最終更新日  2023.04.11 12:11:38


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