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カテゴリ:仏教(勤行・思想・講座)
出家者であるか、ないか。
こう問われたらどう答えますか? 「出家ってなに?」という人もいるかもしれません。 俗に「出家したひと」のことを坊さんといい、一般や信者のことを「在家」、信者はとくに「信仰者」といいます。 出家・在家で違いがあるかといえば在って無いようなもので、仏の世界では皆おなじラインにっ立っています。 唯一の違いといえば、現実的には(一般の目に見える違いは)坊さんには資格がもらえることぐらいです。 では、仏の世界ではどうか? 先に「皆おなじライン」といいましたが、真言宗などの密教の考え方の場合でいうと、作法をして「三昧(さんまい)」という境地(意識)に入ったときに、坊さんは「仏」の位になり(仏と一体化する)、そして奇跡を起こすという考え方をします。これを「即身成仏」といい、本来人間の心の中には仏さんはいるということも即身成仏といいます。 即身成仏について有名な話があります。 弘法大師(空海)が御所へ参内したとき、数々の高僧の中で「真言の教義とはいかに」と問われ、「即身成仏(この身はそのまま仏である)」と示し、印(忍者がやってる手遊びみたいなもの)をくむと、体から光明を放ち大日如来になった。 名のある高僧もひれ伏し大日如来(空海)に合掌したので、「真言を一におく」と当時の天皇が言われて、そのときから真言宗は天皇家所属の宗派になりました。 現在でも「御七日御修法(ごしちにちみしほ)」といって正月八日から七日間、日本の安泰(=天皇の一年の健全祈願)を祈って、御衣加持(天皇がお召しになる衣にお加持をする)をしています(昔は天皇自身に加持香水をそそいだそうです)。 また、歴史の教科書などでも紹介されている後醍醐天皇は、袈裟を頂き、太陽をつかさどる冠をつけ、五鈷と五鈷鈴(ごこ・ごこれい:密教の法具)をもった姿で、背後には神名を書いた短冊があり、天皇を仏としてみただけでなく、天皇家ゆかりの神名を掲げることで神仏混交の思想の影響も見られ、即身成仏をあらわした図だといえます。 坊さんは一度死ぬ儀式を執り行って死んで仏になったと観念(自覚)することで、「出家」といいます。 では在家とは。 続には信仰心の篤い人をいいますが、今では一般をさすことが多いようです。 仏に近づくことができる(仏になることができる)坊さんに供養(布施=施す)することで宿業(しゅくごう:積み重ねた罪やとが)を消滅するという思想があり、在家信者は布施行という施しの修行をすることで宿業を取り払い、仏になろうとしているわけです。 また、出家していなくても五百羅漢のうちの一尊のように、釈迦に生涯使え、一番慕われたように結局は出家、在家の違いではなく信仰心が大事であるということがわかってきます。 まずは信仰することが第一。 その世界を深めたいと思うならば、何年かかってでも信用できる師を探すことです。 日本には「修験」という在家信仰があります。 次の日記では修験について紹介したいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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