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カテゴリ:diary
昨日、子供たち3人がお世話になった清里の「聖ヨハネ保育園」の50周年礼拝と祝賀会があり、久しぶりに以前お世話になった園長先生とお逢いする事が出来た。
一口に50周年と言っても、辿ってみると様々な絵が見えてくる。 今回の参加者は保育園側の関係の方々、現職や歴代の園長や先生方、そして我々歴代の保護者会長がご案内を頂き参加。 そもそもクリスチャンではなかった僕が、なぜこの保育園に長女を入れ、その後長男、次女を通わせたか。 その当時家内と長女をそろそろ幼稚園か保育園に入れようと考えていた時、保育園のあるKEEP協会内のファームショップと言う喫茶店でお茶をしていたところ、その店に偶然当時の園長先生が打合せでいらっしゃり、知人の店員さんに紹介して頂いた時の園長の人柄に魅力を感じたからだった。 半官半民の経営なので、問題は無いのだけど、当然我娘は住んでいる大泉村(現在は町に)の保育園と言う事になるのだけど、一度見学に行った時、自分たちにとっては好ましくない教育方針だと感じ倦んでいた。 でもその園長に伺ったヨハネ保育園の保育目標は、まさに僕らが望むもので、村に掛け合って入園をさせることが出来た。 その保育目標とは・・・ 「一人ひとりの子どもたちを祝福する保育」・・・一人ひとりの子どもたちをかけがえのない存在として受け入れ、子どもたちが 主観的に愛され、守られているということを感じながら育つことを大切にしています。 と言うものでした。 実際子供3人が卒園するまで約8年間、ヨハネ保育園を見てきたけど、本当に個を重んじ個性を大切にみんな一緒と言う教育ではない。 わかり易く言うと、ヨハネの卒園児(通称ヨハネっ子)は小学校に上がっても先生に物怖じすることなくいろいろ聞く子が多い。 ただ、先生への挨拶はかしこまってきっちり出来るのが他の保育園児で、ヨハネっ子は挨拶は出来ても決してちゃんとしたものとは言えない感じ・・・上手く言えないけど。 何れにしろ、我が子は個性がそれぞれ強く育っている事は間違いない(笑)。 多分一般的には優等生ではない。 でも、ある意味「子供らしい」と想っている(どう考えても親ばかですな~)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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