冥土喫茶
私には、会いたくても会えない友達がいる。だけど、その人は、確実に私の中に存在していて、いつも私を見守ってくれているはずだと思えるのだけど、時々、彼の姿かたちを恋しく思い、どうして、今ここにいてくれないのだろうと痛みが胸を刺すのだ。彼のお墓はない。彼は、大阪の一心寺で、骨仏になっている。なぜだか、私は、そこへ行けない。かわりに、私は彼が生まれ育った町に暮らし、彼の見たもの、語ってくれたものを発見しながら、彼の存在を感じる日々である。辛いことが起きた時よりも、嬉しくて小躍りしたい時に、その友が傍にいないことが悲しい。「カーステアーズ、あなた、妄想列車の行先には不可能な場所はないんだったわね」「ええ、もちろんですとも、ヤンスカ様」「亡くなった、あの人に会いに行きたいの」「……」カーステアーズは、黙り込む。「それは、テッチャマのことですね」と、しばらくしてから返ってくる。「彼は,ふらっと私の夢にあらわれるのよ。だから、私が彼のもとに現れたって たまにはいいんじゃないのかしら?」「もう、秋がやってきましたからねえ」と、カーステアーズは言う。そう、彼が亡くなってから、もう四半世紀が過ぎて行ったのだ。晩秋に別れをむかえるとも知らずに、最後の夏と秋を、私たちは笑って過ごしていたのだ。少しやわらいだ日差しの中に、ひんやりしてきた、夜風の中に、いつまでも、記憶が映し出されるのだ。「お願い、カーステアーズ。どうしても、彼に会いたいの」少し首をかしげて、運転士と相談してきますと去り、やがて、心配そうな目をしながら戻ってきて、いつにない優しい口調で言う。「ヤンスカ様。運転士の許可をもらいましたので、冥土へ参りましょう」「ありがとう!」「ただし、お約束していただきたいのです。あなた様をお連れするのは、 特別な面会用の、冥土喫茶でございます」「なに、それは?」「この世側から、唯一アクセスできるポイントでございまして、 一度にお一人しか面会はできません。そして、10分しか、時間はございません」「え?短いわ、カーステアーズ」こほんと、咳払いをして、彼は続ける。「この冥土喫茶の給仕人が、大変魅力的な人物でして、その、面会が終わる際に あなた様に、小さなグラスに入ったお飲み物をお出しするでしょう。 それを、飲むと、冥土へ渡ることができるのでございます」ええっ!「まさかとは存じますが、私は、あなた様を信じております」「カーステアーズ、なんてことを」「あなた様が、あの方に対して抱く思いが別格なのは、私もよく存じ上げております」「そうね、いつも、あなたは、私のよき理解者よ」「何度も伺うのですが、テッチャマとの間に、恋愛感情が無かったというのは 本当なのですね?」「彼は、大学時代の大切な仲間よ。まるで、私の片割れのような友人よ」そしてね、カーステアーズ。彼にこだわるのはね、友人としては、この上ない愛情を私にくれたからなのよ。当時の恋人なんて、ただの恋人なだけ。私の内部をえぐりだし、まるごと私を認めて好きでいてくれたテッチャマ。お互いの夢や目標を、応援しあった心の友。失った時に、本当に私も死にたかった。いや、いっぺん、心は死んだ。私の列車は、闇の中を音もなく駆け抜けていく。「ヤンスカ様、もしも、あなた様が冥土へ渡ったら、私もすぐに参りますよ」私は、じいっと彼を見つめる。ここにも、よき友がいるのだわ。やがて列車は、大きな川べりの館に横付けされた。この建物が、冥土喫茶らしい。カーステアーズが、受付まで付いてきて、びくびくしている。「大丈夫よ、私を信じて」「いいえ、あなた様に裏切られても、私は必ず参ります」濃紺のスーツに身を包んだ、ブルネットに眼鏡の男が私を呼ぶ。「マダム・ヤンスカ。私はご案内係のマルセルです」「マルセル。そう、よろしく」「では、さっそく、お席にご案内しましょう。 真っ白なエプロンの裾をさばきながら、マルセルは時折微笑み、振り返り 私をキンモクセイの香りが漂うテラスに導いた。そこには、ああ、そこには!白いジャケットに、赤チェックのシャツを着た彼が座っていた。私を見ると、立ち上がってかけよってきて、昔のように身体をさわりまくるのだ。で、私は素早く手をはらいのける。これは、あいさつ。「テッチャマ!元気そうね」マルセルが、ジェスチャーで、ストップをかけて、砂時計を示す。「さあ、マダム。この砂が落ちるまで」そして、立ち去る。「ああ、びっくりするでしょう。すっかり私は年をとってしまったから。 いつまでも、変わらないのね」「びっくりしないよ。いつでも、ヤンスカのそばにいて、見ていたから」「ありがとう。たまに、あなたの気配を感じて、探してしまうことがあるの」「ちゃんと、わかってる。気づいてくれてるなあと思ってたよ」「今日はね、今日は、どうしても伝えたいことがあったの!」「もしかして、こないだのこと?ヤンスカの友達の」「本当に、ちゃんと見ていてくれてるのね。そうよ、彼女のこと。 ずっと、さびしくて、辛い思いをしていたけれど、そんな彼女に 運命の恋人があらわれたのよ。嬉しくて嬉しくて、私も誰かとこの喜びを 分け合いたかったの。で、テッチャマにお礼をいいたかったの」「おれは、何もしてないよ」「だけど、あの遠い日々に、私をまるごと好きでいてくれたでしょ?」「そりゃ、君はおもしろかったし、おれらは、お互いに似ていたから」「あのころ、それは当然のことと思っていたのよ」私は、彼を目に焼き付ける。「そんなに見るなよ、本当は男として好きなんだろう」「ありえないわ!」一呼吸して、一気に伝える。「友達だから、私を丸ごと認めてくれてるんだと思ってた。 でも、ちがったわね。あなただからこその、私への友情だった。 大人になって、色んなきついことがあってもね、私には、あの愛情が存在するから こうして一人でいても、辛くないのよ」と。誰かにきちんと大切にされていると実感すること。それは、愛のベースね。あなたが私にくれた、最大の贈り物なのよ。若かったあの頃に、あなたが私に与えてくれたからこそ、私は、たくさんのあふれる思いを、別の誰かにリレーできるのよ。「失礼いたします。そろそろお時間でございますが、お飲み物はいかがですか?」マルセルが、小さなグラスを私の目の前に置く。これが、冥土に渡るグラスね。「マダム、本当はこの方とご一緒に居らっしゃるほうがお幸せではないですか? 現世にお戻りになったら、もう、姿かたちを持つこの方を見ることはできません。 こうして会話をすることもね」「ヤンスカ!帰らないといけない」テッチャマが静かに言う。マルセルは、私の手にグラスを握らせる。赤ワインのような、香りがして、美味しそう。「いけません、ヤンスカ様!」キンモクセイの茂みから、飛び出してきたのはカーステアーズだ。と、同時に、テッチャマも、私の手からグラスを叩き落とす。茫然とする私の横で、カーステアーズはテッチャマに向き合い、握手を交わしている。律儀に自己紹介までして。「時間だ、ヤンスカ。会えて嬉しかった。だけど、これからも いつも、そばにいるから、二度とここには来ちゃいけない」言葉の出ない私に、さらに言う。「形だけを、信じるな!君には見えないものをみる心があると、 あのころ、たくさん伝えたじゃないか。 君が、おれに会いたいとおもっている時には、すでに隣にいるんだ」私は、テーブルを立ち、もう一度彼を見つめる。ありがとう、大好きな友達。私は振り返らずに出口をめざす。カーステアーズが、すすり泣きをしている。「どうしたの?あなた」「ヤンスカ様、どうか、このような所へは二度とお越しにならないでください。 今のお方のようなご友人にはなれないかもしれませんが、 あなた様の喜びも苦しみも、私が受け止めます。全力で。 だから、もっと、楽しいところへ行こうではありませんか!」「それにしても、マルセルって彼、ちょっといい感じじゃなかった? 私を慰めたいなら、あの子をうちのスタッフにスカウトしてらっしゃいな」いつもの空気に戻してあげるのも、オーナーとしての愛というものよ。