テーマ:表現者、集まれ~(263)
カテゴリ:語り日記
2月19日 茨木のり子さんの逝去日に 吾の志とも言うべき詩『自分の感受性くらい』を朗読させて頂いた もっともっと茨木さんの世界に浸っていたいから・・・ 連日、茨木さんの作品と向き合い 『汲む』 『 わたしが一番きれいだったとき 』を朗読 シリーズ最終回はこの詩を語りまする *いつものように下記下線のタイトルをポチッとしていただくと、語りBARに飛びまする。手記も聞いてにゃ* 小さな娘が思ったこと ここをポチッと↑してにゃぁ~ 小さな娘が思ったこと ひとの奥さんの肩はなぜあんなに匂うのだろう 木犀みたいに くちなしみたいに ひとの奥さんの肩にかかる あの淡い靄のようなものは なんだろう? 小さな娘は自分もそれを欲しいと思った どんなきれいな娘にもない とても素敵な或るなにか…… 小さな娘がおとなになって 妻になって母になって ある日不意に気づいてしまう ひとの奥さんの肩にふりつもる あのやさしいものは 日々 ひとを愛していくための ただの疲労であったと 今のはたちの人へのメッセ ここをポチッと↑してにゃぁ~ 相手の欠点も、だめ部分も含めて能動的に愛するってことは大変ですけれどねえ 自分も傷つくし。 あんまりいい答えになってないなあ(笑)はたちのひと達にいうことばとしては、ね・・・ 参考文献として、立花隆ゼミ『二十歳の頃』インタビュー集から 一部抜粋したものです。 悲しいかな・・・茨木さんの訃報を機に 改めてその詩に触れながら思ったことは・・・ おんなって・・・ええなぁ・・・ってことさ・・・ 完:2006.02.27 00:49:49 【2005年の今日】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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