テーマ:表現者、集まれ~(263)
カテゴリ:語り日記
2月19日、茨木のり子さんの逝去日に 吾の志とも言うべき詩『自分の感受性くらい』を朗読させて頂いた もっともっと茨木さんの世界に浸っていたいから・・・ 今日も語り日記をば・・・ 【いつものように下記下線のタイトルをポチッとしていただくと、語りBARに飛びまする】 【手記よりも聞いてみてにゃ】 汲む ここをポチッと↑してにゃぁ~ ―Y・Yに― 大人になるというのは すれっからしになることだと 思い込んでいた少女の頃 立居振舞の美しい 発音の正確な 素敵な女のひとと会いました そのひとは私の背のびを見すかしたように なにげない話に言いました 初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人とも思わなくなったとき 堕落が始るのね 墜ちてゆくのを 隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました 私はどきんとし そして深く悟りました 大人になってもどぎまぎしたっていいんだな ぎこちない挨拶 醜く赤くなる 失語症 なめらかでないしぐさ 子供の悪態にさえ傷ついてしまう 頼りない生牡蠣のような感受性 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく 外にむかってひらかれるのこそ難しい あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には 震える弱いアンテナが隠されている きっと…… わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました たちかえり 今もときどきその意味を ひっそり汲むことがあるのです この詩に寄せる茨木のり子さんの手記より ここをポチッと↑してにゃぁ~ そのころは四十くらいでいらしたけど、人間が生きていく基本みたいなもの、親や先生からは得られないような大事なものを、私は山本さんからたくさんいただいたと思ってるんです。 あのね、私、山本さんの色紙を一枚持っていたんですよ。それは 「静かにいくものは すこやかに行く 健やかにいくものは とおく行く」っていうんです。 女優さんなんか、派手で一時期脚光を浴びて、それですぐだめになる人が多いでしょう。 ところが山本さんは、この色紙のことばを一生かかって体現したのですね。けっしてきらびやかではないけれども、ほんとに本質的な女優さんだったと思うんです。 それともう一つは、芸術家っていうのは奔放無頼、何をしてもいいとみんな思ってるけど、私はそうは思いませんっておっしゃるんですね。長い間いろんな人を見てきたけれど、一流の芸術家は社会人としても立派だって言うんです。当時私は、こんな常識的な生きかたしてていい詩なんかできるはずないってどこかで思ってたんですが、でもそうじゃないってこと。そういったことを、教えるっていうんじゃなしに、自分の話として言って下さるんですね。 そういうのが私にはびしびしききました。 【撮影:たかしさん】 【2005年の23日】 【2005年の今日】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[語り日記] カテゴリの最新記事
|
|