実は見栄っ張りだった母
今日も暑かったですね。私の住んでいるところは、全国7位ぼけてて、よく見えませんけど。一位はなんと、私の母の出身地であり、私の生誕地でございます。母の妹である末の叔母さんが、今も自宅介護で、寝たきりではありますが、その地で元気にしています。その叔母さんのご主人は、学校の先生で、いとこの長女は、高校卒業後働くことなく今に至るで、次女は短大まで行き、途中までは働いていたのですが、何故かお姉さんに右ならえで、両親と共に、ずっと暮らしていました。娘たち2人がそんなふうになってしまったことを、私の母親は、さんざんバカにするような発言をしていましたが、晩年は自宅介護してもらえて羨ましくもあったみたいです。さらに悪いことに、母とその叔母さんの間にもう1人妹が居て、そこのご主人は、農業兼会社員で、70代の時に農作業中の事故で急死。娘(私のいとこ)や孫が駆けつけ、2階のお爺ちゃんの部屋の金庫を開けてビックリ(かなりの大金を貯め込んでいたらしい)。元々婿殿として、名字はいとこの名字を名乗っていたこともあって、超田舎だけど、便利な市内のアパートを引き払って、叔母さんと同居。あちこちリフォームして暮らしていました。若いうちは、母と電話で喋っては「来て貰わなくてよかった」と言っていたらしい叔母さんですが、自動的に自宅介護してもらって、母が施設に行くより前に亡くなりました。私の父もまだ元気な頃で、早めに会場に入っていたので、私が母を葬儀場まで乗せて行ったのですが、雪の日で、まだ2輪駆動の軽自動車の頃だったので、滑る滑るで、死ぬかと思いました。私はワンタッチチェーン(全然ワンタッチじゃないけど)を付けられる人なので、葬儀が始まるまでの間に、帰りのことを考えて、チェーン装着。ところが、葬儀が終わった頃は、大きな道路は雪が溶けちゃって、ガタンガタンで全然はやく走れないので、また、ちょっと広い所で止まって、チェーン外し。帰りは母を乗せた父の車が、私を心配して戻ってきたというオマケつき。2015年頃買い換えた車は、4輪駆動なので、一度もチェーンつけてないので、今はつけられないかも?まあ、そんなこんなで、養老院が大嫌いだった母は、妹たちも自宅で看て貰えたのにと、お怒りだったようです。私の母は,他の人には見せなかったけど、なかなかの見栄っ張りで、私のことも、地元ではお嬢様短大と言われてた所に行かせて、私は家政科か食物栄養科に行きたかったのに、好きでもない英語科に行かされ(たぶん、自分の夢だったんだと思う)、末の叔母さんのことを、「○子(いとこ)があんなになったのは、家政科なら推薦して貰えると言われたのに、妹が○子ちゃん(私のこと)が英語科なのに、と家政科に行かせなかったから」だとか、自分のしたこと忘れて熱弁してたのでありました。あの世で合ったら、私はかあちゃんの言うこと聞いて生きてきて、3人も子供産む羽目になったから、かあちゃんの面倒はみられなかったんだからね。と言ってやります(笑)