カテゴリ:語り日記
昨日に引続いて 今日も懲りもせずに、語り日記でありまする で、天から見下ろす星野はんから、お叱りのお声がないようなので 今日もまた、星野はんのお言葉を大事にお借りしとう存じます <(_ _)> あんたはんが命をかけて紡いだ言葉を 語れる才など持ち合わせておらんものやが・・・ どうしても読みたくて・・・ 星野はん、ゆるしてつかぁさい <(_ _)> * 下記タイトルをポチッとしていただくと、別窓で語りBarへととびまする PCの音量等、あらかじめご注意下せーまし 星野道夫 写真・文 PHP研究所より引用 目に見えるものに価値を置く社会と 見えないものに価値を置くことができる社会の違いを ぼくは思った。 そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった。 見ることと、理解することは違う。 たとえぼくが餌付けをして グレーシャーベアをおびき寄せても それは本当に見たことにはならない。 しかし、たとえ眼には見えなくても 木や、岩や、風の中に、グレーシャーベアを感じ それを理解することができる。 あらゆる神秘が壊され続けてきた今、 見えなかったことはまた深い意味を持っているのだ。 混沌とした時代の中で、 人間が抱えるさまざまな問題をつきつめてゆくと 私たちはある無力感におそわれる。 それは正しいひとつの答えが見つからないからである。 が、こうも思うのだ。 正しい答えなど初めから存在しないのだと・・・・。 そう考えると少しホッとする。 正しい答えをださなくてもよいというのは なぜかホッとするものだ。 しかし、正しい答えは見つからなくとも その時代、時代で より良い方向を模索してゆく責任はあるのだ。 壮大なアラスカの自然は、 結局人間もその秩序の中にいつか帰ってゆくという あたり前のことを語りかけてくる。 完:2006.02.09 10:33:22 【2005年の今日】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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