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今回はちょっぴり摩訶不思議な人生と魂のお話をしてみます。
それで私たちの人生を、仮に“雨”だと思ってみてください。 *その【雨粒】の一つ一つが、私たち人間(魂)だとします。 雲の中で成長した【水滴】が雲から離れ、地上に落ちてくる。 それを仮に人間(魂)の「誕生」だと捉えてみてくださいね。 そして地上や水上へ【雨】が着地した時点が人間の「死」…。 それで【雨粒】は、突然にパッ!と現れたのではありません。 大気中の水蒸気が冷えて雲ができ、雲の中で成長した【水滴】 が地上に落ちてくるという現象の「流れ」によって出来たモノ。 例えばその【雨粒】がどの場所に着地しようとも…その存在は 決して「無くなる」ってことはありません。(無くならない) そう、焼けた大地に舞い降りた【雨粒】も、すぐに蒸発し水蒸気 となって、また空へと帰ってゆくでしょう。(無くなりません) そう、大海原に舞い降りた【雨粒】は海水に溶け込み新たな躍動 を続け…その海の表面もやがて太陽に照らされ蒸発してゆきます。 大空へと舞い上がった【水蒸気】は再度、雲となり成長を続けて やがて【水滴】となって再度大地へと舞い降りてくるでしょう。 この原因と結果の連鎖でその循環(人生)をグルグルと繰り返す。 それで、例えば先日降り注いだ【雨粒】が、また同じ状態で再度 降ってくると言うことは無いんです。(前回とは違った雨粒が?) そういう意味では「人生(雨粒という魂)は1度きり」なんです。 でも【雨粒一つ一つ】という観点から「水の循環」という観点で 捉え方を変えると「どこにも誕生も死(消滅)も見い出せない」 ということに気付けますよね。雨粒=魂=永遠に…ということ。 そう言う意味では「輪廻転生は繰り返される(雨はまた降る)」 ということで…。輪廻転生…「生まれ変わり」という意味です。 ただ、魂は自分ですよね?ただ魂【雨粒】が雲に戻った際ですが 雲の中では水蒸気なので【全ての雨粒は混ざり合っている状態】 ですよね?ってことは、雲の中での【雨粒】に個人の魂としての 存在はあるのか?ただ、また雲から地上へと【雨粒】となり降る 際には【一つの雨粒=魂】となって舞い降りて…来ますよね…。 あの世(雲)には沢山の魂が存在しているけど自分も存在してて 自分は存在してるけど存在しない。全ての魂は一つの存在であり これこそ【人類皆兄弟】である。という風に捉えてもありかな? 前世と今世と来世の魂はある意味では違う魂であり同じ魂である。 それで、ここからちょっぴり無理矢理現実的みたいな話をすると この世に生まれてくる際は身体が必要で、自分の身体はご先祖様 から受け継いだもので自分ではなく、命とは内神様であり、魂が 自分みたいなものかな。ただ、その魂(自分)も自分であって実 は自分ではなく自分?ただこの世で生かされていることは確かで 受け継いだ身体と(命=内神)に見守られていることは理屈抜き に“ありがたい”ことだと思うし、日々「感謝を実感できれば」 素晴らしい人生がパーッとカバーッと開けるんじゃないかな~? ということで自宅にお仏壇がある人はご先祖様に感謝の言葉を。 神社では内神様に感謝の言葉を。それは全て自分に感謝すること に繋がるんです。感謝の行動(原因)と、感謝の出来事(結果) の法則の中で私達は生かされていることを再度確認しようね~♪ とうことで摩訶不思議なお話でした。アラッキーより皆様へ。 http://www.intheheartjapan.com/ ちなみに輪廻転生を繰り返さないように生きましょうね~♪ また生まれてくる!ってことは前世で未熟な人生を終えたと いうこと。ということで、このお話は生きる参考までにね。 人生は、楽しむぞ!って思わないと楽しめない因果関係が。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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