カテゴリ:仕事
例えば8時30分に起きたとして、9時10分に自宅を出発しないと遅刻が決定する事がわかっているのに、9時8分ぐらいまで寝巻き姿だったりする。そのくせ9時5分に目が覚めて「ヤバイ遅刻だ!」と思ったときに限って軍隊並のスピードで服をきて9時10分丁度に出発したりする。 人間には体内時計というものがあるらしく、自分の力でほぼ24時間周期のリズムを刻むことができるそうだ。24時間を正確にとはいわずまでも10分間ぐらいの時間の感覚はだれにでもあるはずなのだが、朝の僕にはそれがない。 ある程度余裕をもって起きる事に成功し、ちょっと早めに準備を完了させたときに限って出発に3分前ぐらいからipodの充電を始めたりする。もちろん気がついたときには定刻を5分ぐらいオーバーしている。 そもそも僕は朝が弱い。とにかく睡眠から目を覚ますという行為が辛くて仕方がないのだ。僕にとっての朝というのは苦行でしかない。もちろんどんな人でもある程度は辛いと思うのだが、3個の目覚ましと携帯電話のアラームを5つ設定(もちろんスヌーズ)しても全く起きない事があるぐらいだから、ちょっと病気なのではないかと思う。 睡眠時間は平均5~6時間ぐらいなので、慢性的な睡眠不足という訳でもない気がする。両親が共働きで朝食という習慣が皆無だったせいかもしれない。目が覚めてから家をでるまでのリズムが作れないのが原因なのではないかと思う。 気分だって最高に悪い。朝の僕は世界一ネガティブで、世界一だらしがなく、世界一無価値で、世界一陰険な人間に違いない。 どうしたら直るのだろう?だれか教えて欲しい。 先日、共に働く役員のT氏の家で朝を迎えた。同年代の新婚夫婦のマンションだ。T氏のマンションと、訪問予定のお客様の自宅が近かったため、泊めてもらうことになったのだが、僕はそのマンションで目覚めた朝に驚きの事実を発見した。 なんとT氏は出発する1時間30分前に目を覚まし、朝食を済ませ、ソファに座りながらテレビをみていたのだ。 えっ?普通の事だって? いやいや。僕にとっては衝撃だ。僕の物差しでは計れない事実だ。なぜに1時間早く起きる必要があるのだ?なぜにそんなに余裕があるのだ?そしてなぜにそんなに爽やかなのだ? それは僕の知らない世界だった。 同じ職場で働き、同じ東京に住み、同じ世代の人なのに何故こんなにも爽やかで幸せな朝を迎えているのだろうか? 起きるのが遅い僕のために、奥さんが別のお皿で用意しておいてくれた朝食を食べた。愛がこもっていて本当に美味しかった。奥さんありがとう! ベランダにでてタバコを吸っていると朝の日差しが差し込んで僕を照らした。この日の朝の10分間は僕にとっては1時間に値するものだった。もちろん定刻に出発した。なんというすばらしい朝なのだろう。 人は「日常」というものを価値のない物と考えがちになり、すぐに「非日常」を求めたがる。ある人とっての「日常」は、別のある人にとっては「非日常」なのだという事をもう一度考えるべきだ。 きっと僕が求める「非日常」はどこにでもある穏やかなで幸せな朝なんだろうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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