|
カテゴリ:介護
ひっさしぶりの更新です。
最近は季節ごとすらできない状態でした。 葬儀後から入院まで 前回更新したとおり、春の桜の季節に実の父を看取りました。 残された母は 要介護1と身障者2級で体調も悪く、夜は一人にできないと、7月までは兄と交代で夜実家に泊まる生活をしていたんです。実家のそばに住んでくれている義姉も とても頼りになりました。 フルタイム8時間勤務で残業も多い仕事を週5日していたので、そりゃもうハードワーク。 高校生の息子のお弁当も作れなかったり、夜は夫に洗濯をお願いしたり・・。家族みんなに支えてもらいました。 肺治療のための入院 7月。 10年前に肺がんの手術をした後、肺にカビが発生するアスペルギルスにかかった母。 病気の進行は抑えられても完治することができない病気です。 このアスペルギルスが悪化したため、一度入院して集中して治療することになったんです。 ところが、入院して一週間が経過するころだったかな、脳梗塞をおこしてしまったんです。 幸い入院中だったので直ぐに処置はしたので後遺症が出るような状況ではない・・・との医師の説明だったのですが、やはり高齢ですから・・・。 入院生活もあって、痴呆が始まってしまいました。 痴呆が始まって・・・ 痴呆はまだそれほどひどくはないのですが、もう夜だけ泊まるような状況ではなく、7月20日に退院してからは、24時間だれかがそばで見守る必要が出てしまいました。 生活が激変 母の痴呆が始まり、仕事が休みの日の日中と 一日置きに夜実家に泊まりに行くだけでは無理になりました。 そこで、仕事を極限まで減らしてもらい、担当部門の入荷発注でどうしても出勤しなければならない火曜と金曜の午後5時間だけにしてもらい、仕事の日の夜だけ千葉の家に帰り、翌日には実家に戻る生活になりました。 そう、ほぼ家には帰れず 実家で母と過ごす生活です。 母としての自分 きつかったです。この生活。 週に2回帰宅するたびに夕食の作り置きをして帰るんですが、食べ盛りの息子のお弁当も作れず、部活で疲れて帰ってきても真っ暗な家。一人で夕食を温めて食べている姿を思うと、母として申し訳なくて、申し訳なくて・・。 パパ・長男・次男・・、ホント一生懸命頑張って私を支えてくれました。 一言も文句や泣き言は言わず、ただただ笑顔で私を応援してくれる3人。 一番大事な家族を犠牲にしていることが辛くなり、だんだん私の精神面が不安定になってきたんです。 そこで、当初から考えていた母を千葉の私の家に引き取る計画を実行することにしました。 20年同居した義母を昨年1月に送っていますので、1階の和室がまるまる空いているし、何より私が苦労した姑との同居生活を義姉さんにさせたくなかったんです。 退職 9月ごろ、10月で退職したい旨を上司に伝え、約一月かけて引継ぎをする計画を立てました。 通常はカテゴリー担当2~3人で持つのですが、私はアイテムが少なめの異なるカテゴリーを二つ一人で担当していました。さらに一つは特殊で担当者以外は直属の上司もあまり理解していないものでしたから、引継ぎも簡単にはいかないのです。 仲間にも助けられながら、最後の一か月全力で仕事をし、10月20日に9年間働いた職場を退職しました。 次は社会保障を受けていたパートを退職するときの手順です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Dec 5, 2017 05:44:53 PM
コメント(0) | コメントを書く
[介護] カテゴリの最新記事
|