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四谷さいだあ君と分担と言うことで、「生まれ」について書いてくれました。
今日は、前回と同じく「はじめての修験道」を資料に、役行者の家系について書こうと思います。

○八咫烏の末裔
役行者の家系については、「日本霊異記」に詳しく書かれています。
「日本霊異記」は、平安時代の最初の頃に、奈良の薬師寺にいた景戒という僧侶が、仏教にまつわる説話を集めて編集した書物です。
その記述によると、「役優婆塞者、賀茂役公(かものえのきみ)氏、今高賀茂朝臣者也」とある。
「優婆塞」とは、昨日少し触れましたが在家の仏教者という意味です。この言葉から、役行者は正式に出家した僧侶ではなく、在家のままで修行をする宗教者だったことがわかります。
その役行者は「賀茂役公」の出身だったといいます。つまり、賀茂氏という氏族の出身で、「役公」だったといいます。「役公」は、なんらかの役職で仕えるという意味をもちます。だから、役行者の家は、賀茂氏とはいっても、宗家(本家)ではなく、宗家に仕える身分だったことがわかります。
なお、「今高賀茂朝臣者」という記述は、「今の高賀茂の朝臣の一族の者」とう意味です。「日本霊異記」が書かれた平安初期には、賀茂氏が高賀茂氏と名乗っていたので、こう書かれたのだろう。京都にあって、賀茂祭でよく知られる上賀茂神社と下鴨神社は、この賀茂氏が京都に移住して、自分たちの神々を祀った神社と伝えられている。
そもそも賀茂氏は日本の建国神話では、神武天皇が大和地方を平定するときに功績のあった八咫烏武津之身命(・鴨建角身命=やたからすたけつのみのみこと・かもたけつのみのみこと)の子孫ということになっています。実際には、二一代目の雄略天皇(四二〇~四八〇頃)の時代に登場したという説もありますが、いずれにしても、根拠地が葛城山あたりだったことはまちがいないらしい。
「八咫烏」は、今では日本サッカー協会のシンボルマークになっているので、ご存知の方も多いとおもいます。「咫(あた)」は長さの単位で、それが八つもあるということは「とても大きい」という意味になります。ようするに、超大型の烏ということです。古代中国の太陽信仰とのかかわりがあるらしく、絵にはよく三本足の烏として描かれています。
しかし、神武天皇を助けた八咫烏は鳥ではなく、人間だったようです。一説には、八咫烏武津之身命というリーダーに率いられた古代の豪族だったといいます。八咫烏という名前をもっていたぐらいだから、凄いジャンプ力があるとか、遠くまでよく見える視力をもっていたとか、とにかく特別な身体能力の持ち主だったのかもしれません。そう考えると、神武天皇の道案内をしたという話とうまくつ辻褄は合います。

○音楽家の家系であった
役行者の名前は、正確に言うと、幼名は小角(おづぬ)といいました。この点については、「役行者本記」に、こう書かれています。
「その父親は大角という名前で、代々、音楽を得意としていた。そのために、大角という名前がついた。大角(おおづぬ)というのは、腹笛(はらぶえ)という意味だ。役行者の名前の小角は、管笛(くだぶえ)という意味だ
。この家系は雅楽の家系だった。」
この記述から、役行者の名字になっている「役」、つまり賀茂氏の宗家(本家)に仕える上での役職は、音楽だったことがわかります。そして、父親が大角という名前だったので、息子は小角という名前がつけられたこともわかります。
別の古文書では、頭のてっぺんに角みたいな尖った部分があったので、小角と名付けられたといいます。そのほかにも、牛の角を呑む夢をみたためとか、奇瑞(きずい=良い兆候)をあらわす動物として有名な麒麟の角にゆらいしているとか、色々な説があります。
しかし、これらの説だと、父親が大角という名前だった理由がうまく説明できない。だから、やはり父親が大角だったので、その息子は小角とな名付けられたと考えたほうが無理が無いかもしれない。
さて、わからないのは、「大角」と呼ばれた楽器のことです。「小角」のほうは、「管笛」と書かれているので管楽器だったことはまちがいないでしょう。しかし、「大角」のほうは「腹笛」と書かれていて、意味がわからないです。
現在の雅楽で使われている管楽器は、大きく分けて、二種類あります。
一つが、いわゆるリード楽器で、西洋の楽器でいえば、オーボエとかクラリネットに近い。この仲間に、笙(しょう)と篳篥(ひちりき)があります。笙は、竹の管を十七本、頭(かしら)と呼ばれるお椀みたいなものに、差し込んだ構造になっています。篳篥は、一本の竹の管でつくられています。
もう一つが、いわゆる横笛で、西洋に楽器で言えば、フルートに近い。横笛(おうてき)がある。この仲間も竹の管でつくられていて、音の高さによって、龍笛(りゅうてき)と高麗笛(こまぶえ)と神楽笛(かぐらぶえ)の三種類あります。
こういう雅楽の楽器の中で、注目すべきは笙です。その理由は、笙の、お椀形の部分は水牛の「角」で蓋をする形になっているからです。ここに「角」という文字が出てきます。ひょっとしたら、大角と小角の父子は、この笙とかかわっていた可能性があります。
この笙については、興味を引く事実があります。現代の雅楽に使われている笙は、十七本の竹管でつくられています。しかし、古い記録によると、古代は三十三本のものもあったらしいです。しかも、楽器そのものも、もっと大きかった可能性があります。
ここから、次のような推測ができます。「大角と小角の父子は、共に笙を得意としていた。父は、腹でかかえるような大型の笙が得意で、息子は小型の笙を得意にしていた。そこで、息子のほうが『小角』と呼ばれるようになった・・・。」
母親については、白専女(しらとうめ)とか刀良売(とらめ)とか白専渡都岐麻呂(しらとときまろ)などと、いろいろな名前が伝わっていて、どれが正しいのか、決められない。出身氏族については、父親と同じ高賀茂氏だったことはまちがいないようです。
父と母の関係は微妙で、父親は小角が生まれたすぐあとで、妻と別れて出雲に行ったという伝承もあります。なかには、小角に父親は無く、母親が霊夢に感じてうまれたという伝承さえある。これらの伝承から考えると。小角と父親のかかわりはあまり濃くなかったのかもしれないです。

次は、四谷君にバトンタッチ!





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最終更新日  2005年12月14日 20時15分29秒
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