テーマ:徒然日記(23509)
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昨日は大学のクラス会でした。大学ちなみの駅前の居酒屋で集まったのは8名。うち女性2名。K女史も参加というのを事前に知っていてとても楽しみにしていました。彼女とはいつもすれ違いでなかなか会えないでいました。同じ14年前連れ合いを亡くしていました。 みんな85歳以上、以上というのは幼年学校出身者もいて、2~3歳年上の方もいらしたからです。その方の戦争体験も初めて聞きました。水中訓練の最中に空襲があり、機銃掃射を浴びたとのこと。前後左右に爆弾は落ちたけど誰にも命中しなかったとのこと。良かったですね。でも怖かったでしょうね。飛行士の顔もはっきり見えたそうです。 近況報告もしたのですが、加齢により耳が遠くなった、足が痛い、頚椎を痛めている、目眩がする、心臓のバイパス手術をしたけれど今は元気、などなにか故障はあるけれどここまで歩いてこられたんだから、皆元気だよね、と自画自賛。お互いの健康を祝しました。 元校長、○○大学名誉教授もここに来ればただの同級生。今年は特にみんなかどが取れ丸くなったような気がしました。4年前は元高校の校長も教職員組合はけしからんと鼻息も荒かったのですが、今年はとても謙虚で2次会で私の隣に座ったのですが、私の出身高校に努めていた時私の担任だったO先生が私のことを知っていた、と話してくれました。初耳です。O先生は90を超えた今でもお元気で年賀状のやりとりを続けています。 今年が最後かも知れないという幹事さんの言葉だったのですが、次の幹事をTさん、Kさんが引き受けてくれて、来年またクラス会を続けることになりました。 2時でその居酒屋は休憩になり、雨も止んだので外で記念撮影をしました。店員さんがとても親切で、写真撮影にもシャッターを押してくれました。休憩時間だったでしょうに嫌な顔もせず・・・。 2次会は、ここが地元というSさんがコーヒーの美味しいお店を紹介してくれました。間口は半間もないのですが狭い通路を抜けると広々とした空間がありました。美味しいコーヒーを飲みながら話はまた延々と続き、尽きることはありませんでした。最後に何故、私たちの大学がTの地へ移転しなければならなかったのか、反対したのは誰で、賛成したのは誰か、の話に移り、Sさんが当時助手を務めていたので記録にとどめているとのこと、ぜひそれを知りたいという私たちの要望に応えその記録をコピーし配布してくれることになりました。 私たちの知らないところで最終的に決められ、反対していた英文科の教授たちは新しい大学には移らず、新しい教授たちに一新されたのです。 その経過は私たちの興味をそそるものなのです。
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