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カテゴリ:剣舞
映画や演劇で書かれる「忠臣蔵」の大石内蔵助について、考えてみました。
今年度の剣舞のコンクールで僕が舞うのは「四十七士」という吟題。 以前にも書いたことがありますが(H17.7/17 四十七士)、詩心表現の研究をかねて書きたいと思います。 一般的に、吉良の屋敷に討ち入るときの大将は大石内蔵助(おおいしくらのすけ)と知られています。 正確に言うと、大石内蔵助 良雄(おおいしくらのすけ よしお/よしたか)で、内蔵助の名は代々赤穂藩の家老を勤める大石家が名乗る名前であるといわれています。 だから、赤穂藩最後の家老は大石内蔵助良雄というわけです。 元禄十四年三月十四日・・・ 赤穂藩をはじめ、大石内蔵助ひきいる四十六人が吉良屋敷へ討ち入るきっかけとなるあの事件が起こります。 江戸城松之廊下で、浅野内匠頭(赤穂藩の殿様)が吉良上野介に刃傷におよんだのです。 城内では、鯉口(刀の鞘の口)をきること(抜刀しようとするときの作法)さえ禁であったとか。 映画でよく見る「殿中でござる!」ってやつですね。 それが殿の怒りに触れ、浅野内匠頭は即日切腹となりました。 それにより、赤穂の浅野家はお家断絶になってしまいました。 しかし、一方の吉良には何の咎めもなかったのです。 ここから、俗に赤穂浪士といわれる人たちの討ち入り計画が持ち上がります。 さて、なぜ浅野内匠頭が吉良上野介を禁を犯してまで松之廊下できりつけたのか。 浅野内匠頭が吉良上野介からいじめられていたというはなしがあります。 映画やドラマでも、いじめが原因で・・・という設定になっていることがほとんどです。 そのいじめとは? 参勤交代にあたり、浅野内匠頭が吉良上野介に、献上の品についてなど教えを請うたようです。 しかしそこで嘘を教えられて、赤穂藩の献上の品だけ貧弱であったり・・・ 「赤穂藩は塩(赤穂塩)で成功していてお金を持っているほうなのに、献上の品はケチっている・・・」 そんな噂も流れたらしい。 浅野内匠頭の怒りは膨らんでいきます。 そして刃傷事件を起こすことに・・・ 今日はここまでということで・・・ なんせ、映画でも平均二時間かかり、歌舞伎なんかは十幕もあるお話。 時間をかけてやってまいります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月14日 14時54分47秒
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