新聞記者の日常と憂鬱
▼はじめに新聞記者の日常は、非日常で満ちている。普通の暮らしをしている人なら、まず生涯出くわすことのないような、殺人や誘拐、大事故などの現場に顔を出すのが記者の仕事だからだ。路上に引かれるチョークの白線は、新聞記者には日常の風景。記者が「マグロ」と呼ぶ轢断死の肉片も、最初は吐き気を覚えても、やがて日常のありきたりの風景になってしまう。かく言う私も、御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機事故の取材では、体液が染み出た白木の棺おけが何十と並ぶ遺体安置場の体育館の片隅で、平気でお弁当をばくばくと食べている自分に気づき愕然としたことがある。非日常がいつの間にか、日常になってしまうことの怖さ。その怖さに怯えつつも、非日常の世界を現実のものとして冷静に書き続けるのが新聞記者の使命である。そのような新聞記者の日常と憂鬱を、できるかぎりこのブログで紹介していこうと思う。ニュースの裏がわかれば、ニュースの本質が見えてくるはずだから。