生後11日目
おはようございます昨日に引き続き今日も暖かな日差しが朝から窓に入ってきて気持ちの良い一日になりそうです先日の出産に際しては、皆さまから暖かいコメントをいただきありがとうございました<(_ _)>お一人お一人にお返事したいのですが、なかなかまだそこまでの時間が取れないのでこれからの日々の日記をお返事代わりとさせていただくことにしました。迷惑メールなども入ってくるため、しばらくコメント欄も閉じさせていただきますがよろしくお願いします。 17日に退院し、自宅で夫と子供と3人新しい生活を始めたところです。当初、実家の母に2週間ほど来てもらい手伝ってもらう予定でしたが、夫がなんでもよくやってくれるので、入院中マタニティブルーになりかけていた私の心も嘘のように落ち着きを取り戻し、母には1泊しただけで帰ってもらうことにしました。それでもまだ外には出られないので、1週間に1~2回ほど買い物や食べる物を実家の両親に頼んで届けてもらっています。実家と私の自宅は車で2時間弱のところで、週末は低気圧の影響で雪も降って心配しましたが、孫の顔を見たいのでしょう、嬉しそうにいつも出かけてきます。孫は目に入れても痛くないと人からもよく聞いていましたが、私の両親も同じようです。息子を見れば目じりが下がり、自分の親ながら「こんな人たちだったっけ!?」と娘の私も驚くと同時に、そんな両親の姿を見ることができたことを嬉しく思います。 次は出産の時の話になりますが、出産前夜(10日)、夫が帰宅して夕飯時から前駆陣痛らしきものが突然くるようになりました。それまではブログでも書いていたとおり、まったく予定日前に生まれるという兆候が見られず自分では予定日を過ぎるものだと思っていたのでこれには少し驚きました。この日はそれでも様子を見ながら早めに就寝しました。出産当日の11日の朝、5時30分頃から10分間隔の陣痛に変わりました。様子を見て8時30分に病院に電話、合わせて実家の母にもいよいよその時がきたことを電話すると、「頑張りなさい。皆経験していることだから大丈夫。それじゃあね。」とあっさり。この時ばかりは、本当に母親なのかとちょっと疑いたくなりました(笑)この日は、私の弟の結婚式のため、午後から前泊で東京へ向かうことになっていました。夫も一緒に向かうため、ちょうど会社にもお休みをいただいていました。 私は誰もいなくなるので、もしものために義母にお願いして10時30分の電車で来てもらうことになっていました。自宅から病院も車で10分と近いため、陣痛が5分間隔になった10時に病院へと向かいました。診察を待つ間に夫には義母を駅まで迎えに行ってもらい、私はその間、診察。子宮口は3cm開いており、そのまま入院となりました。11時頃、陣痛室に通され、助産師さんからは「生まれるのは夜中になるでしょう、日をまたいで明日かな。午後から少し院内を歩いて、赤ちゃんが下がってくるのを待ちましょう。」と言われました。そのうち、義母と夫が到着。陣痛室でまだ時計を見ながら間隔を計るのができていたのはお昼頃までだったでしょうか。そのうち昼食が運ばれてきましたが、とても起き上がって食べる気にはなりませんでした。義母と夫には院内の食堂で食べて来てもらい、戻ってきた1時頃には早くもいきみたい感覚に襲われ始めました。私の声も最初と違う感じに廊下に聞こえ始めたのか、助産師さんが来て、切れていた分娩監視装置のモニターの電源が再び入りました。赤ちゃんの心拍が弱くなってきていたらしく、夫は心拍が100を切ったらすぐに連絡をするよう言われていたそうです。そして30分経ったか経たないかのうちに夫が助産師さんに連絡をしに行きました。そこからはあれよあれよという間に、私はスリッパも履かず気が付けば裸足のまま分娩台に上がっていました。早く赤ちゃんを出してあげなければ危険な状態だったそうです。後から聞けば、常位胎盤早期剥離でした。会陰切開、人工破膜、数回のいきみののち、気が付けば赤ちゃんが誕生しました。午後2時17分、2,858gの男の子です。友人から聞いていた出てくる時の「つるん」という感じは私にはあまりありませんでした。すぐにサーモベッド(生まれたての赤ちゃんを温めるベッド)に乗せられた息子には、呼吸器がつけられ、口の中の吸引等が施されていました。夫には聞こえたそうですが、私には息子の産声が聞こえず呼吸器をつけて苦しそうにしている体のまだ青白い息子を見て、大丈夫なのかと不安になりました。でもそのうち体温も上昇し、分娩台にいた2時間ほどの間で落ち着いたようです。カンガルーケアは出来ませんでしたが、夫がカメラで写真を撮ったり6月に入院した時に私を覚えていてくれた助産師さんとお話したりして過ごしました。その後はすぐに母子同室となるのですが、念のため息子は夜まで保育器で預けられ、夜の10時ころ私のベッドにやってきて初乳をあげることができました。初めておっぱいをあげた時の愛おしい気持ちはきっと一生忘れられないと思います。出産するまでは、たとえ夫がいなくてもなんとか産めると思っていましたが、いきみ逃しをしてくれる夫の手は何よりも心強く神の手に思えました。夫がいてくれなければ絶対に無理だったと思います。夫も立ち会い出産をするつもりはあまりなかったと思いますが、子供の誕生の瞬間に立ち会い、感動で半分泣いていたように見えました。助産師さんたちも驚く初産とは思えないスピード出産でしたが、今思うと、夫がいなくなってしまう弟の結婚式の前に出てこなければと、息子がこの日を選んで生まれてきてくれたように思います。来てくれた義母にも孫の顔を見てもらうことができました。最初から親孝行な息子です(笑)数日後、最初に「夜中までかかる」と言っていた助産師さんに廊下でお会いした時に言われました。「あの後、私は外来があったのですぐにその場を離れてしまったけれど、後で出産の話を聞いてびっくりしました。すぐにお会いしてお話したかったの。私が見た最初のあの状態で、あんなに早く生まれるということはまずないし、モニターを付けずにあのままいたら、赤ちゃんが危ないという状況も分からず生まれていないかもしれなかった。あなたの妊娠した時の経緯も後で他の助産師から聞きました。生まれてきた赤ちゃんやあなたを守っている見えない力があると思います。どうかその力を信じてこれから頑張ってください。私もそんな出産に出逢えたことを感謝しています。」と。子供が生まれて、今まで以上に人の温かさが身にしみます。私たち以上に子供の誕生を喜んでくれる家族や親せき、友人、ブログのお友達、病院のスタッフの人たちなど、私たち夫婦も生まれてきた子供もたーくさんの人たちの優しさや愛情に支えられ見守られているんだなあと本当に感謝する毎日です。いつもありがとうございます。そして夫や私のことを産んで育ててくれた両親がいなければ、私たちもまた可愛い我が子に会うことはできませんでした。これからもっと親孝行できたらと思います。 もうひとつ、出産するまでいろいろな方のブログを見ていました。その中には私と同じようになかなか子供が出来ず不妊治療をしていた方もいれば、不幸にも生まれてすぐに赤ちゃんをなくされた方もいます。最初はお知り合いだったのに、どんな言葉をかけていいか分からず今日まできてしまった方もいました。今はまだどうしたらいいか分からないけれど、いつかまたお話出来る日がくればいいなあと思います。妊娠中のことやこれからの子供との日々のこと、どんなふうに書いたらいいのか時に迷っていたこともありますが、あくまでも私自身の記録として、これからもブログに残せたらと思っています。 長くなりましたが、そろそろ子供が起きそうなので今日はこの辺で。毎日があっという間ですが、気が付けばクリスマス、年の瀬と今年も残りわずかですね。寒くなってきましたので皆さんもお体に気を付けてお過ごしくださいね写真は入院中の15日に撮った息子です。ではまた